Jリーガーたちの原点 Special「森重真人(FC東京)」
低学年の頃が一番サッカーを楽しめていたかもしれない
FC東京でセンターバックとして活躍し、チームの主将も務める森重真人選手。2009年からは日本代表にも選ばれ、現在、ハリルジャパンの守備のキーマンとして、ロシアワールドカップアジア最終予選にも挑んでいる。 そんな森重が育ったのは広島県広島市。サッカーとの出会いは兄の影響だった。「2歳年上の兄がいるのですが、遊びでも何にしろ、ず っと兄の後ろをついてまわるような子だったんです。兄と一緒に野球もサッカーもよくやってましたね。兄は小学校3年生のときに、広島市西区の三篠(みささ)小学校のサッカー少年団に入って本格的にサッカーをはじめたんです。少年団は3年生からしか入れなかったので、 僕はいつも兄の練習について行ってはボールを蹴っていました」
自身が小学3年生になると、自然の流れで兄と同じチームに入部。この頃が一番サッカーを楽しめていたかもしれないと振り返る。「当時は、何も考えることなく、責任感もプレッシャーもなかったですからね。まわりと比べても上手いほうだったので、試合ではたくさん点も取れたし、サッカーのいいところだけをかいつまんで楽しめていた時期でした」
全日本少年サッカー大会で対戦したヴェルディの強さは衝撃的だった
サッカーを純粋に楽しんでいた森重は、小学5年生のときに「高陽地区」と呼ばれる、広島県の中でもとくにサッカーが盛んな地域に転校。この地区にある7つの小学校の選抜メンバーが集まる高陽FCに選ばれ、第23回全日本少年サッカー大会・決勝大会の舞台を踏んだ。 「高陽FCが強いチームだったので全国大会に出場できたのですが、じつは僕自身全日本少年サッカー大会があることさえ知らなかったんです。だから、この大会に出たいという思いが強くあったわけではなく、ただ、サッカーを楽しんで、チームメイトに負けないように毎日練習していた結果、出場できたんだと思っています」
決勝大会の会場は空気感が違ったという選手も多い中、森重少年は東京(当時はよみうりランドで開催)に来たことさえさほど実感がなく、むしろ「へんな場所にきてしまった」「ここが全国大会をやる場所なのか」という程度にしか思わなかったと語る。とはいえ、初めての全国大会。県内では負けることがなくとも、強豪チームの強さを肌身で感じたという。 「それまでは正直、自分が一番上手いと思ってたんです。でも、この大会に出て、自分が活躍していた場所が小さなところだったんだと強く感じました。まだまだ上手い選手がたくさんいるんだってことを思い知らされた大会でしたね。最後、東京ヴェルディジュニアに負けたんですけれど、ヴェルディの強さは衝撃的で、とくに森本貴幸選手(現、川崎フロンターレ)は印象に残っています」
全国大会を経験し、プロになりたいという思いが芽生えたのかと尋ねると当時は全く意識しなかったという。 「サンフレッチェ広島の試合はよく観に行ってましたが、当時は憧れの選手もいなかったし、プロになりたいという気持ちもなかったですね。ただ、まわりの上手い人たちをみながら、もっとサッカーが上手くなりたいと思って練習を積み重ねていただけです」
応援にきても口出しをしない いい距離感でサポートしてくれた両親
少年団、高陽FCでの練習や試合、さらに 高陽地区では7つの小学校対抗のリーグ戦もあり、小学生の頃からサッカー漬けの日々。森重がサッカーに没頭できたのは、両親がいい距離感でサポートしてくれたからだという。 「サッカーに関して両親から口出しされたことは一度もなかったですね。試合はいつも観にきてくれたんですけれど、試合後に言われるのは『おつかれさま』の一言くらい。サッカーに関する話はしなかったですね。でも、それがよかったのかもしれない。自分で選んだサッカーを自由にやらせてくれたことにすごく感謝しています」
また、当時の指導者からは、技術だけでなく、サッカー以外のことも教わったと語る。 「送迎をしてもらったらお礼を言う、道具を大切にする。当たり前のことなんですけれど、サッカーを通じて、礼儀と感謝する大切さも教えてもらいました」
全国大会の出場が森重に自信をもたらし、サンフレッチェ広島ジュニアユースのセレクションを受け、見事合格。しかし、中学時代にはトレセンや県トレに落ちたこともあったという。 「サッカーを辞めたくなったことは?」と訊ねると「やめたいと思ったことは一度もないけれど、挫折はあった」という言葉が返ってきた。 「一番ショックだったのは、サンフレッチェ広島ユースに昇格できなかったことです。常に勝ち残っていく人の中から一歩外れてしまったと感じました」。 高校は広島県立広島皆実高等学校に進学。すぐにMFとして活躍し、1年生のときには全国高校サッカー選手権大会に出場した。試合を積み重ねる中、サンフレッチェ広島ユースと対戦するときだけは、いつも以上に「絶対に負けたくない、倒してやる」という強い感情が芽生えたという。けれど、このときの想いや昇格を逃し追いかける立場を経験できたことはプラスになったと振り返る。
高校時代にU-17日本代表にも選出され、卒業後はプロの道へ。大分トリニータからFC東京へ移籍し、今年は2016Jリーグ優秀選手賞にも選ばれた。日本屈指のセンターバックとして活躍し続ける一方、責任感やプレッシャーものしかかるにちがいない。「年を重ねるごとに、プレッシャーが生まれてきますし、きついと感じることもあります。けれど、それを乗り越えて、試合に勝ったり、目標が達成できたときに、満足感が得られる。 頑張ってきたからこそ、得られるものは大きいですし、それがサッカーの醍醐味だとも思いますね」
最後に、森重はサカママにこんなメッセージを送ってくれた。 「サッカーは、集団の中で自分をどう活かすか、活きるか。相手を尊重したうえで、相手のことも考えながらどう過ごしていくか……いろんなことが身につけられるスポーツです。だから親として、そういった環境を子どもに与えてあげるだけでも十分だと思うんです。あとは、そこで子ども自身が考えられるような環境にしてあげること。親が答えを与えてあげるのではなく、子ども自身が考えたり、ときには親と子が一緒になって考えたり。子どもと同じ目線で、よりそうくらいがちょうどいいんじゃないかなって。 それと、親としてチームの指導者を信頼することも大切だと思います」
※この記事は過去に読者のみなさまから反響の多かった記事を厳選し再録したものです。(2016年12月22日掲載)
写真/山口剛生