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SPECIAL INTERVIEW KUMON OB サッカー日本代表 中村敬斗[スタッド・ランス]

SPECIAL INTERVIEW KUMON OB サッカー日本代表 中村敬斗[スタッド・ランス]

今季ヨーロッパのフランス1部リーグで活躍し、来年開催のワールドカップでの活躍が期待される中村敬斗選手。「楽しい」が信条の中村選手ですが、その成長の裏にはいくつもの挫折を乗り越えた過去があります。ジュニア時代から自身の成長の軌跡を振り返ってもらいました。

中村敬斗選手の原点

大事にしている2つの言葉

-兄がきっかけで3歳からサッカーを始めたそうですが、当時はどんな少年でしたか?

「自分から前に出ていくタイプではなかったですね。学校の中では足が速い方で、友達は多かったです。ドイツワールドカップ(2006年)で活躍する選手を見て、『僕もいつかはこの舞台に立ちたい』と、その時から将来はプロになると本気で思っていました」

-中村選手がお持ちのピアスには「エンジョイ(enjoy)」「ジンガ(ginga)」という文字が刻まれているそうですね。

「サッカーもそうですが、何ごとも楽しくないと続かないと思っています。今は日本代表の試合に出場できるようになって、フランス1部リーグでも結果がでるようになりました。でも、こうしてステップアップしていく中で、目先のことばかり見ていては大事なものを見失うと思っています。1人でここまで来たのでなく、みんなのサポートを受けてきたから、この場所にいるんです。そういった意味で『楽しむ(enjoy)』と『原点に戻る(ginga※)』という言葉をすごく大事にしています」

※「ginga(ジンガ)」とは、ポルトガル語でブラジルの選手が生み出す独特のリズムのこと。中村選手は初心・原点に戻る言葉としてとらえているそうです。

中村敬斗選手のインタビュー風景

成長を支えた第三者の存在

親に言えないことも話せる大人

-個人専属トレーナーの花嶋義広さんとの出会いはどのような影響を与えてくれたと思いますか?

「花嶋先生に出会うか出会わないかで自分の人生は大きく変わっていたと思います。家族で利用していた花嶋先生の整骨院に、小1から通うようになりました。身体の使い方や、メンタルのサポートを含めて、サッカー選手としての自分の軸となるものを一緒に作ってくれた方だと思います

-指導というよりは、一緒になって伴走してくれたということですね。花嶋先生には親に言えないことも相談できたそうですね。

「小さい頃って、自分のもっている不安や不満を言葉にするのはなかなか難しいと思います。だからこそ、何でも聞いてくれる第三者の存在は大きかったです。花嶋先生は心を許せる存在で、本当に恵まれていたと思います」

-先生が言いやすい環境を作ってくれたのかもしれませんね。

「先生の前では“素の自分”を出せました。毎回会いに行く度に自分の気持ちをぶつけて、先生がそれを受け止めてくれたんです。もちろん、身体のケアのことなど、未来につながる色んなことを先生とは一緒に作り出せていけたと思います」

-特に印象に残っている言葉はありますか?

「本当にたくさんあって…、1つだけ挙げるとすれば『常に自己ベスト』という言葉を大切にしています。例えば試合に出られないと誰だって悔しいですよね。でも、そこでふてくされるのでなく、『何が足りなくて、今のベストの自分ならどこまでできるのか』を自己分析するんです。これは今になっても心がけていることです。もちろん、試合だけではなく、毎日の練習から心がけることが大事です。適当にやるのではなく、毎日真剣に取り組むことが未来につながっていくのだと思います

中村敬斗選手のインタビュー風景

敬斗流「考える力」と「続ける力」

「常に自己ベスト」を生んだ転機

-その言葉を実践するきっかけはどんなものだったのですか?

「小6の頃、柏レイソルU-12では自分のサッカーができなくて不満を抱えていました。練習にも出ず、ずっと同級生と遊んでサッカーはゲーム形式ばかりしている時期があったんです」

-中村選手は地元の少年団『高野山SSS』でサッカーを始め、地域の強豪クラブ『柏イーグルスTOR’82』を経て、小4から柏レイソルU-12でプレーしていました。パスでつなぐチームのコンセプトが、ドリブルが大好きな当時の中村選手に合わなかったそうですね。

「そんな僕を見かねた花嶋先生が『大丈夫?このままで将来いいの?』って声を掛けてくれました。そこで先生から提案されたのが『坂道ダッシュ』でした。その時はサッカーへの気持ちが消えかけていたこともあって、数回だけやって2分ほどで終わらせていたんです。でも花嶋先生から『2分で意味ある?』って言われて…(苦笑)。そこから、少しずつ本数を増やしていきました。今日10本できたら、来週は15本、来月は30本…、とクリアするたびに目標を上げていきました。坂道ダッシュは本当に苦しかったけど、やりたくないことに取り組むことも大事だと思って続けました

-どうしてそう思えたのでしょうか?

「僕は性格が頑固で、こうと決めたことは曲げずに突き進むタイプなんです。もちろん、色んな人に相談はしますよ。ただ、自分の中にブレない軸のようなものがあるんです。今になってみると、あそこで投げ出さなかったことで、体力もメンタルも鍛えられたんだと実感しています。坂道ダッシュを続け、練習から逃げることはなかったですけど、柏レイソルU-12は自分から辞めると決めていました」

-つまり、サッカーが嫌だからという理由でなく、楽しく続けるための選択だったと。ご両親からの反対もなかったそうですね。

「親からは『自分で決めろ』とだけ言われました。自分の決断に責任をもつこともそうだし、親が言ったことを逃げ道にしてほしくなかったのだと思います。地元ではみんな柏レイソルU-12に入るのが目標だったから、辞めた後にどのチームに行くかは迷っていました。でも自分のなかに『縛られたくない』って確固たるものがあり、楽しくサッカーができる地元の少年団に戻ることにしました」

-少年団ではサッカーの楽しさを取り戻すことができましたか?

「もちろん“楽しい”ということだけではなくて、僕の中では全日本少年サッカー大会(現JFA 全日本U-12サッカー選手権大会)で“打倒・柏レイソル”という目標を掲げてやっていました。結果、その目標は達成できませんでしたが、サッカーに対して迷いがなくなりました。柏レイソルU-12退団と花嶋先生が提案してくれた坂道ダッシュを続けたことは、サッカー人生の大きな転機でした。そこから現在まで、一度も練習をサボったことはないし、この時にツライことを続けられたからこそ、プロになってうまくいかないことがあっても、腐らずに自分を見失うことなく『自己ベスト』を続けられているのだと思います

中村敬斗選手の試合出場の風景
今季フランスリーグ1部のスタッド・ランスでは11ゴール2アシストを記録。チームメイトで日本代表の伊東純也選手、関根大輝選手と共に、フランス・カップ決勝では欧州王者のパリ・サンジェルマンと頂点を争った。

小さな目標を毎日アップデート

-小学生の頃、自主練のメニューをご自身で考えて取り組まれていたそうですね。

「チームで練習しているだけではプロになれないと思っていました。周りと違う場所で、どれだけ充実した練習をできるかが大事だと思っていたんです

-目標は常に設定していましたか?

「坂道ダッシュと一緒で、リフティングが10回できたら次は20回を目指す。そういう目の前の課題をクリアしながら小さな目標を立ててやっていました。もともと確立したメニューがあったわけでなく、例えばシザース(フェイントのテクニック)ができたら、次の新しいドリブルのテクニックをアップデートしていく。今までやってきたことも継続して行っているので、どんどんやることが増えていきました」

-メニューは全部自分で考えていたのですか?

「練習を見てくれていた母親、そして花嶋先生と相談しながらやっていました。毎日ノートにやったことを全部書いて、できたことにチェックを入れて、次の日にやることを考える。そうやって相談しながら、最後に何をするかは自分で決めていました」

-ご両親は、どんなふうに中村選手を見守り、支えてくれていたと感じていますか?

「母親とマンツーマンで練習して、父親は仕事から帰ってきた後はずっと練習を見てくれていました。振り返ると小学生の頃は、ずっと親と一緒にサッカーをしていましたね。中学、高校になっても、駅まで車で送迎してくれて、トレーニングのために河川敷まで連れて行ってもらっていました。プロになって(高校卒業を待たずに飛び級でガンバ大阪とプロ契約)、初めて1人で生活することになってから、親から支えてもらったありがたみを実感しました」

自己肯定感を育んだ環境

自主性を養った“もう1つの家”

-中学・高校でプレーした三菱養和SCを選んだ理由は?

「ジェフユナイテッド市原・千葉の練習会にも参加しましたが、練習場が遠すぎて通えませんでした。養和は地元の先輩が通っていたので練習に参加させてもらいましたが、こちらも電車で1時間ほどかかるんですよ。でも、すごくアットホームでJリーグのアカデミーとは違った雰囲気が自分に合っていると感じて決めました」

-養和での中学時代は「人生のピークくらいサッカーが楽しかった」と言っていましたね。

「間違いないです。毎日練習に行くのが本当に楽しくて、早く学校が終わらないかと思っていたくらいです」

-仲間と一緒にプレーできる喜びが大きかった?

「 そうだと思います。うん、それが一番ですね。いつも仲間と一緒だったからすごく楽しかったです。僕たちジュニアユースの練習が終わって、高校生のユースの選手がグラウンドに入ってきても、僕らは隅っこに残って練習していました。そもそも練習って苦になりがちじゃないですか?

でも僕らはトレーニングが終わった後も1vs1やシュート練習をずっとやっていました。納得いくまで練習して、みんなで弁当を食べて帰る…そんな毎日がめっちゃ楽しかったです(笑)」

-チームの何が自分に合っていたと思いますか?

「Jリーグのアカデミーでは組織論や戦術的な部分を教わることが多かったですが、養和には『自分がやりたいことをやっていいよ』という、個を尊重してくれるチーム文化がありました。自主性を重んじるチームだったから、自分で考える力を養うことができたと思うし、僕の性格にマッチしていたんだと思います。練習場には『天真爛漫』というチームの横断幕が掲げられていて、指導者もフレンドリーで、いつも選手と一緒になって笑っていました。今でも連絡を取っていますし、僕にとってもう1つの家族みたいな存在でした

-チームを卒業しても関係が続いているのですね。

「だからチームのOBには養和のコーチになる人が多いんです。僕も将来、養和のコーチになったら楽しそうだなって(笑)。養和では本当にいい仲間と出会えました」

KUMONでの学び

寄り添ってくれた先生の存在

-小学生の頃にKUMONに通っていたそうですね。

「家から歩いて行ける距離にKUMONの教室があって、兄の影響もあって小1~小3まで通っていました」

-印象に残っていることは?

「僕は小学校低学年の頃、文字を読むのが苦手で音読が上手くできなかったんです。周りはみんな読めていたから恥ずかしかったし、すごく音読が嫌でした。でもKUMONの先生は『ゆっくり読むといいよ』って見守ってくれて、アドバイス通りに練習したら、徐々に読めるようになったんです」

-小学校の集団生活では、1人の生徒にそこまで寄り添うのは難しいかもしれません。

「だからすごく助かりました。結果、スラスラと文字を読めるようになり、嬉しくてしょうがなかったです。コンプレックスを克服させてくれたので、それはすごく鮮明に覚えています」

-最後にサッカージュニアに向けてメッセージをお願いします。

「僕はやりたくないことをやらなくていいとは思いません。コツコツ続けること、地味なことって実はすごく大事なことなんです。小さい頃からの積み重ねが、後になって活きてくることが必ずあります。みんなサッカーも勉強も頑張ってください」

中村敬斗選手の成長法則

中村敬斗選手がサッカーを通して成長してきた過程には、いくつものターニングポイントがありました。筆者の質問にも熟考しながら真摯に、そして素直な思いを語ってくれた中村選手。その成長ポイントをチェックしてみましょう。

「サッカーを続ける」ための主体的な決断

中村選手は小6年次に強豪・柏レイソルU-12を離れる決断を自ら行っています。それは「嫌だから、ツライから」という理由ではなく、「サッカーを好きでいたいから」という前向きで主体的な選択でした。「頑固」と自称する中村選手ですが、この頃から強くブレない軸が育まれていたのかもしれません。

何でも話せる「第三者の存在」

決して「自分から話しに行くタイプではなかった」という中村選手のジュニア時代、通っていた整骨院の花嶋先生は、「親にも言えないこと」を話せる気の許せる存在でした。どんな相談も受け入れてくれた花嶋先生は、今も中村選手にとって大事な併走者です。

目標設定「どんなもんだい!」

家族で相談して自主練を続けてきた中村選手。目標設定にこだわり、ご両親は課題をクリアするたびに目標を常にアップデートしていったそうです。スモールステップを乗り越える達成感が次への前向きなモチベーションとなり、中村選手の負けず嫌いな性格も相まってメキメキと実力を伸ばしていきました。

主体性を育んだ「サードプレイス」

中学、高校でプレーした三菱養和での5年間は中村選手の成長に欠かせない「環境」でした。個を尊重するチームは、選手が発言しやすい雰囲気をつくり出し、「人生のピークでサッカーが楽しかった」と中村選手。親から離れたサードプレイスで、かけがえのない仲間と共に、中村選手の自己決定感は大きく育まれていきました。

中村敬斗選手の試合出場の風景

専属個人トレーナーが語る少年・中村敬斗とは?
花嶋義広さん

専属個人トレーナー 花嶋義広さん

「なんでも吸収するスポンジのような子でした」

敬斗君が小学生の頃、同世代の子に比べてよく質問してきた印象があります。逆に言いたいことが言えない時はモジモジするので「どうしたの?」と聞き出すようにしていました。僕は否定したことは一度もなく、「できなかったことは伸びしろ」だと伝えてきました。彼は努力の天才で、良いと思ったことはスポンジのように吸収して、ツライことも諦めずに乗り越える力があったと思います。今の活躍は心の底から嬉しいし、笑顔で帰ってきてくれるとホッとします。これからも変わらず縁の下の力持ちとして、陰ながら敬斗君をサポートしていきたいと思います。

PROFILE ●一般向けに我孫子と浜松で予約制で施術を行う、数か月先まで予約が取れない人気の施術師。プロ選手は中村敬斗選手のみの独占契約でサポートを行っている。

「インタビュー動画

前半

後半

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写真/野口岳彦

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