Jリーガーたちの原点 「内田篤人(鹿島アントラーズ)」
サッカーの練習は週4日。母がすべてをサポートしてくれた
高校時代にその実力が認められ、卒業後、鹿島アントラーズへ加入した内田篤人。2010年、22歳の時にドイツ・ブンデスリーガ(プロサッカーリーグ)の強豪であるシャルケへ移籍。世界最高峰の舞台とも言われるUEFAチャンピオンズリーグなどにも幾度となく出場し、ドイツで飛躍を遂げる。日本代表としても活躍し、2014年にはW杯ブラジル大会にも出場。その甘いマスクから、虜になったサカママも多いのではないだろうか。その後、ドイツ2部のウニオン・ベルリンへ渡り、そして昨シーズン、8年ぶりにJのピッチに戻ってきた。
そんな内田がサッカーを始めたのは小学1年生の頃。「サッカーを始めたきっかけは、特にはないんですけど、サッカーが盛んな静岡県出身だからという感じですね。清水の街中ではないので、そこまでではないんですけど。あと、幼稚園の頃に、Jリーグが開幕したので、その影響も大きかったですね」
周囲の友達もみんなサッカーをしていたのかと思いきや、野球をやっている友人も多かったという。「僕自身、ソフトボールや野球もやっていた時期もありました。近所に全国レベルの強い野球チームがあって、僕も誘われたんです。でも、野球はいいかな…と思って(笑)。サッカーは遊びの延長で、みんなと楽しくやっていたという感じですね」
自宅からほど近い函南SSSに入り、練習は週4日。平日には夜の練習もあったと振り返る。「今思えば、母が送り迎えや洗濯、すべてをサポートしてくれてました。ただ、小学生の頃はそういうことも感じずに、やってましたけど。母はいつも試合を観に来てくれて、他のお母さんたちと楽しそうに応援してました。その中でも母が、一番うるさかったかもしれないですね(笑)」そんな母親の愛情のおかげもあり、内田はジュニア時代、悩みも辛いことも何一つなく、サッカーが大好きで、毎日楽しくサッカーをしていたという。それでも、地区の選抜には選ばれていたというから、やはりこの頃からサッカーの素質を備えていたのは間違いないだろう。
陸上選手並みに走った高校時代。だからこそ体力も根性もついた
中学は、地元の函南中学に進み、部活でサッカーを続け、高校は静岡県の進学校であり、サッカーの名門でもある清水東高校を選んだ。「両親から、家から通える距離の高校に行くようにって言われてましたからね。と言っても、けっこう遠かったんですけど(笑)。あと、これは親であれば誰もが考えることだと思いますが、勉強もしてほしかったんだと思います。全国からレベルの高い選手が集まる強豪校に進学しても、もしサッカーが続けられなくなったら…とも考えますよね。サッカーは続けながらも勉強をして大学にも行ってほしいという想いが、きっと両親にはあったのだと思います」
クラブユースではなく高校サッカーを選んだのは、全国高校サッカー選手権大会出場への憧れもあったという。「テレビで見て、とにかくカッコよくて、キラキラ輝いてましたからね。とくに、中学の時にみた静岡学園の緑のユニフォームの印象は今でも残ってます。雰囲気もすべてカッコよかったですね」
高校時代の内田は、ベッカムに憧れ、髪型を真似したり、スパイクもベッカムモデルを選ぶほど。ミーハーな面がありながらも、練習に明け暮れる日々。朝練も毎日あり、それには母親のサポートが不可欠な状況だった。「学校までは1時間半かかるので、毎朝始発に乗るために5時に起きていました。もちろん、母はそれより早く、4時には起きて弁当を作ってくれてました。最寄り駅までは車で20~30分の距離があったのですが、それも送り迎えしてくれて本当に感謝しています」
また、当時の練習は、とにかくハードだったと振り返る。しかし、このときに培った経験が今に活きているという。「高校時代の練習は、とにかく走りましたね。陸上選手並みに走ってました。今、当時の部活の練習をしろと言われても、絶対にできません(笑)。あれだけ練習をして、あれだけ走ったことは、人生で他にはないですね。それくらい過酷な練習をしたので、体力も、根性もついて、高校卒業後は何も怖くなくなりました(笑)」
高校時代、その才能が一気に開花し、年代別の日本代表に選ばれるようになった内田は、いつも心に、部活プレーヤーとしてのプライドを持っていた。「日本代表に選ばれると、クラブユースに所属している選手もいるし、ユースのチームと練習試合をするときもありました。でも、その度に僕は『クラブユースの選手には絶対に負けない』と思ってプレーしてましたね。反骨心ではないんですけど、部活プレーヤーとして、絶対に負けたくなかったんです」
強豪校が集う激戦区静岡だったため、全国高校サッカー選手権出場には至らなかったが、今でも3年次の最後の試合は記憶に残っているという。「選手権の静岡県予選ベスト8で藤枝東戦に負けたのが最後の試合でした。3年になってみんなで試合に出られるようになり、自分たちの代で選手権に出場したいという想いがあったので、本当に悔しかったです。みんなで3年間頑張ってきたからこそ、色んな思いが駆け巡りました」
自分の道を開くためには、勉強をしっかりやることも大事
高校以降の活躍は前述の通りだ。そして、2019年シーズン、内田は鹿島アントラーズの新キャプテンに就任した。そんな内田の座右の銘は「虚心坦懐(きょしんたんかい)」だという。意味を尋ねると「他のことには気をとられず、一つの物事に集中する。なんのわだかまりもない気持ちで物事に取り組むという意味ですね」。今シーズン、そうした気持ちを胸に、主将として、鹿島アントラーズをけん引してくれるにちがいない。
最後に内田が、サッカージュニアにメッセージを残してくれた。
「子どもたちは、サッカーだけでなく、勉強もしっかりやってほしいと思います。僕は運よくプロになれたからよかったですけど、全員がプロになれるわけではないからです。今はまだわからないかもしれないけれど、勉強をしておけば、自分の道を広げてくれるので、やっぱり勉強は大事だと思いますね。あとは、両親に感謝する気持ちを絶対に忘れてほしくないということです。スパイクやボールを買ってくれたり、毎日洗濯してくれているのは誰ですか?ちょっと考えればわかりますよね。誰のおかげでサッカーができているのかを考え、日々、感謝してサッカーに励んでください」
内田選手からがんばるサカママへ応援メッセージ
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