Jリーガーたちの原点 vol.53「高井 幸大(川崎フロンターレ)」
小3からサッカーに明け暮れて、憧れの川崎FでFWからCBに
高校2年生でプロ契約を結び、19歳で臨んだ3年目の2024シーズンはJ1リーグ24試合に出場してベストヤングプレーヤー賞を受賞。同年9月にはA代表デビューも飾り、日本の未来を背負う大器として期待される大型センターバックが、川崎フロンターレの高井幸大だ。
神奈川県横浜市出身の高井は5歳のとき、友人に誘われて入った近所のクラブ、リバーFCでサッカーを始めた。「当時はFWでチーム内では目立つ存在だったこともあり、小学3年生になる前に横浜F・マリノスのスペシャルクラスのセレクションを受けて合格したんです。それまで習っていたピアノ、空手、水泳は辞めて平日2日間はマリノス、週末はリバーFCに通うサッカーだけの生活になりました。マリノスには県内から上手い選手たちが集まってきていたので、僕が一番下手だったんじゃないかと思います」
それでも、レベルの高い環境でプレーすることに楽しさを感じ、練習に明け暮れた高井は、4年生のときに川崎Fのセレクションを受けて合格。翌年からU-12に加入する。「親の影響で何度もスタジアムに試合を観に行き、ネーム入りのユニフォームも何着か持っていた憧れのクラブでした。小さい頃からなんとなくサッカー選手になれる気がしていて、僕もフロンターレの選手になりたいと思っていましたね」
そこで入団早々、高井にとって人生の転機が訪れる。「セレクションにはFWとして合格したのですが、1週間くらいでセンターバックにコンバートされたんです。そこまで上手いわけではなく、スピードも足りていなかったからだと思うんですけど」。チーム一長身のFWを見て、そのまま前線で続けさせるよりも後方のポジションをやらせたほうが彼の強みが活きるのではないかと考えたコーチ陣の英断だったに違いない。
尊敬する母はおしゃべりだけど“サッカーの話を一切しない”人
最初は「乗り気ではなかった」というセンターバックだが、「試合には出してもらえて、やっていくうちにだんだんと守備のやりがいや面白さを感じていきました」と高井。5年生のときにはスペイン遠征も経験し、現地の大会でベティス(スペイン)やユベントス(イタリア)などと対戦した。「日本よりもかなりスライディングしてくるな、ファウルしてくるなって、小学生ながらに『ずる賢さ』みたいなものを感じました。海外の選手たちは上手かったですけど、僕らも負けてなかった。それは自信になりましたし、何よりも楽しかったです」
ジュニア年代ではストレスなくボールを扱うところから始まり、個人の技術を上げることに重点を置くという川崎Fのアカデミー。「リフティングの課題をクリアしないと練習に入れないという決まりがあって、公園で自主練したり、すごく練習した記憶があります。ボールタッチの感覚を磨くのはとても大事だし、子どもの頃は遊びでもいいから、とにかくボールに触ることが重要だと今あらためて思いますね」
そうしたサッカー漬けの日々を、両親は何も言わずに支えてくれたという。「自転車で一緒に練習場まで送り迎えしてくれたり、たくさんサポートをしてくれました。『勉強しとけよ』と言うくらいで、好きなことを伸び伸びとやらせてくれて。僕は小さい頃から身体が大きくて、常にお腹が空いてたんですけど(笑)、母が栄養にもこだわった食事を毎日いっぱい用意してくれましたね」
クラブ公式サイトのプロフィールでは、そんな母を「尊敬する人」の欄に挙げている。「社交的でおしゃべりで、一人でいても明るいような人です。僕は家でサッカーの話をするのが好きじゃなく、言われるとウザくなってくるので(笑)、母はサッカーについて話すこともなかったですし、試合に負けたり練習がつらいときは、いつもポジティブに接してくれました。そうやって見守ってくれたのは、本当にありがたかったですね」
飛び級で積み重ねた経験と自信。“目の前の相手に負けない”こと
中学に入るとU-15の一員となり、プロへの階段を登っていった高井。「2年生の夏頃から飛び級で1学年上の試合に出してもらえて、それがすごくいい経験になりました」と当時を振り返る。最高の思い出も、2年生で出場して3位に入賞した2018年の高円宮杯JFA第30回全日本U-15サッカー選手権大会だ。「3年生のチームが負ければ終わりという最後の大会で、特に準々決勝、青森山田中学校に(0ー2から同点に追いつき)終了間際のゴールでギリギリ勝った瞬間は強烈に覚えています」
このU-15時代には初めて年代別の日本代表にも選ばれ、さらなる自信につなげた。「全国の強豪チームで一番上手いような選手が集まるので、代表のレベルはすごく高くて。その中でプレーできたことが本当に楽しかったですし、友だちが増えて嬉しかったです」
高校生になる頃には身長は190cmを超え、高いポテンシャルと実戦で培った確かなクオリティを評価されていた高井は、2年生だった2021年8月にトップチームに登録される。まわりは、2017シーズンから5年で4度のJ1優勝を果たした国内トップクラスの選手たち。「とにかく食らいつくのに毎日必死だった」という厳しい環境で揉まれた。「フロンターレでは技術面に関して、どの年代の指導者からも口酸っぱく言われてきました。入ったときは下手くそだったので、今もまだまだですけど、技術は一番上達した部分だと思いますし、『技術は嘘をつかない』というコーチの言葉も心に残っています」
そして2022年2月には、クラブ史上最年少でプロ契約を締結。20歳となった現在、川崎Fで主力を担い、U-20ワールドカップやパリ五輪を経験し、A代表に選出されるまでに成長を遂げた高井が描くセンターバックの理想像とは?「そこに自分がいればやられない、というチームに与える安心感が大事。後ろにはGKしかいないわけで、ゴール前で体を張って失点しないことが大前提です。DFはそれができなければ何もないと思う。攻撃への貢献はプラスアルファの部分で、今からでも上手くなれると考えていますし、第一は守備で目の前の相手に負けないことです」
2月に開幕した2025シーズンについて「去年は不甲斐ない1年になってしまったので(J1は8位でカップ戦も敗退)、今年はタイトルにこだわって絶対に獲りたいです」と抱負を語った高井。最後に、全国のサッカージュニアとサカママに向けてメッセージを残してくれた。「プロになるような選手は、やらされてやるんじゃなくて、本当にサッカーが好きでやっている。そういう人がトップ・オブ・トップまで行けると思うので、まずはサッカーを大好きになってほしいです。でも、プロになることだけが成功じゃないし、サッカーを通して人として成長できればいいと思います。
親御さんには、そんなふうにサッカーを楽しんでいる子どもたちの姿を、一緒に楽しみながら応援してほしいですね。僕がそうだったので、サッカーに関してはなるべく言わないであげてほしいなと。子どもたちはみんな全力で頑張っているのは間違いないので、できる限りサポートしてあげてほしいと思います」
写真提供/川崎フロンターレ
(2025年4月発行 soccer MAMA vol.53 「Jリーガーたちの原点 vol.53」にて掲載)