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小川航基

Jリーガーたちの原点 「小川航基(ジュビロ磐田)」

学年が上がるにつれて芽生えていった、もっと上手くなりたいという思い

高校時代からエースストライカーとして注目を集め、2016年にジュビロ磐田に加入し、プロ3年目を迎える小川航基。年代ごとの日本代表にも選ばれ、今年5月にはU-21日本代表に選出、東京五輪の代表候補としても期待される逸材の一人だ。

そんな小川がサッカーを始めたのは幼稚園の頃。きっかけは、兄だったという。「兄が地元のクラブチームに所属していて、それを見て僕もやりたくなったんだと思います。横浜港北SCに入ったのは、年中の頃でした」

小学3年生の頃までは、何も考えず、ただひたすらサッカーを楽しんでいた小川だが、学年が上がるにつれ、サッカーと真剣に向き合うようになったという。 「高学年になると大きな大会も多くなって、その中で勝ち負けを味わっていくと、もっと上手くなりたいと思うようになりましたね。暇さえあればボールを蹴っていたし、試合に勝つためのトレーニングもするようになったり。自宅でも、父と兄と3人で朝練をしたり、よく練習をしてました」

横浜港北SC、自宅での練習だけでなく、いくつかのサッカースクールにも通っていたと振り返る。 「低学年の頃は週2回、高学年になると週3回、スクールにも行ってました。ただ、同じスクールにずっと所属していたのではなく、スクールのいい要素を吸収したら辞めて次へ行くという感じで……。サッカースクールだけでなく、フットサルのスクールにも通いました」 そんな中で、唯一、通うのが嫌になってしまったことがあった。 「小学生の頃、けっこう太っていたこともあって、走るのがすごく苦手だったんですね。だから、走る練習がメインだったスクールに通った時は、めげてしまったんです。母がいつも車で学校まで迎えに来てくれていたのですが、授業が終わっても出ていかなかったり、あげくのはてには学校にも行きたくなくなって……。あの時は、ほんとに母に迷惑をかけたと思います」。 そんな小川に対して、母は叱るのではなく、学校には行くようにと優しく声をかけてくれたという。

一歩引いて、見守ってくれた母。それは今でも変わらない

小川航基
「母は、どんな時もダメとは言わず試合を楽しみに、応援してくれました」

では、サッカーにおいてはどんなサポートをしてくれていたのだろうか? 「母はいつも一歩引いて、見守ってくれている感じでしたね。プレーのことは絶対口にしないし、誰がみても調子が悪かった試合でも『今日はダメだったね』と言われたことはないんです。いつも試合を楽しみに、ママ友と一緒に応援してくれて。それは、今でも変わらないですね」 それだけではない。週に幾度とあるスクールの送迎をし、帰りの車中で食べられるようにと、いつもおにぎりを用意してくれていた。 「おにぎりには、よく唐揚げが入っていたので、今でもその味を覚えています。朝早い試合の時も必ず作ってくれました」

一方父は、小川が高学年になると、週末にはチームの手伝いもするようになった。しかし、母と同様に、試合を観てもプレーのことは何も言わず、見守っていたという。そんな二人の愛情を受け、小川はサッカーにのめり込んでいく。これまでのサッカー人生で挫折したことはあるのかと尋ねると、意外にもジュニア時代にあったという答えが返ってきた。 「6年生の時に、神奈川県で強豪と言われているクラブチームのセレクションを受けたんです。同じチームからも8人くらい受けて。合格したら電話がかかってくることになっていたので、電話の前でずっと待っていたのですが鳴らなかった。結局、1次試験で落ちたのは僕だけでした。チームでは、僕が中心選手で、一番上手いという自負があったので、自分だけが落ちたことは、相当ショックでしたね」しかし、この時の不合格が、後のサッカー人生を左右することになる。

父と向き合って話し、泣きながら中学でのサッカー進路を決めた

小川航基

その後、小川は大豆戸FCのセレクションを受けて、合格を手にした。しかし、メンタルが弱かったゆえに、中学に上がってからクラブチームでサッカーを続けるかどうか、迷っていたという。中体連(部活動)でサッカーを続ければ、楽な気持ちで友達と楽しくサッカーができるという思いもあったからだ。そんな小川の心の弱さを両親は気づいていたのだろう。 「ある時、父に部屋に呼ばれて、『楽しくサッカーを続けたいのか、真剣にやりたいのか、お前はどっちなんだ』と、選択を迫られたことがありました。部活で続ければ楽しいけれど、楽な道に逃げることにもなる。それに、試合で活躍する姿を楽しみにしている母が残念に思ってしまうのではないだろうか……。葛藤しながらも、泣きながら『クラブチームで真剣にやります』と言ったのを今でも覚えています」 大事な話がある時は、いつも父親と二人で話すのが常だった。この時も互いに正面向き合って話したという。

中学で真剣にサッカーを続けると決めたことで、小川のサッカー人生が開花していく。進んだ大豆戸FCも、神奈川県で1、2を争う強豪クラブチームだったため、市大会や区の大会でも決勝に進むことが多々あった。小川は、レベルの高い大会でゴールを決めた時の快感を体験し、さらに上を目指したいという気持ちが芽生えていったという。そして、技術力と自信をつけ、神奈川県で名の知れる選手へと成長していった。

中学卒業後は、神奈川県のサッカーの名門・桐光学園高校に進み、その後の活躍は前述の通りだ。しかし、FIFA U-20ワールドカップでは大怪我を負い、復帰後も上手くいかない試合が多々あったという。 「そんな時も、両親はいつでも味方でした。周りからダメだと言われることがあっても、両親は絶対にそうは言わずに、見守ってくれましたね。こないだの試合の後も母が電話で『なんで替えられたんだろうね。お母さんはよかったと思うよ』って(笑)」

最後に全国のサッカージュニアとサカママにもメッセージを残してくれた。

「子どもたちは、とにかく純粋にサッカーを楽しむことが一番だと思います。チームで各地の小学校を訪問することもあるのですが、必ず『サッカーを楽しむことを忘れてはいけない』と伝えてるんです。それと、できるならレベルの高いところでサッカーを続けてほしいですね。僕が両親にしてもらったからこそ思うのですが、お母さんたちには、子どもたちを応援して、心の頼りどころになってほしいなと。実は小学生の頃太っていた僕がスリムになれたのは、母のおかげなんです。低学年の頃は、冷凍庫にアイスがいっぱい入ってたり、お菓子もあったのですが、4年生くらいからは、家にアイスもお菓子も一切置かなくなって、食事も改善してくれました。当時から『これは食べたほうがいい』『体のことには気を遣ったほうがいい』と、口すっぱく言われていたので、それが今でも体に染みついてますね。だからお母さんたちには、食事など私生活の面をサポートして、子どもたちがサッカー一筋になれるような環境を作ってあげてほしいと思います」

写真/榎戸敬人

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