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Jリーガーたちの原点「松井大輔(横浜FC)」

小学生の頃から好きだったドリブル 
1対1の練習をひたすらやった

今シーズン、13年振りにJ1に復帰した横浜FCでプレーする、サッカー元日本代表の松井大輔。名門・鹿児島実業高校から、京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)に加入。その後、フランス、ロシア、ブルガリア、ポーランドと海外でプレーし、39歳となった今なおピッチに立ち続けている。

松井がサッカーを始めたのは小学3年の時。地元(京都)の大宅サッカースポーツ少年団に入部した。
「少年団の練習は週2回で、それ以外も毎日仲間とサッカーをしていました。同級生には山崎雅人(元プロサッカー選手)がいたり、チームも強かったので、関西トレセンに行くようにもなったんです。当時はまだJリーグもなかったので、プロになりたいというよりは、上手い選手と一緒にプレーしていくうちに、どんどんサッカーが楽しくなっていったのを覚えています」

小学生の頃は、サッカー以外のスポーツもやっていたと振り返る。
「水泳、野球など、いろいろなスポーツをやりました。身体を柔らかくするために、器械体操に通ったことも。そのおかげかどうかはわからないですけど、内転筋など足周りの筋肉は柔らかいですね」

松井といえば、巧みなドリブルが持ち味でもあるが、その原型はこの頃からの練習で形作られたといってもいいだろう。「ドリブルはすごく好きだったので、1対1の練習をひたすらしていました。それは、ずっと変わらなかったですね」。驚くことに、過酷な日々だったという高校時代でさえも、休みの日には同級生の那須大亮(元プロサッカー選手)と一緒に公園に行って1対1の練習をしていたという。

少年団でメキメキと才能を開花させていく松井少年だが、「毎日が挫折だった」という意外な答えが返ってきた。
「監督がすごく厳しかったので、叱られることもあったし、キャプテンとしてチームをまとめないといけないのに、試合に負けてしまったり。小さな挫折のようなことが毎日あったんですけど、それを乗り越えながらサッカーを続けられたので、今ではよかったと思っています」

両親のおかげで強豪校へ転校 
サッカー留学も考えるように

 
写真提供/YOKOHAMA FC

両親はどんな時も支え続けてくれたと話す。
「父親が陸上をやっていたこともあって、小学生の頃は毎朝6時に起きて、田んぼの周りを一緒に走ってくれました」

中学になると反抗期になり、さらに荒れていた世代だったゆえ、やんちゃをしたこともあったとか。しかし両親は怒らず、つねに好きなことはさせてあげようというスタンスだったという。

また、中学で所属したチームは弱く、よりレベルの高いチームを求め、関西選抜などでも監督を務めた牧戸万佐夫氏が指揮をとる強豪校・藤森中学校へ転校することに。
「当時は、公立から公立への転校も大変でしたし、京都という地域柄、保守的でもあるので、チームを移るとどうしても裏切り者と言われてしまう。だから、両親が偽装離婚のような形をとってくれて、引っ越すことができたんです。僕のためにそこまでしてくれた両親には本当に感謝しています」

関西地区で頭角を現すようになった松井は、中学3年次に、フランスの名門パリ・サンジェルマンの練習に参加し、海外に留学したいと思うようになった。
「サッカー留学の最終的な判断は両親に任せたんです。結果、止められましたけど、両親は全面的に支えてくれましたし、そう決断してくれてよかったと思っています」

人生で一番つらかった高校1年の頃 
離れていながらも両親が支えてくれた

「高校は自分が成長できるところに進学したい」― そう思った松井は、奈良育英、東福岡などの強豪校、ガンバ大阪やパープルサンガのユースなど、いろいろなセレクションを受けたという。その中から選んだのは、鹿児島実業高校(以下、鹿実)だった。
「藤森中の牧戸先生に『テクニックはあるけれど、フィジカルと精神面が足りない』と言われたのがきっかけです。体力とメンタルを鍛えるなら鹿実しかないと思いました」

自分で決めた進路だったものの、高校1年次は「人生で一番つらかった」と話す。「今まで親元から離れたことはなく、慣れない地域でしたからね。それに朝練が朝5時から1時間あって、授業後16時半~22時まで練習、その後、先輩の洗濯が夜中の3時くらいまでかかるんです。夏は合宿で朝、昼、夕方と3部練があったり、365日地獄(苦笑)。気が休まる場所はトイレだけでしたね」。両親も松井を心底心配していたのだろう。「母親からは毎日電話がありましたし、父親は月に1度のペースで鹿児島に来てくれて。『引っ越ししようか』とまで言ってくれていたのを覚えています」。ある時、両親に黙って鹿児島から京都に戻ったことも。しかし、両親は何も言わず、松井を鹿児島に帰したという。

離れていながらも両親に支えられたこと、また2年次になると、レギュラーで試合に出られるようになり、先輩とも仲良くなれたことから、気持ちは楽になっていったと話す。そして、3年次には高校サッカー選手権で準優勝を果たす。鹿実で3年間を過ごしたことが成長の糧となり、上述した高校卒業後の活躍につながっていったといえるだろう。

現役を続けられているのは
今もサッカーが楽しいと感じるから

 
写真提供/YOKOHAMA FC

「大輔」という名は、「いろんな人を助ける―そんな人間になってほしい」という意味を込めて付けたと、両親から聞いたという。「サッカー選手になれたことで、いろいろな人を勇気づけたり、支援できることもあります。それは、名前の由来なのかもしれないですね」と話す松井は、今年でプロサッカー選手生活20年目に突入した。

「僕自身、この年齢までサッカーをやっているとは思い描いてなかったですし、何度も辞めようと思ったことはあるんです。でも『まだ、できる』という気持ちと、練習や試合をすると『サッカーが楽しい、幸せだ』と感じることができる。だからこそ、今も続いているんだと思います。それと、ファンや観客の方が喜んでくれることも原動力になっています」

最後に、松井は子どもたちとサカママにメッセージを送ってくれた。
「子どもたちには、サッカーを楽しんでもらいたいですし、いついかなる時もプロを目指してほしいと思います。親御さんたちは、できる限り子どもの近くにいてあげて、子どもがやりたいことに対しては、その想いを受け止めて、いつでも味方であってほしいと思います」

写真提供/YOKOHAMA FC

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