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Jリーガーたちの原点「渡邊 凌磨(FC東京)」

Jリーガーたちの原点「渡邊 凌磨(FC東京)」

父とのパス&コントロールが、プレースタイルにつながっている

いまやFC東京の戦力として欠かせない渡邊凌磨。サッカーの名門、群馬県前橋育英高校で中心選手として活躍し、全国高校サッカー選手権準優勝に貢献。早稲田大学へ進学するも、すぐに大学を辞め、単身ドイツへ渡り、ブンデスリーガのクラブ「インゴルシュタット」と契約。18歳という若さで海外に挑戦し、夢を実現させた。

そんな渡邊が生まれ育ったのは、埼玉県東松山市。父親がきっかけでサッカーを始めたと振り返る。「父がサッカーをやっていたので、幼い頃からついて行って、一緒にボールを蹴っていたのを覚えています。小学1年生の時に、地元の少年団に入りました。小学生時代は中心選手で、『ボールは僕にまわして』みたいな感じだったと思います(笑)」

父親が休みの日には、決まって2人でサッカーをしたという。「父とパス&コントロールをやるんですけど、2人の距離は5~10mも離れているのに、僕がパスをして父の位置から一歩でもずれると取ってくれないんですよね。だから、蹴るたびにビクビクしていたし、父のもとに正確にパスが届かないから、自分で蹴ったボールを取りに行くのを何度も繰り返したり。でも、振り返ってみると、それが自分のプレーの丁寧さやプレースタイルにつながっているのかなとも思いますね」

一方、母親は毎日のようにサッカーの送迎をしてくれながらも、サッカーについて口にすることは一度もなかったという。「少年団だったので、親がしなければいけないサポートがたくさんあって、大変そうではあったんですけど、母は僕には何も言ってこなかったんですよね。大人になってから、つくづくあの頃は、大変だったんだろうなと思います」

 

クラブチームのコーチが、サッカーのすべてを教えてくれた

中学のサッカー進路は、一つの分岐点になることも多いが、渡邊はさほど重要には考えていなかった。「6年生の時に、いくつかチームのセレクションを受けに行きました。ただ、本当に行きたかったチームのセレクションの時に、骨折をしていたので受けることができなかったんです。サッカーが上手くなりたいという気持ちはありましたけど、本気でプロになりたいという思いはなかったので、中学のサッカー進路は、それほど悩まなかったんです」。結果、決めたのは、クラブチーム「熊谷レジェンド」。その理由も、チームの監督が父親の知り合いで仲が良かったからというものだった。

しかし、熊谷レジェンドでの出会いが渡邊の気持ちを突き動かした。「このチームのコーチに、サッカーのすべてを教えていただいたと思っています。サッカーの本質や上の世界があること、成り上がり方、プロになるためにはどういう練習が必要なのか。いろいろなことを教えてもらう中で、中学2年生の頃、本気で『プロ選手になる』と決めました。コーチに教えていただいたことは、今もなお僕のサッカーの土台になっています」

小・中学生時代に大事なのは、自分が成長できる場所で努力すること

プロになると決意したことは、サッカーはもちろん、勉強に対する向き合い方にも変化をもたらした。「当時はサッカーも、学校の授業も正直、適当にやっていました。でも、プロになると決めて、サッカーを本気で取り組み始めたら、行きたい高校も見えて、初めて勉強もしっかりやらないといけないと思いました(苦笑)。高校は、埼玉県・西武台高校に進学しようと考えていたのですが、チームのコーチから『本気でプロを目指すなら、前橋育英高校の環境に飛び込んだ方がいい』と言われて、サッカー推薦を獲得するために、勉強も頑張るようになりました。ただ、それまで勉強をしてこなかったので、サッカーとの両立は大変でしたね。日頃の生活態度も変わったり、いろいろな相乗効果があったと思います」

小・中学生の頃について「『サッカーを学ぶ』ということに努力していたと思います」と渡邊はいう。「僕の持論ですが、小・中学生の間は、弱いチームでも強いチームでも、どのチームにいても問題ないと思っているんです。その中で核になるのは『自分が成長できる場所』かどうか。そこで努力を積み重ねて、高校生年代で勝負できるサッカーの能力をつけることが大事だと思っています。結果的に僕は、そうした場所でサッカーを学び、頑張って練習を続けていたことが、その後のサッカーにつながっている気がしています」

 

とにかく海外でチャレンジしたい。18歳の時、思いのままドイツへ

前橋育英高校に進学し、メキメキと力をつけた渡邊の活躍は前述のとおりだ。日本高校選抜のメンバーに選ばれ、デュッセルドルフ国際ユース大会に出場した際、その活躍がヨーロッパのスカウトの目に留まったことから、ドイツ行きを決意したという。その時の心境を聞くと「あの時は、とにかく海外でチャレンジすることしか考えていなかった」と振り返る。

「18歳から約3年間、ドイツに行きましたけど、若さってすごいなぁと思う部分はありますね。海外では、1人で生活する中で語学を学び、人間関係も一からつくっていかなければいけない。相当なパワーが必要でした。でも、ドイツに行って本当によかったと思っています。あの年齢では、なかなかできない経験だったし、今となってはドイツ行きを決断した自分を褒めたいなと。当時は思っていたことを率直に行動するのは、むずかしい部分も多かったのですが、自分がやりたいと思ったことはやるべきだと実感したし、そうした行動が大事だと思っています」

2021年にFC 東京に加入し、3年目となる今シーズン。第8節のセレッソ大阪戦で記録した得点が4月の月間ベストゴールに選ばれ、ますます活躍が期待されている。「FC東京の先輩たちと一緒にプレーできるうちに、いろいろと学びたいという気持ちがあります。1シーズンは、あっという間に終わってしまうので、1日1日を大事にして、先輩たちから学ばせてもらったことを自分の糧にできればと思っています」

最後に、全国のサッカージュニアとサカママにメッセージを残してくれた。「僕自身、プロになって、『サッカーが楽しい』と思うことが1番むずかしいと感じることもあるんですね。だから、子どもたちは、今、抱いている『サッカーが楽しい』という気持ちを忘れずに続けてほしいと思います。その気持ちがあれば、必然と上達していくだろうし、上手い選手ほど、楽しんでサッカーをやっている人が多いんですよね。

お母さんたちに伝えたいのは、子どものサッカーに関することは口を出さず、そっと見守ってほしいということです。サッカーのことは、きっと子ども自身が一番わかっていると思うんです。僕の場合、どんなことがあっても『大丈夫だよ』と見守ってくれていたのが母で、唯一の拠り所だったんですよね。だから、結局、いつも母に相談していました。『何かあったら私に話してきて』というスタンスでいてくれたのが嬉しかったという思い出があるので、そんなふうに見守っていただければと思います」

写真提供/FC東京