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Jリーガーたちの原点「森島司(サンフレッチェ広島)」

グランパスに行く発想はなかったものの、セレクションを受けたら見事合格

サンフレッチェ広島で、エースナンバー10を背負う森島司。2016年、サッカーの名門である三重県・四日市中央工業高等学校(四中工)からサンフレッチェ広島に加入し、プロ7年目となる今シーズンも攻撃の中心として活躍し続けている。U-18からは年代別日本代表に選出され、2019年にはA代表デビューも果たした。

四兄弟の三男として生まれた森島がサッカーを始めたのは幼稚園のとき。「すでに兄2人が愛宕サッカー少年団に入っていたので、その影響で僕も入団しました。ただ、あんまり記憶はないですね(苦笑)」。とにかくサッカーが好きだった森島は、練習のない日は校庭でサッカーをしたり、壁に向かってボールを蹴ったりと、いつもボールに触れていた少年だったという。森島の父は、社会人サッカーの経験者であったことから、少年団の監督を務めていた。父親が指導者の場合、子どもにあれこれ口出しをしてしまうケースも多いが、森島の父はどうだったのだろうか。「チームがいくつかあって、僕が所属していたチームは父が担当していなかったので、口出しもされず、やりづらさもなかったですね。少年団は鈴鹿市の大会で優勝するレベルだったので、試合を重ねるうちにどんどんサッカーが楽しくなって、漠然と将来はプロサッカー選手になりたいと思うようになりました」

高学年になると、名古屋グランパスU-12と練習試合を行ったり、公式戦でも対戦するようになった。けれど、中学サッカー進路として、名古屋グランパスエイトJr ユース(以降、グランパス)に行くという発想はなかったというのだ。「6年生の頃からグランパスの練習に参加させてもらえるようになったんです。その流れでセレクションを受けたら合格できて。成り行きだったので、両親にグランパスに行きたいと言ったこともなくて、受かったから行ってみたいという感じでしたね」

当時のグランパスは、全国大会で優勝する程の強豪チーム。そのセレクションにスムーズに合格できたというのだから、当時から森島の才能はズバ抜けていたにちがいない。

 

練習場までは車で片道1時間半、いつも母が送迎してくれた

「グランパスのレベルはすごく高かったんですけど、めっちゃ楽しかったですね」と、当時を振り返る。チームメイトには、森晃太(福島ユナイテッドFC)、杉森考起(徳島ヴォルティス)、吹ヶ徳喜(FC今治)らがいて、切磋琢磨しながら、考えてプレーすることや戦術を学んでいったという。

ただ、驚くのは練習場までの距離だ。グランパスが練習を行っていたのは愛知県豊田市。三重県鈴鹿市にある森島の自宅からは、車で片道1時間半もかかる距離だった。「学校が終わった後、電車で行くと練習に間に合わないので、母が車で送り迎えをしてくれました。練習は週に3回あったので、すごく大変だったと思いますし、今でも感謝しています」

幼い頃から痩せていたこともあり、中学になると身体を大きくしようと一生懸命食べていた時期もあったという。「練習後におにぎりを食べたり、間食を頑張っていた時期もありました。それに母も協力してくれて。ただ、続けるのが苦手なので、いつの間にかやめていたような気がします(苦笑)。好き嫌いも多かったのですが、遠征の中で食べられるようになったり、グランパスでは食事のサポートもあったので、そうした環境のおかげで徐々に克服できました」

充実していたグランパスでの日々だったが、中2の夏、途中で辞めることに…。「グランパスで面談があったとき、ユースへの昇格を勧められたのですが、ユースに上がると高校サッカーには出場できない。一番上の兄は四中工に行っていたし、昔から選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)に出たいという意思が強かったので、グランパスを辞めると伝えました。自分の中で、高校サッカーを選んだことは大きな分岐点になったと思います」

高校1年のときに選手権に出場、ベスト4に入り優秀選手に

その後、地元のクラブチームであるヴィアティン北勢FC に所属し、高校は念願だった四中工へ。すぐに試合に出場する機会を与えられるも、スタメンには中々定着できなかったというが、激しい競争のある名門高に入学して程なく試合に出られる選手も、そうはいない。とはいえ、これまで常にエースとして活躍していた森島にとっては大きな壁だと感じたのだろう。「この時期、とにかく悔しくて一生懸命練習していた記憶がありますね。その後、インターハイの予選くらいからは、レギュラーで試合に出られるようになったと思います」

1年の時に、第92回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。ベスト4となり、優秀選手にも選ばれた。「選手権に出場できたことで、周りからの見られ方も含めて、ガラッと変わったと思います。この後から、ずっと注目してもらえるようになりました。振り返ると、この年、選手権に出たことがターニングポイントだったように思います」

 

子どものやりたいことをさせて、それを前向きに後押ししてほしい

1年の頃から、Jリーグのチーム練習に参加するようになったこともあり、プロサッカー選手になることを本気で意識し始めた森島は、プロになる夢を叶えた。「サンフレッチェ広島に入団してすぐの頃、周りは上手い選手ばかり。毎日の練習でも緊張するし、ついていくのも必死でした。いや、ついていけてなかったかもしれない(苦笑)。その後、ケガをして、夏にはシーズンが終わってしまったので、今思うと1年目はあっという間でした」しかし、翌年の開幕戦でJリーグ初先発、初出場を飾り、その後の活躍は冒頭の通りだ。

「大人になるまで、本当に親に頼って生きてきたんだというのを、今すごく感じています。中学時代は遠くまで送迎をしてくれたし、高校時代は朝練があったので、朝4時半頃に起きて、お弁当を作ってくれたり。大人になって、よりその大変さを感じますね。プロになることができたので、今は試合に招待することが恩返しになっているのかなと思います」と両親への感謝を述べる森島。最後に、子どもたちとサカママにメッセージを残してくれた。

「子どもたちは親に感謝して、大人になってからでもいいので、少しずつ恩返しできるようになればいいんじゃないかと思います。僕自身、やりたいことをさせてもらったことが良かったと感じています。だから親御さんも今は子どものやりたいようにさせてあげるのがいいんじゃないかと。それを前向きに後押ししてあげれば、子どもは絶対将来、感謝してくれると思います」

写真提供/サンフレッチェ広島