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橋本拳人

Jリーガーたちの原点 「橋本拳人(FC東京)」

低学年の時は基礎をひたすら練習、高学年で試合の楽しさを覚えた

2019シーズン、クラブ初のリーグ優勝にあと一歩のところまで迫ったFC東京。その中心として活躍をみせたのが橋本拳人だ。昨年3月には日本代表に初選出、9月に行われたキリンチャレンジカップ「日本vsパラグアイ」ではフル出場し、得点の起点となって勝利に貢献したのは記憶に新しい。

そんな橋本がサッカーと出会ったのは4歳の頃だったと振り返る。「保育園に、元プロサッカー選手が週に1度教えにきてくれて、そこでサッカーの楽しさを覚えました」。その頃、2つ上の兄が入っていた地元のクラブチームにも入部したという。「ヘディングやリフティングが宿題として出されて、それができないと走らなければいけなかったり、ハードな練習をするチームでした。出された宿題を披露する発表会のようなものもあって、そこで上手くできたらカッコいいと思い、家でもひたすら練習してましたね。とくにリフティングは熱中してやったことを覚えています」

4年生の時に引っ越すことになり、チームも移籍することに。再び、地元のクラブチームに入ったものの、人見知りの性格ゆえに最初は馴染めなかったという。しかし、前のチームで基本練習を幾度となく積み重ねていたことが功を奏した。「次のチームでは毎週のように試合があったのですが、基礎的なことが身に付いていたから、試合でいいプレーができたんです。それでみんなが僕のプレーを認めてくれて、仲間に入ることができました」。ところが、チームに馴染み、試合の楽しさを覚えて活躍するようになると、チームメイトに「もっとパスをくれ」と口にしたり、自己中心的な態度を取るように。そんな橋本を見かねた当時の監督から言われた言葉を今でもはっきりと覚えているという。「『一人じゃサッカーはできないし、周りがいての拳人なんだよ。サッカーはチームでやるスポーツなんだ』と言われたのが、とても胸に刺さりました。早い段階でそのことに気づかせてくれた監督には、本当に感謝しています。それ以来、チームメイトに文句を言ったことは一度もないですね」

食事のサポートをしてくれた母。父のアドバイスはいつも的確だった

橋本拳人
「プレーを褒めてくれる母と、全く褒めない父。そのバランスがよかったと思います」

両親は常に橋本を応援して、支えてくれたという。「母親は、何を食べたら身体が大きくなるのか、疲れた時は何を食べればいいのかなども勉強してくれて。いつも栄養のある食事を出してくれました」。一方、父親は送り迎えやマッサージなどを行い、どんなに遠くで試合があっても必ず応援に駆けつけてくれたという。しかし、当時は恥ずかしさもあり「試合に来なくてもいい」と言ったこともあったとか。「でも、父は絶対に試合を観にくるんです。時には陰で観てるんですが、それもバレていたり(苦笑)」。また、サッカーのことは何も言わず、試合でいいプレーをすると『ナイスゴールだったね』などと褒めてくれた母親に対し、父親は対照的だったという。「父はいつも『こうしたほうがいい』というアドバイスはくれるものの、全く褒めてはくれないんです。今考えると、そんな父と母のバランスがよかったのかなって思いますね」。年頃になると、父のアドバイスを聞き入れたくないと思う時もあったが、そのアドバイスは的確で、意識してやると上手くいったと振り返る。「父は僕のプレーを一番見続けくれている人。父とは二人三脚でやってきたという感じはありますね」

自信を失ったU-15の頃。監督とのサッカーノートが支えに

FC東京サッカースクール(深川スクール)に入ったのは小学5年生の時。兄がFC東京U-15のセレクションを受ける際に同行したことがきっかけだったという。「初めてきれいな人工芝を見て衝撃を受けました。それまでずっと土や河川敷のグラウンドで泥だらけになってやってましたから。僕もここでサッカーがしたいと思いました」

スクールに入るとアドバンスクラス(選抜クラス)に選ばれ、「ここで頑張っていけばプロになれるかもしれない」と漠然と思うようになったという。しかしU-15深川へ昇格すると、その思いは一転する。「U-15には全国から有名な選手がくるので、みんな上手くて。僕は身体も小さく、走るのも遅かったので、なかなか試合にも出られず、全然ダメだって思いました」。中学1年生と多感な時期。自信を失ってしまったことで、逃げ出したくならなかったのかと尋ねると「負けず嫌いな性格だったから、頑張れた」という言葉が返ってきた。「チームメイトに自分が負けていることが、すごく悔しくて。努力しないとプロにはなれないんだと思うようになりました」

また、この時期、橋本を支えたのが長澤徹監督(現、FC東京トップチームコーチ兼U-23監督)とのサッカーノートだった。「毎週試合が終わるとサッカーノートを書いて提出するのですが、全く試合に出ていない僕に対して、監督は『全国で優勝するためにはお前の力が必要だ』と常に書いてくれてたんです。こんな僕にも期待してくれてるのかと思うと、監督のためにも頑張らなければと思いました」。長澤監督の言葉に胸をうたれ、ひたすら努力した橋本。その結果、中学3年時には、中学年代サッカーの集大成とも呼べる高円宮杯全日本U-15サッカー選手権大会で優勝することができたと語る。

負けたくない気持ちと向上心で上手い選手にも立ち向かった

橋本拳人

しかし、FC 東京U-18に昇格すると、またも周囲との実力の違いに衝撃を受けたという。「U-15、U-18とも最初は一番下、そこから徐々に成長していった感じです。上手い選手の中で僕が成長してこれたのは、常に負けたくないという気持ちと、向上心があったからだと思います。上には上がいる、だからまた立ち向かっていく- そういう生き方なのかなって」。それは、プロになった時も同じだったという。けれど、これまで乗り越えてきたことが自信となり、『自分ならやれる』と思えるようになったと話す。

また、どんな時も指導者に言われたことを素直に聞き入れ、練習に打ち込んだことで橋本は成長していったと言えるだろう。「最初は指導者に言われたことを徹底的に練習して、徐々に自分のやり方をみつけていった感じです。いろいろな指導者に出会い、違う角度で僕をみてくれたことで、『そういう見方があるんだ』と気づけたり、自信を持つことができました。常にターニングポイントとなる時に、素晴らしい指導者に出会えているので、本当に恵まれていると思います」

飽くなき向上心を持ち、たゆまない努力をし続ける橋本は、今後ますます活躍をみせてくれるにちがいない。そんな橋本から全国のサカママへ、最後にメッセージを残してくれた。

「子どもたちが伸び伸びとサッカーをしているところを、温かく見守ってあげてほしいと思います。子どもたちはわかっていないようで、お父さんやお母さんのサポートを感じているはずですから。最後は人間力がプレーにも出るので、人として大切なことも教えてあげてほしいなと思います」

写真/野口岳彦