Jリーガーたちの原点 Special「古賀太陽(柏レイソル)」
人気連載「Jリーガーたちの原点」。今号は、柏レイソルで現在キャプテンを務める古賀太陽選手に、両親のサポートなくしてあり得なかったサッカー漬けの幼少時代や13年前に出場した第34 回全日本少年サッカー大会の思い出を語ってもらいました。
親御さんが立ち上げた僕らの少年団。仲良しのみんなとボールを蹴る幸せ
―― 最初に、サッカーを始めたきっかけを教えてください。
「もともと体を動かすのが好きで、幼稚園の年長の時、『サッカースクールの体験に行ってみない?』と母に勧められたんです。友だちと一緒に参加したらすごく楽しくて、それからサッカー三昧の日々が始まりました」
―― その後、舞浜FC ファルコンズというクラブに入ったんですよね?
「小学2年生の頃、仲が良かったメンバーの親御さんたちが立ち上げてくれたクラブなんです。だから僕らが1期生。通っていた小学校をメインとした少年団はなかったので、サッカーができる環境を整えてくださった皆さんには本当に感謝しています。友だちとワイワイ、もう練習が毎回楽しくて。ときどき大学生コーチが来てくれたりもして、大人に負けないようにと立ち向かっていましたね」
―― そんな環境を親御さんが一から作ってくれたなんて話、なかなか聞いたことがありません。
「もしファルコンズがなかったら、仲良しのみんなと一緒にサッカーをやれてなかったかもしれない。お父さんお母さんたちには感謝してもしきれません」
―― それから2008年、4年生の時に柏レイソルU-12(以下、レイソル)に加入した経緯は?
「プロを目指すならセレクションを受けてみてもいいかもねと、仲間たちと受けに行ったんです。プロへの近道なのかなと漠然とは考えていたものの、力試しという感覚でした」
―― そこで合格したことで、ファルコンズからは移籍しなくてはいけなくなったんですよね。
「めっちゃ寂しかったですよ(笑)。選手コースに合格したのは僕1人で……。それにレイソルの下部組織に入れたからといって、ただプレーしていれば上に上がっていけるわけじゃない。当時は弱気で、『また帰ってきたらお願いします!』みたいな感じでファルコンズのみんなに挨拶したのを覚えています(笑)。新しい環境を前にビビってたのかもしれませんね」
何も満足できずに準決勝で負けた日、普段は厳しい両親の言葉に救われた
―― レイソルに入った時は、全日本少年サッカー大会(現JFA 全日本U-12サッカー選手権大会)の存在は知っていたのですか?
「そこまで先のことは考えられていなくて。合格した他のメンバーがめちゃくちゃ上手かったこともあり、当時はとにかく頑張らなきゃと必死で、ひとつひとつ目の前の練習をこなしていました。生き残っていかなきゃ、上手くならなきゃって、そこで一気にサッカーに対する意識が変わりましたね」
―― そのためにどんな取り組みをしていたのですか?
「少年団では前方のポジションだったのが、レイソルでは後方や左サイドでプレーすることが多くなりました。それもあって、特に左足の練習は、普段から触る機会を意識的に増やすようにしていましたね。その時の取り組みが今に繋がっています」
―― 2010年、6年生で出場した決勝大会の思い出は?
「個人的に大会を通して調子が悪く、点も取れずにモヤモヤしながらプレーしていました。チームは勝ち上がっているのに自分は悩んでいて、その感情が難しくて。特に記憶に残っているのはやはり、めちゃくちゃ悔しかった準決勝のバディーSC 戦です(2ー1で敗北)。J ヴィレッジで最後の開催となった準々決勝のソレッソ熊本戦も、1ー1でPK 戦の末に勝てたのですが、僕にとってはもどかしい試合でした」
―― この大会を経験して成長できたことはありますか?
「個人として何もできなかったので、全国の舞台で活躍できる選手にならなきゃいけないなと強く感じたのを覚えています。チームメイトは活躍してメディアにも取り上げられていたし、それに負けずに食らいついていかなきゃなって。とにかく悔しい大会でした。でもその気持ちがバネになりました。全国大会に出たからといって何も満足することはなかったですね。当時はそう思えてなかったけど、振り返るとあの悔しさも大事だったのかなと思います」
―― 親御さんは、そんな古賀選手の姿をどう見ていたのでしょう?
「特に思い出深いのは、準決勝で負けた日。家に帰ってもかなり落ち込んでいたのですが、そこで両親が『この全国大会の中でも一番走っていたし、太陽の気持ちが見えたよ』と声をかけてくれて。その言葉に救われたんです。自分を肯定してくれたことが、次に向かっていくためには大事な要素だったんだと思います。普段厳しかったからこそなおさら響いたのかもしれないですけど、前向きに取り組んでいこうって気持ちになれたんです」
あの頃も今もずっと大切にしてきた、感謝の思いとサッカーを楽しむこと
―― 小学生の頃から柏まで通うのは大変だったのでは?
「両親には相当な負担だったと思います。舞浜駅から柏駅まで約1時間かけて通っていたのですが、学校が終わると校門まで迎えに来てくれていて、車に飛び乗って着替えて練習に向かうという生活を小・中とさせてもらいました。今思うと、当たり前ではなかったなって。高校時代もいつも夜遅くに駅まで迎えに来てくれましたし、感謝しかないです」
―― 食事の面はお母様がサポートを?
「毎朝作ってくれるお弁当はもちろん、U-15の頃は学校から駅に向かう間に食べる軽食も用意してくれていました。そういえば小学生の時は夜も練習後にお弁当を持っていくシステムで……ほんとに贅沢な生活を送っていたなって。家にはジュニアサッカーやレシピの本もたくさんありましたし、その頃からいろいろ考えてくれてたんだと思います」
―― ジュニアサッカーの現場を見ることはあるのですか?
「最近は少し減ってしまいましたが、レイソルに限らず、ファルコンズに顔を出すこともあります。今の子どもたちは、本当に上手いですよね。こんなに上手い?って毎回びっくり! 高学年の子と1対1をしても、普通に重心を外されたりしますから(笑)」
―― サッカーを頑張っている子どもたちに伝えたいことはありますか?
「とにかくサッカーを楽しむことが一番。僕もそれを忘れないようにプレーしていました。楽しいってところから、上手くなりたいって気持ちも生まれると思うんです。僕の場合は少年団の最初の2年、その時に感じたサッカーをする喜びが今も心の奥底にあります。当時は1対1で抜くことや相手の逆を突くプレーに楽しさを覚えていましたが、実際それが現在の僕の長所になっているし、ずっと大切にしてきたことなんです」
―― 最後に、サカママへのメッセージもお願いします。
「簡単ではないでしょうけど、できる限りのサポートをしてあげてほしいと思います。僕にとっては親の存在が本当に大きくて、それがあったからこそ今プロサッカー選手として生きていられる。すべてがのちに繋がってくるので、子どもたちの可能性を信じて、いろんなことを試しながら応援してあげてほしいですね」
写真提供/柏レイソル