Jリーガーたちの原点 「遠藤渓太(横浜F・マリノス)」
激戦区の横浜で切磋琢磨
F・マリノスという存在感
昨年度、横浜F・マリノスが15年ぶりとなるJ1優勝を果たした。本拠地の日産スタジアムに、Jリーグ史上最多の6万3854人の観客を動員したFC 東京との最終節。試合を決定づける3点目を叩き込んだのが遠藤渓太だった。ハーフウェイライン付近でボールを受けると、一気に左サイドを駆け上がり、カットインから切り返し、豪快に左足でファーサイドを打ち抜いた。チームを優勝に導く、22歳の自信に満ち溢れたシュートだった。
F・マリノスの育成組織で育ち、突破力に長けたサイドアタッカーは、左サイドを主戦場に、サイドハーフ、ウイングバック、サイドバックを難なくこなす。今年は、連覇を狙う王者の主力としてだけでなく、日本代表としての飛躍も期待される。
そんな遠藤がサッカーを始めたのは「記憶が曖昧」と振り返る幼稚園の年中の頃。3歳年上の兄を追って、無我夢中でボールを蹴っていたという。
「小学生になると、授業が終わったら速攻で家からボール持って、学校の校庭に直行する毎日でした。けっこう強いチームに所属していたので、上の代には僕より上手いやつがたくさんいました。好敵手がいることで、楽しさだけでなく、いい緊張感がありましたね」
地元の二俣川サッカークラブでプレーする遠藤少年は、メキメキとその才能を開花させていく。後にプロ入りまで進路を共にする和田昌士(現・SC 相模原)と、チームの中心となって、“激戦区”横浜で頭角を現していった。そんな遠藤にとって、常に脳裏にあったのが“F・マリノス”の存在だ。
「住んでいた街にF・マリノスは身近にあったし、チームメイトの誰もがF・マリノスを目指していたと思います。神奈川県にはプロチームがたくさんあるけれど、子どもの頃はF・マリノスしかないとさえ思っていました(笑)」
サッカーに熱心な両親の導きもあり、週2回の横浜F・マリノススペシャル(SP)クラスに通うことになった。そして高学年になると、「セレクション」という厳しい選定の場に身を投じていくことになる。
セレクションという戦場
大会優勝後に直行したことも
F・マリノスなどJ リーグクラブの育成組織である選抜チームには「セレクション」という選考試験がある。数々のプロ選手を育て上げた「プロの目」が光るなか、子どもたちは与えられた時間のなかで自身をアピールしていかなくてはならない。トラップやパス、ドリブルといった基本スキルだけでなく、ボールの受け方や出し方、的確な指示を出し、広い視野を持って仲間を生かせる能力があるのか…等々、求められる要素はチームの方針により千差万別だ。総じて、あらゆる面において“高いレベル”が要求される厳しい環境であることは推して知るべし。子どもにとっても相当なプレッシャーであろう。
「拒絶反応とまでは言わないけれど、セレクションに行くのが本当にイヤでした。だって、緊張するじゃないですか(苦笑)。F・マリノスのSPクラスもセレクションがありましたし、プライマリー(F・マリノスのジュニアチーム)なんて、4次試験まであるんです。週末にセレクションを控えた週は、そのことばかり考えていましたね」
小学4年からは毎年セレクションを受けるようになった。大会を優勝した試合の直後に、父の運転する車に乗り込み、勝利の余韻に浸ることもなくセレクションに直行したこともあったという。小学生にとって、精神的な負荷があったことは想像に難くない。だが、遠藤はこの過酷な選考試験生活を振り返り、「今ではいい思い出」と言い切った。
「二俣川SCの仲間とやるサッカーは本当に楽しかったし、実際に三笘薫(現・川崎フロンターレ)率いる川崎フロンターレU-12に試合で勝つこともあったんです。でも、僕はセレクションでF・マリノスを目指し続け、ジュニアユース(中学年代)のセレクションに合格することができました。セレクションだからこそ味わえた緊張感があったし、ハングリー精神も養うことができたかなって。辛いこともあったけど、セレクションを受け続け、やり抜いたことが僕にとって分岐点だったと思います」
理不尽がない平等な環境
導いてくれた恩師の存在
中学年代から念願の“F・マリノス入り”を果たした遠藤だったが、それまで「王様のようにプレーしていた」環境とは異なり、全国の猛者が集うF・マリノス・ジュニアユースでは出場機会に恵まれず、劣等感に苛まれる日々もあったという。人は大きな挫折を経験すると、何か別の誘惑に引き込まれ、道を見失う時がある。それでも、遠藤がサッカーの本道から逸れることなく、ユース(高校)年代、トップチーム(プロ)とF・マリノスでステップアップし、「プロになる」夢を叶えた背景には、ある人物の存在があった。それは遠藤が2015年にMVP&得点王に輝いた「日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会」で監督を務め、現在トップチームのコーチとして尽力する松橋力蔵(まつはし・りきぞう)氏の指導方針にあった。
「リキさんには絶対にブレない信念がありました。例えば絶対的なエースがいて、練習を大幅に遅刻したとします。週末に大事な試合を控えていたら、普通はその選手を起用するかもしれない。でもリキさんは使わないんですよ。絶対に。理不尽がまかり通る環境がチームに一切なく、平等な姿勢、規律があったから、僕はサッカーを続けられたんだと思います」
厳しい父と、サポートを続けてくれた母
そのバランスがよかった
もう一人、遠藤が過去を振り返るときに名前が幾度も挙がるのが父親の存在だ。少年団の練習が終わると、いつも陽が暮れるまで公園で父親とボールを蹴っていた。
「みんなが公園で遊んでいても、僕と父はずっと隅っこで練習していました。率先してセレクションに連れて行ってくれたのも父でしたからね。当時はそれがすごく嫌でしたけど(笑)。でも僕が出会ってきたサッカー選手って、みんな親が熱心なんです。(プロは)楽しんでなれるような世界じゃないので、やっぱり厳しく指導してくれる親が大事なのかなって。今ではそう思います」
今後、Jリーグ、そして日本代表として、さらなる活躍が期待される遠藤。最後に全国のサカママ、そしてサッカージュニアにメッセージを残してくれた。
「僕の母親はいつも何も言わずにサポートを続けてくれました。父とは全く対照的に(笑)。でも、そのバランスがすごくよかったんだと思います。子どもにとって、親の存在ってやっぱり大きいですから。でも中学になったら、今度は子ども自ら将来のことを考えるようになりますよね。そこでブレるようではプロになれるとは思わない。どれだけサッカーに向き合えるか。夢に向かって、真剣にサッカーを続けてほしいと思います」
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