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Jリーガーたちの原点「太田宏介(パース グローリーFC)」

同じ幼稚園からプロ選手が3人。仲間と出会えたことが今も財産に

横浜FCでプロデビューし、清水エスパルスやFC東京で活躍、現在、オーストラリアのパース グローリーFCでプレーする太田宏介。幾度となく日本代表にも選出され、今秋、プロとして17シーズン目を迎えた。

そんな太田がサッカーを始めたのは5歳の頃。幼稚園の友達にサッカー体験に誘ってもらったのがきっかけだったと振り返る。「その友達は、今、愛媛FC でゴールキーパーをしている秋元陽太です。幼馴染みながら一度も同じチームになったことはなく、ポジションも違うのですが、ずっと競い合い、刺激し合 いながらやってきた感じです。ただ、秋元のほうが、常に僕の何歩も先を走っていたので、いつも彼の背中を追いかけながら、いつか追いつきたい、追い越したいという思いがありました」

驚くことに、同じ幼稚園からもう一人、プロになった選手がいるという。「名古屋グランパスや浦和レッズでプレーしていた青山隼です。引退してしまったのですが、U-20ワールドカップなどに一緒に出ました。幼い頃に、こうした仲間と出会えたことに縁を感じますし、今でも財産になっています」

太田が育った東京都・町田市は、サッカーが盛んな地域。町田出身のJリーガーも多く、サッカー少年にとってはすごくいい環境だったという。そんな中、小学4年の時に出会ったのが、現在、川崎フロンターレで活躍する小林悠だった。「僕は、FC町田(現、FC町田ゼルビアジュニアユース)で、悠は町田JFCと、チームは違ったのですが、高学年になって東京都の選抜や関東トレセンなどで一緒になって、いいライバル関係が始まりました」。当時の東京都の選抜チームには、田中順也(ヴィッセル神戸)や林彰洋(FC東京)らも選出され、約半数もの選手がプロの道へ進んでいる。「ほとんどの選手が今でも現役です。小学生の頃に僕たちの力を見抜いていた指導者の方って、改めてすごいと感じますね。今思うと、あの頃、みんな目がぎらついていたなって思います(笑)。Jリーグ全盛期で、夢はみんなサッカー選手でしたからね。夢に向かって、ひたむきに努力し続けながら、互いに意識し、嫉妬心や悔しさも持ちながら、切磋琢磨していました」

どん底を知った中学時代…でも、サッカーができで幸せだった

順風満帆だった小学生時代とは裏腹に、中学時代は身体の成長が遅かったこともあり、すごく伸び悩んだという。また、中学2年の時、太田の人生の分岐点となる出来事が起きる。それは、両親の離婚だった。「新たな生活を始めるために引っ越した先は、とても古くて狭いアパートでした。引っ越した日の夜、僕と兄、母とで家族会議をしたんです。兄は『大学を卒業したら起業して金を稼ぐ』、僕は『プロサッカー選手になってお母さんを幸せにする』と。そのために、とにかく頑張って、一日も早くここを抜けだそうと話しました」。母が苦しんでいる姿を見てきたから、「親孝行したい」「お母さんに幸せになってもらいたい」―― その気持ちが学生時代からプロになった今もなお太田の原動力となっている。

家が変わり、小さなちゃぶ台を囲んでの食事、買える物も限られた日々。けれど、太田は、決して苦しいとは思わなかったという。「ただ、好きなサッカーができることが幸せでした。14歳でどん底を知って、ここから這い上がるしかないという一心でしたし、今よりひどくなることはないと、ポジティブに捉えることができていたのもあります。この時、『サッカーをさせてもらえることに感謝する』ということに気づけたからこそ、周囲の人を大切にしたり、物を大事に扱えるようにもなったり。その積み重ねが、今のサッカー人生につながっていると思います」

 

高校時代の成長は負けず嫌いの精神とたゆまない努力があったからこそ

中学3年になり、周囲がサッカーの名門校やJリーグのユースチームへ進むことが決まる中、太田は進路の壁にぶちあたる。「中学時代に結果を残すことができず、且つ、経済的な事情もあり、行ける高校がなくて。サッカーを断念せざるを得ない状況でした」。そんな太田に声をかけてくれたのが、小林悠の母だった。小林の母は、麻布大学附属渕野辺高校(現、麻布大学附属高等学校)の卒業生。当時の担任の先生がサッカー部の監督だったことから、太田とつないでくれたのだ。そんな縁や、次年度から体育系コースができるということもあり、なんとか入学できたという。そして、高校進学を機に急成長を遂げる。そこには、負けず嫌いの精神と、たゆまない努力があった。「みんなより多く練習しようではなく、みんなとは違う練習をしようと思い、自分なりに工夫してましたね。左利きが一つの武器だと思っていたので、左足で基礎的な練習やロングキック、カーブを描いたり。無名な高校からでも、絶対にプロになると信じてひたすら練習してました。それが長いプロキャリアを支える武器になっているので、あの時の練習は無駄じゃなかったんだと思います」。同期には小林、小野寺達也(テゲバジャーロ宮崎)など、後にプロになる選手が集まっていたこともあり、それまで一度も全国高等学校サッカー選手権大会に出たことがなかった高校が2年連続で出場を果たした。

どの場所に身を置いても成長できるチャンスは必ずある

明るくてムードメーカー的存在の太田だが、実はずっと人見知りだったという。「仲良くなった友達の前では明るく振舞えるのですが、新しい環境に飛び込むのはすごく苦手。それもあって、中学に上がる時、横浜マリノスのジュニアユースからのオファーも断ったんです」。その性格は、プロになってからも続き、U-19、U-20日本代表に選ばれた際も、仲間の輪にはなかなか入れず、孤立していたことが多かったという。では、いつ克服できたのか?と訊ねると、清水エスパルスに移籍したことがきっかけだったという。「同世代がどんどんステップアップしているのを目の当たりにして、このままでは駄目だ、J1でレギュラーを目指さないといけないと思って、清水エスパルスに移籍したんです。そんな強い気持ちがあったからこそ、最初から明るい部分を、みんなの前でバカなことができるという面を出そうと思って。そこからふっ切れて、コミュニケーション能力も培われていったと思います」

苦しかった過去を、今笑って話せるのは、色々な人の支えがあり、どんなことにも立ち向かって乗り越えてきたからだと太田は語る。最後に、サカママと子どもたちにメッセージを残してくれた。

「子どもたちは、サッカー選手になるという夢を持った以上、120%で突き進んでほしいと思います。どの場所に身を置いても、自分の捉え方次第で成長できるチャンスは必ずあるので、チャレンジし続けてほしいですね。また、親御さんは、あれこれ言わず、子どもを見守ってあげてほしい。プロになるための正解はなく、大事なのは子どもがサッカーという競技をどれだけ楽しめるかということです。その中で、上手くなるために考えてトライすることで、技術はもちろん、ハングリー精神も身についていくと思います」

 

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