Jリーガーたちの原点 「岩崎悠人(京都サンガF.C.)」
サッカー人生に大きな影響を与えた、近所のお兄さんとの練習の日々
京都橘高校時代、1年生から主力として活躍し、“高校ナンバーワンストライカー”と称された岩崎悠人。U‒17から各年代別日本代表にも選出され、今年8月、U‒21の日本代表として臨んだアジア大会では全試合に出場し、チーム最多の4得点を挙げ、準優勝に大きく貢献した。昨年より、京都サンガF.C.でプレーし、東京五輪世代のエース候補としても期待されている。
そんな岩崎が育ったのは、滋賀県彦根市。サッカーを始めたのは小学1年生だった。 「大きなきっかけがあったわけではなくて、1年生からできるスポーツがサッカーしかなかったんです。野球は2年生から、バスケも3年生からで。とりあえず体を動かしたくて、小学校のグラウンドでやっていた金城JFCに入りました。サッカーしかなくて、導かれたって感じですね(笑)」
学校から帰宅すると、3歳から習っていた水泳が始まるまでの2時間、毎日ずっとボールを蹴っていたという。そんな中、岩崎のサッカー人生に影響を与える人物と出会う。 「近所のお兄さんが仕事終わりにボールを蹴っていたんで、自ら声をかけたんです。たぶん、当時24歳くらいだったと思います。それがきっかけで毎日、そのお兄さんと一緒にサッカーをするようになりました。1対1やイメージトレーニング、砂場を耕してオーバーヘッドの練習をしたり。遊び感覚の練習がとにかく楽しかったですね。4、5年生になると水泳もさぼって、夜8時くらいまでひたすら二人でボールを蹴ってました」
結局、水泳は5年生で辞め、サッカー一本でやることを決意する。しかし、水泳では全国大会にも出場していたほどの実力があったというから、両親は反対しなかったのだろうか。 「両親はサッカーがしたいなら、サッカーをしなって。いつもそんな感じで、何も言わず、僕が自由にできるように見守ってくれてました」
少年団の練習は土日と木曜日の夜間練習だけだったため、それだけでは物足りず、放課後はいつも近所のお兄さんとサッカーを続けていたと振り返る。 「そのお兄さんは、僕にとって恩人。その人がいなかったら、今の自分がないくらいですね」 今もなお繋がっているのかと訊ねると 「繋がってます。今はサッカーをやってなくて、かき氷屋をやってるんです(笑)。地元に帰ったときには会いますね」
小学校卒業と同時に福島へ。電話ではいつも母が励ましてくれた
小学5年生のとき、他のチームにいた憧れの先輩がJFAアカデミー福島の試験に受かったという話を聞いた岩崎は、6年生になると同試験を受け、見事合格する。JFAアカデミー福島は、日本サッカー協会が母体になり、サッカーエリートを養成する中高一貫の教育機関だ。一学年に男子が15名、女子が5名ほどしか在籍できないため、合格するのは並大抵ではない。それに受かった岩崎は、当時から相当な実力を持っていたといえるだろう。全寮生活のため、小学校卒業と同時に親元を離れたという。 「つらいことや、落ち込むことがあると、母に電話することが多かったですね。母は『自分で決めたんだったら、頑張りや』って、細かなことは何も言わず、いつも励ましてくれました。今思えば、ありがたかったですね。最近になって、そんな母をすごく尊敬してるんです。伝えてはないですけど(笑)」 今もなお、何かあれば母親に電話をすることもあるという。
中学2年の秋、地元に戻り、彦根市立中央中のサッカー部に入部した。中学3年時には、いくつかのJクラブの下部組織からオファーがあったというが、岩崎が選んだのは京都橘高校だった。 「中学2年のとき、第91回全国高等学校サッカー選手権大会で京都橘高が準優勝したのを観て、個を活かす、躍動感あふれるプレーが『自分の理想のサッカーだ』と思って、気にはなっていたんです。そしたら中3のタイミングで、米澤一成監督が中学校まで足を運んでくれて。オファーをいただいて、高校サッカーでやっていこうと決めました」
高校時代の活躍は、先述の通りだ。しかし岩崎は、高校3年間で、サッカーだけでなく、人間的に大切なことを教わったという。 「米澤先生は、サッカーのことはあまり言わず、『サッカーで認められたかったら、まずは学校で勉強しろ』『人に好かれること、人間的に信用されることが大事だ』など、学校生活や人間的な部分をしっかり指導してくれました。高校で、そういったことを教わったのは、すごくよかったと思っています」 そしてもう1人、3年間ずっと担任だったというバレー部の副顧問・林まり先生の存在も大きかった。 「服装や身だしなみ、期限や約束を絶対守ること……オフザピッチの部分で、これから生きていくうえで必要なことを、毎日一緒に過ごす中で見て学べました。そのおかげで、僕の中で基準になるものができましたね」
高校時代にその才能を開花させた岩崎だが、最後の大舞台、第95回全国高等学校サッカー選手権大会では1回戦で強豪・市立船橋高校に負けてしまう。しかし、その試合は高校サッカーとは思えないほどの盛り上がりをみせた。 「あの試合はみんな面白かったって言ってくれました。22人試合に出て、7人もプロになってますしね」 岩崎が影響を受けたように、あの試合を観て高校サッカーの道に進みたいと思った子もいるはずだ。
誰よりも走って、サッカーを楽しんで、努力してほしい
今年でプロ2年目。順風満帆なサッカー人生を歩んでいるように思える岩崎から、意外な言葉が返ってきた。 「今が一番の挫折ですね。自分が思い描いていた世界とは全く逆。高校の3年間、自分の中でやれた、頑張ったという自信があって、プロになっても点を取れる、今までやってきたプレーが全部できると思っていたんです。でも、プロになってチームとしてプレーする中で、自分の持ち味をどうだしていけばいいのかって、今年の夏くらいまではすごく悩んでました。ただ、アジア大会でふっきれたんで、これからはゴールを決めていきます」
そして最後に、サッカージュニアとサカママにメッセージを残してくれた。 「子どもたちは、とにかく目標をもって、そのために毎日頑張って練習してほしいと思います。僕は、小学生のとき、シュート練習などを周りの選手の2倍、3倍もやってました。自分が一番練習してるって思えるくらいの努力も大事だと思います。誰よりも走って、誰よりもサッカーを楽しんで、誰よりも努力してほしい。って話しながら、まだまだ足りないと思うところがあるんですけど……(苦笑)。僕はいつも自由にさせてもらってきたので、お母さんたちにも息子さんたちの好きなようにさせて、見守ってあげてほしいと思います。僕自身、子どもができたら、絶対何にも言わず、自分で解決しろっていうと思います(笑)」
写真/佐藤彰洋