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Jリーガーたちの原点「清武 弘嗣(サガン鳥栖)」

Jリーガーたちの原点「清武 弘嗣(サガン鳥栖)」

人気連載「Jリーガーたちの原点」。今号は、日本代表や国内外のクラブで長年活躍し、今季はセレッソ大阪から期限付き移籍したサガン鳥栖でシーズンを戦い終えた清武弘嗣選手に第23回、第25回に出場した全日本少年サッカー大会の思い出を語ってもらいました。

“チームの夢を壊した”全少3位。忘れられない「お前にだけは…」

-初めに、サッカーを始めたきっかけから教えてください。

「父が(社会人チームでプレーする)元選手であり、その影響で4歳上の兄がサッカーを始めていたので、気づけばボールがそこにあったという感じです。ビデオを見返すと、3歳くらいではボールを蹴っていましたね」

-小学1年生から明治北小学校(大分県大分市)の少年団、明治北SSCに入ったとのこと。多くの有名選手も育て上げてきた新庄道臣監督(当時)のチームですね。

「土日の試合も含めてほぼ毎日、朝から晩までサッカー漬けでした。練習はミニゲーム中心で、低学年の頃はすべてのポジションでプレーしていましたし、基礎技術もしっかり叩き込まれました。チーム以外でもトラップやリフティングをひたすら練習していましたね。2年生からは1歳下の弟、功暉も入ってきて、それからはずっと一緒に切磋琢磨してきました」

-清武選手が4年生のとき、明治北SSCのコーチを務めていたお父さんがチームの監督になったそうですね。当時はどんな心境でしたか?

「めっちゃ嫌でした(笑)。今となってはいい思い出ですけど、とにかく厳しくて、僕に対する要求も高かったんですよね」

-1999年、全日本少年サッカー大会(現JFA 全日本U-12サッカー選手権大会/以下、全少)に初めて出場されました。

「予選リーグで全敗してあっさり終わってしまったのですが、『全国にはこんなすごいチームがあるんだ』と衝撃を受けましたね。マイク(元日本代表FWのハーフナー・マイク氏)がいた札幌FCとも対戦していて、『なんだこの選手は!?』と驚いたのを覚えています」

-高学年になるにつれて、チーム内での役割やプレーの面で変化はありましたか?

「4年生で全少に出場し、自然とキャプテン候補になっていたので、チームを引っ張るという意識は高まっていましたね。プレーの面でもピッチ上でのイマジネーションがおのずと発揮できるようになってきた時期で、自分の感性を大事にしたり、それを試合で体現しようという感覚でサッカーをしていました」

-2年後の2001年、6年生で再び全少の舞台に立ち、3位という成績に。この大会で印象に残っていることは?

「絶対に優勝できると思って臨んだ大会だったので、3位というのは……。これは僕が招いた結果なんです。準々決勝で僕は一発退場になって2試合の出場停止となり、(チームが敗れた)準決勝のピッチに立つことができなかった。もともと僕は気持ちが強くなくて、落ち込むことがあるとプレーに影響が出てしまう部分がありました。

新庄先生や父からも常々言われていたことなのですが、それが準々決勝でパーンとはじけてしまって。攻め込んでいながら点がなかなか入らずイライラしていて、FWの功暉が相手選手から激しいファウルを受けた瞬間、審判に暴言を吐いてしまったんです。自分の心の弱さが出て、不甲斐なかったですね。みんなの頑張りを無駄にした、優勝するはずの大会でチームの夢を壊してしまった、そんな悔いが残る大会になりました

-そのとき、お父さんからは何か言葉をかけられたのでしょうか?

「『お前にだけはサッカーをさせなければよかった』と。試合後、みんながバスで帰る中、僕は父と歩いて宿舎まで戻ったのですが、そこで言われたこの言葉は衝撃的で……。今も忘れられないですし、『どんなときでも冷静さを失ってはいけないんだ』と強く思いました」

-そうした苦い経験も味わった全少はあらためて振り返ると、清武選手にとってどんな大会だったと言えますか?

「小学生時代の目標が全少で優勝することで、それが僕のモチベーションになっていました。この全国一を目指せる大会が今も続いているのは、すごく貴重なことだと思います」

僕らの一番の味方でいてくれた母。サッカー人生に不可欠な父の教え

-息子3人とお父さんがサッカーに打ち込む環境で、お母さんはどのような存在でしたか?

「何よりもまず大変だったと思います。やんちゃで食べ盛りの3兄弟に、食事や毎日サッカーをするための準備など、すべてをしてくれていました。父が息子たちの監督でもあり、家庭でも厳しく接している状況で、いろいろ苦しい思いもあったでしょうし。でも、母は常に僕たちの一番の味方でいてくれました。いつでも子どもたちのためを思って行動し、誰よりも応援してくれていましたね」

-その後、中学3年生からは大分トリニータの下部組織に入り、プロ選手への階段を上っていくわけですが、ご両親との関係性は変わりましたか?

「父は功暉の代で監督を辞め、単身赴任で地元を離れたんです。でもそれからは、母がめちゃくちゃ厳しくなりました(笑)。1人で3兄弟を見なければいけないのですから、母も必死ですよね。それでも変わることなく僕たちをサポートしてくれましたし、それは今でも変わりません」

-兄の勇太さん、弟の功暉さんの存在も大きかったのでは?

「過酷な少年時代を支え合って生き抜いてきましたから(笑)。ただ、父は本当に厳しい人でしたけど、愛情はあったので。愛情を持って叱るのとそうでないのとでは全然違うと思うんです。あの頃があったからこそ、今は父とすごく仲がいいですし、兄弟とも変わらない関係でいられる。僕自身が父親になって思いますけど、子どもは宝ですよね」

-少年期に経験したことで、その後のサッカー人生を支えているものはありますか?

「全少で得た経験が大きいのはもちろん、プロ選手になるという目標から逆算して、自分に何が必要かを常に考えてきたので、その日々の鍛錬が今のプレースタイルや技術につながっています。そういう自分の軸は小学生時代にほぼ完成していたと思いますね。それを導いてくれた新庄先生や父の教えは、僕のサッカー人生の中で外せないものです」

-全少に臨む選手やプロを目指す子どもたちに向けて、アドバイスをいただけますか。

「小学生年代で目指す大会があるというのは素晴らしいことですし、ここで活躍できれば、また違う景色や世界が広がっていきます。全少は『全国にはこんなうまい選手がいるんだ』『こんなチームがあるんだ』と、普段では味わえない刺激を体感できる大会です。それが本当に一人ひとりの成長につながるし、それを感じ取れるかどうかで選手としての今後が変わってくると思います」

-最後に、子どもたちを応援するサカママへメッセージをお願いします。

「 僕は今の時代、情報が多すぎると思うんです。サッカーに関しても食事や身体のケア、トレーニングの方法などがネットにあふれていますが、何を選べばいいか、何が正しくて間違っているのか、それを判断するには親御さんの力が必要です。お子さんをよく見てあげて、それぞれに合うものをチョイスしてあげてほしい。そして、何をするにしても愛情がないと伝わらないと思うので、それだけは忘れず、子どもたちを支えてあげてほしいです」

写真提供/サガン鳥栖

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