Jリーガーたちの原点 Special「貴田遼河(名古屋グランパス)」
2023年5月、現役高校生ながら名古屋グランパスとプロ契約を締結した貴田遼河選手。Vol.41で親子対談を行った際に「プロ選手になったら最初のインタビューはsoccer MAMA で!」と交わしていた約束がついに実現しました。
小さい頃から夢だったプロ選手。やっとスタートラインに立てた
―まずは名古屋グランパス(以下、グランパス)とのプロ契約、おめでとうございます。率直に、今の気持ちを聞かせてください。
「やっとスタートラインに立てたという思いです。小さい頃からプロ選手になることを1つの夢として頑張ってきたので、ここからさらに努力しなければいけないと思っています」
―ご両親の反応はどうでした?
「母はすごく喜んでくれましたけど、父には『ここからだぞ』と言われました(苦笑)」
連載「Jリーガーたちの原点」ではプロ選手のジュニア時代のことを中心にお聞きしています。まず、貴田選手がサッカーを始めたきっかけを教えてください。
「最初は野球をやりたいと思っていたんですけど、兄がサッカーをしていた影響で、野球を諦めたような記憶があります。東京ヴェルディ(以下、ヴェルディ)のスクールに入ったのは4歳の時。父からは何事にも『やるなら1番になれ』と言われていて、サッカーでも1番を目指せと言われました」
―プロ選手に話を聞くと「小学生の頃は暇さえあればボールを蹴っていた」という方が多いのですが、貴田選手もそうでした?
「今も変わらないんですけど、当時から純粋にサッカーが大好きだったので、ずっと一人でボールを蹴っていたのを覚えています。いつも父から練習の目標を与えられて『できるまではやる』と約束していたんです。その目標をクリアするのも楽しかったんですよね。ただ、時々、父からサッカーについて言われるので、腹立つなぁと思うことはあったんですけど(苦笑)」
―お父さんはサッカー経験者だったんですか?
「サッカーはやってないですし、本を読んで戦術を学んだりなども一切していなかったんです。ただ、上手い選手のプレーを見たり、僕のサッカー映像を繰り返し見て、ずっとサッカーの勉強はしていました」
―お母さんはどんなサポートをしてくれていました?
「栄養に関する本をたくさん読んで、いつもバランスを考えた食事をつくってくれました。今でも、栄養面でのサポートには本当に感謝しています。父にサッカーのことで怒られた時に母の元へ行くと、一緒に泣いてくれたこともありました。つねに寄り添って、慰めてくれたり、励ましてくれたり。両親のサポートのバランスがよかったと思っています」
もっといい環境をつくるために、両親が引っ越しを提案してくれた
―前回の親子対談の中で、小学1年生の時に白血病になって、それを乗り越えたという話をお聞きしました
「きつい治療もあったんですけど『サッカーをするために』という思いがあったから頑張れたことが多かったですね。病気に打ち勝ったからこそ、サッカーができる喜びも感じられるようになりました。
両親からずっと言われているのは『誰もしたことのない経験をしたのだから、本当に辛い時は、それを思い出せば乗り越えられる』ということ。きついことがあっても、そこでもうひと踏ん張りできるのは、あの時の経験があったからだと思います」
―「環境は絶対に親しか与えてあげられない」という、お母さんの言葉は印象的でした。家族でヴェルディのグラウンド近くに引っ越しをしたんですよね?
「 小学2年生の時にヴェルディのセレクションに合格して、月・木曜以外は練習があったんです。帰宅するのがいつも午後10時過ぎだったこともあり、両親が僕のために、引っ越しを提案してくれました。
引っ越せば休みの時もヴェルディのグラウンドで練習できるし、睡眠時間もとれる、もっといい環境をつくってあげられるって。今思うと、すごく嬉しいことなんですけど、当時は、友達と離れたくなかったですし、転校するのが嫌でしたね(苦笑)。引っ越したのは小学5年生の頃。グラウンドまで歩いて通える距離になったので、サッカーに費やす時間が増えて、より集中できました」
振り返るとケガをしてしまったことも、成長につながっている
―中学サッカー進路で、FC多摩ジュニアユース(以下、FC多摩)を選んだのはなぜですか?
「すごく悩んで、家族とも何度も話し合って、最終的にはFC 多摩が一番自分を鍛えてくれる環境だと思って決めました。僕が所属していた頃は、今ほど強豪チームではなかったんですけど、1年生の頃から『全国大会で優勝する』という強い気持ちを持っていて、周りにも発信していたんです。
中3の時、キャプテンになり、中心となって働きかけていたら、チームのみんなが全国大会出場ではなく、全国大会優勝を視野に入れてくれるようになって。高い意識を持った結束力のあるチームで臨めたので、優勝はできなかったですけど、初めて全国大会でベスト4まで行くことができました」
―高校から名古屋グランパスのユースへ。順風満帆ですか?
「 高校2年生の時にヘルニアになった時期がありました。腰が痛くて、ボールを蹴ることもできなかったので、かなりメンタルも落ちてしまって。でも、その時に弱いと言われていた体幹のトレーニングに励んで強化することができたので、振り返るとケガがあったから成長できたと思っています。寮生活になって痛感したのは、親のありがたさです。寮の食事はおいしいんですけど、やっぱり母の味が恋しくなる時はありますね(笑)」
チームを勝たせることができるフォワードになりたい
―プロサッカー選手になった今、これまでとの違いを感じることはありますか?
「トレーニングのレベルが高く、吸収できることが本当にたくさんあると感じています。通用しないプレーもあるんですけど、それも楽しいと思えるんです。ユースでは考えられないようなパスコースにボールが出てきたり、無理だろうなと思ったところにボールが入ってきたり。トップの選手から、これまで聞いたことのないアドバイスを直接もらえるのも嬉しいですね」
―今、目標にしていることは?
「一番近い目標は、グランパスでスタメンに入ることです。チャンスがまわってきた時は点を決めて、出場時間を増やしていきたいです。グランパスの主力として、チームを勝たせることができるフォワードになりたいと思っています」
―この先、世界への挑戦も視野にありますか?
「今、海外で日本の選手が活躍している姿を見て、僕も同じ舞台に立ちたいという想いは強くなっています」
―最後に、子どもたちとサカママへメッセージをお願いします。
「子どもたちは、純粋にサッカーを楽しんでほしいと思います。僕自身、小学生の頃は今よりももっと、サッカーが楽しめていた時期だったんですよね。壁が出てきたり、練習が面白くない時期もあると思うんですけど、やるからにはサッカーを楽しんだほうがいいと思います。
僕は、子どもの頃から常に『サッカーのことでは誰にも絶対に負けたくない』という強い気持ちを持っていたことが、プロになれたことにつながっていると感じています。プロを目指して頑張っているなら、リフティングなどのちょっとした練習でも『誰にも負けたくない』という気持ちで取り組んでほしいと思います。
『親にしか作れない環境がある』という思いで引っ越しまでしてくれた両親には感謝していますし、2人の支えがあったからこそ、今の自分があると実感しています。子どもは絶対に親の支えが必要なので、親御さんのできることで、サポートしてあげてほしいなと思います」
★貴田遼河選手とお母さんの対談はこちら。ぜひ一読を!
写真/佐藤彰洋