Jリーガーたちの原点 「宇佐美貴史」 | サカママ メインコンテンツに移動
宇佐美貴史

Jリーガーたちの原点 「宇佐美貴史」

二人の兄を真似して生後8カ月でボールを蹴るように

高校2年時に、飛び級してガンバ大阪のトップに昇格しJリーグデビュー、そして国内外で活躍する宇佐美貴史。そのしなやかなボールタッチと高い技術は、日本屈指のドリブラーといえるだろう。

そんな宇佐美がサッカーボールを蹴り始めたのは、驚くことに生後8カ月頃だったと、以前、サカママでインタビューを行った宇佐美のお母さんである美紀さんが語っている。宇佐美自身に尋ねると「ボールをいつ頃から蹴りだしたかとか、きっかけは覚えてないんです。でも、兄たちがサッカーをやっていたので、それを見て無意識に真似して蹴るようになったんだと思います」。

宇佐美貴史ママ 3人のサッカー少年を育てたサカママ経験談

二人いる兄の影響で、幼稚園の頃から本格的にサッカーを始め、5歳の時に、地元京都の長岡京サッカースポーツ少年団(長岡京SS)に入った。すると、1年生で早くも飛び級し、上の学年の中で練習することになる。「週1回、小1の時に4年生のチームに、小2で5年生のチームの練習に入れてもらったんです。でも、上の学年には友達もいないし、『なんで1年が来てるの?』と嫌味を言われたり、軽視されるので、その練習に行くのが嫌で嫌で(苦笑)。どうにかしてさぼろうとして友達の家に行ったりするんですけど、父に上の学年の練習だけはさぼるなって言われて、無理やり連れ戻されてました」。とはいえ、行くまではあれほど嫌だったその練習も、いざサッカーをやりだすと気持ちは一変した。「学年が上だから練習のレベルは高いんですけど、その中でできている自分もいるので、サッカーをするとすごく楽しかったですね」。当時、父親がそれほどまでに上の学年との練習に参加させようとしたのかが、今ならわかると振り返る。「父は、同学年の周りが認めてくれる環境ではなくて、学年が上で、身体も一回り大きくて、僕が軽視されるような環境に身を置くことで“強くなれ”と思っていたように感じます」

そんな環境で練習を積み重ねたことで、めきめきと力をつけ、地元で宇佐美の存在は知れ渡っていく。小学6年生になると、チームのキャプテンとなり「『自分の学年を勝たせる』『京都で一番になる』『全国大会に出る』ということしか考えていなかった」という。そして、全日本少年サッカー大会・決勝大会で全国の舞台を踏んだ。

卒団式では、フットサルボールに選手それぞれが寄せ書きをしたが、宇佐美のボールにはチームメイトみんなが「プロの世界で頑張れよ」と記したという。「それを見た時は、みんな僕がプロになるって思ってくれてるんだと感じましたね。一緒にプロになろうって書いてくれた子はいなかったんですけど、僕は全員に“Jリーグで会おう”と書いたんです。でも、“J”の文字が逆で“しリーグ”になってた(笑)。当時のチームメイトからは、いまだにそのことを言われます」

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一緒に市民プールに通ってくれた母・美紀さんとの関係は今も変わらない

インタビューの際、母・美紀さんの記事を見せると「美紀ちゃんやー」と、宇佐美の顔が一気にほころんだ。「母は、昔からベストトークパートナーですね。すごくおもしろいから。小学生の頃、コーチに基礎体力をつけろと言われて、一時期、母と一緒に市民プールに通ってました。自転車で30分ぐらいかかるんですけど、母が仕事終わりに一緒につきあってくれて。ただ、母の水着姿には目をむけられなかったですけど(笑)」。美紀さん自身も、インタビューでプールでは冷やかされたと話しながらも、宇佐美とは小さい頃からいつも一緒で、友達のようないい関係だったと語っている。その仲睦まじい関係は、今もなお変わらないといえるだろう。

美紀さんは、サッカーに関して何も口だしせず、いつも思った通りにさせてくれたという。じつは、そこには美紀さんの深い愛情があったことを、宇佐美は後に知ったと語る。「僕が中学生の頃、母は兄二人を呼び出して『貴史はサッカーでいく子だから、私が貴史に対して特別扱いになるかもしれないけど、それは了承してほしい』という話をしていたらしいんです」。宇佐美自身は、特別に接してもらっている感覚はなかったというが、そこには、美紀さんの特別であるからこそ、そう感じさせない気遣いがあったにちがいない。

宇佐美には小学生の頃から、ずっと尊敬の念を抱いている選手がいる。それは、元日本代表で2018年にはJリーグ最優秀選手賞を受賞した家長昭博だ(現、川崎フロンターレに所属)。家長は、長岡京SSの6つ上の先輩にあたり、宇佐美は当時から家長と比較されたり、家長二世だと言われることも多かったという。しかし、小学6年の時、コーチから言われたのは、家長のような天才ではないという言葉だった。「家長みたいな天才は、やらなくてもできるけれど、宇佐美はそうじゃない。お前は、やってやってやって、やっとできるタイプだから、天才だと勘違いしないように」。そう言われた時、宇佐美自身も心当たりがあったゆえ、反骨心を抱くことはなかったという。ただ、今でも覚えているその言葉は、その後の宇佐美を支えているのかもしれない。

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練習や試合を黙ってみている両親の子どもが一番伸びる

小学校卒業後は、幼い頃からファンだったガンバ大阪のジュニアユースへ迷うことなく進んだ。「僕はJリーガーになりたいというより、ガンバの選手になりたいと思ってました。もともと両親がガンバのファンで、幼い頃から練習場に連れて行ってもらっていたので、テレビより先に練習場でプロの選手をみてたんです。キャーキャー言われるほど人気の選手たちが高級車でグラウンドに来て練習するんですけど、練習後は、僕らにすごく優しく接してくれる。そういう選手たちを間近でみて、ああいう人になりたいって思ってた時に、憧れている家長くんがガンバに入ったから、もうガンバでプロになることしか考えなかったですね」

じつは、中学に進学する際、幾つかのチームからオファーがあったものの、父親が宇佐美に勘違いさせないようにと、どのチームから誘いがきているかは伝えなかったという真相を後に知ることになる。しかし、どちらにしろ宇佐美は大好きだったガンバを選んだのは間違いないだろう。「毎日、ガンバのクラブハウスに行けることが、うれしかったですね。あの頃が一番楽しかったように思います」

現在、二児の父親でもある宇佐美。最後に、全国のサカママにメッセージを残してくれた。「練習や試合を黙ってみているお父さんやお母さんの子どもが一番伸びる。これは間違いないです。子どもの成長に期待しすぎて、子どものためだと思って言いすぎることがプレッシャーになって潰れてしまった才能ある選手を同世代で何人もみてきましたから。親御さんは、子どもが純粋にサッカーを楽しむサポートをだけをしてあげればいいと思います。親のプレッシャーが一番子どもを潰すきっかけになると思うので、僕自身もそれを肝に銘じて、子どもたちがやりたいと言ったことをさせて、やり出したことは絶対に口出しをしないでおこうと思ってます(笑)」