Jリーガーたちの原点「伊東純也(柏レイソル)」
ドリブルがとにかく大好きで遊びも常にサッカーだった
昨年、Jリーグの舞台で大活躍した柏レイソルの伊東純也。12月には、念願の日本代表にも選出され、今後、ますます活躍が期待される逸材の1人といえるだろう。
しかし伊東は、いわゆるサッカーエリートではない。高校時代までは無名選手だったが、大学時代に才能が一気に開花。2015年にヴァンフォーレ甲府に加入し、その翌年、柏レイソルに完全移籍を果たした。
そんな伊東が生まれたのは、神奈川県横須賀市。サッカーを始めたのは、小学1年生の頃だったという。
「同じ団地で、3つ年上の仲がいい友達が地元のサッカーチームに入っていたのがきっかけです。当時は友達みんな、サッカーをやってましたね」
所属したのは、地元の鴨居サッカークラブ。「チームでは一番うまかったですよ(笑)」と振り返る。
「小学生時代は、とにかくドリブルが大好きで、ひたすらドリブルをしてました。試合では、攻撃だけをしていた我がままなタイプ。『僕にボールを出せ』みたいな感じでした(笑)」
純粋にサッカーが好きで、学校での昼休みや放課後の遊びも、常に友達とサッカーだった。家では、同じチームに所属していた一つ年下の弟と、1対1の練習をすることもあったという。
「弟と1対1をすると、絶対に勝つので満足するし、勝ち癖が残せるんです。何より勝たないと楽しくないですからね」
泥だらけになった練習着を渡しても怒ることなく洗ってくれた母
伊東がクラブチームに入部すると同時に、父親も同じチームでコーチとして教えることになったという。
「父は無口で、家では何もせず、ごろごろしてるんですけど、練習の時だけは、むっちゃ叫ぶんです(笑)。でも、サッカーを教えている時は、いつも生き生きしてましたね」。
熱く指導する父親だったけれど、息子に固執することはなく、家に帰るとサッカーについて触れることは、ほとんどなかったという。
当時の練習について尋ねると、「厳しいメニューもあった」という答えが返ってきた。
「トラップ練習の時、コーチがあげるボールがすごい高いんです。きっと、怖がらないための練習だと思うんですけど、一度みぞおちで受けてしまって、泣いたこともありました。ほかにも、シュートを外したら、大人用のグラウンドを1~2周走らなければいけなかったり。けっこう走りました(苦笑)」。
そんな厳しい練習に耐えられたのはなぜかと尋ねると「練習の最後にはいつも試合ができたからですね。練習の中で、試合が一番好きで、試合が楽しいから、つらい練習も頑張れました。いつも『早く試合がしたい』と思いながら練習してましたね」
サッカーが大好きだった伊東にとっては、雨の日さえも関係なかった。「雨が降るとグラウンドが使えないので、チームの練習は休みなんです。でも、雨の中で濡れながらサッカーをするのが楽しくて、雨でも構わず練習してました」
雨が降る中でサッカーをすれば、いつも以上にトレシャツやトレパンは泥だらけになってしまうだろう。そんな練習着を、毎回洗ってくれたのは母親だった。
「泥んこのシャツを渡すと、一瞬は嫌な顔をされるんです。でも、怒られたことはなかったですね。男3兄弟(伊東が長男)で、みんなサッカーをやっていたので、洗濯だけでも大変だったと思います。それ以外にも、母はなんでもサポートしてくれました。チームの当番の時には、味噌汁なども作ってくれて、うれしかったのを今でも覚えています」。
小学生時代は「とにかく自由に、のびのびとサッカーができていた」と語る伊東の言葉の背景には、きっと両親がいつ何時もサッカーに打ち込める環境を作ってくれていたからにちがいない。
横浜F・マリノスJrユースに落ちたことがサッカー人生の中で一番の挫折
ジュニア時代のポジションは、右ウィング。現在の柏レイソルでのポジションと同じだ。
「チームには上級生が不在だったので、上の学年の大会に出ることも多かったんです。小学生の時って1つ学年が違うだけで、プレーのレベルも違うので、試合をする中でもまれた部分もあったと思います」。
試合には負けることも多かったというが、この頃から、右サイドでボールを受けてドリブルで突破し、シュートを決めるというスタイルを獲得していった。
そんな中でも、今もなお記憶に残っている試合がある。
「一度、神奈川県のベスト16くらいまで残ったことがあったんです。その時の対戦相手が横浜F・マリノスプライマリー(横浜F・マリノスの育成組織)。この時の負けは、今でも覚えているくらい悔しかったですね」。
神奈川県在住のサッカージュニアにとって、とりわけ横浜F・マリノスは、憧れのチームの一つであり、伊東もその1人だったのだろう。それゆえ、中学入学前には、横浜F・マリノスJrユースのセレクションを受験する。
「結果は不合格。これまでのサッカー人生の中で、マリノスのJrユースに落ちたことが一番の挫折です」
その後、中学時代は、地元の横須賀シーガールズジュニアユースでプレーし、神奈川県立逗葉高校へ進学。サッカー部に所属するも、県ベスト32が最高記録だった。
「高卒ですぐにプロになることは無理だと思ったので、まずは大学でサッカーを続けて、いずれプロにつながればと思いました」
いくつかの大学から誘いがある中で、選んだのは神奈川大学。1年生の時から試合に出場し、大学2年の時には関東大学選抜に選出、3年、4年次では、2年連続でベストイレブンを受賞し、得点王やアシスト王も獲得した。
「大学に入って、初めて高いレベルでサッカーをすることができて、技術面や精神面が大きく成長できたと思います。
ただ、3、4年の時は2部だったので『関東リーグ1部に昇格させて卒業する』という目標を達成するために必死で頑張ってましたね。そしたら結果がついてきたという感じです」。
大学での活躍が目にとまり、ヴァンフォーレ甲府とモンテディオ山形からオファーを受け、そしてプロへの道を切り開いた。
伊東の父親は、いまもなおコーチを続けていることから、伊東自身も時々、小学生を教えにいくことがあるという。
「チームの雰囲気は、当時とあまりかわってないですね。ただ、練習メニューは僕らの頃と違い、中学生でやるようなパス練習をしたり、現代サッカーの要素を取り入れているので、練習の質はあがっているように感じます」。
鴨居SCは、県でベスト8に入ることもあるほど、強豪チームへと成長している。
今シーズン、早くも活躍をみせる伊東が、最後にメッセージを残してくれた。
「プロ選手の多くは、ユース、高校時代に有名選手だった人だと思います。でも、僕のように大学の4年間でしっかり経験を積めば、プロになれることもあるんです。サッカーはとにかく楽しむことが一番です。僕は小学生時代、純粋にサッカーが大好きで楽しかった。サッカーは、“やらされる”ではなく、“楽しんでやる”。だからこそ、うまくなると思います」