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Jリーガーたちの原点 「長友佑都(インテル)」

Jリーガーたちの原点 「長友佑都(インテル)」

人気連載の「Jリーガーたちの原点」。今号では番外編として、日本代表として、またイタリアの名門クラブチームであるインテルで不可欠な存在となっている長友佑都選手に、ジュニア時代のサッカーとの関わり方などを語ってもらいました。

モテるために始めたサッカー少年団では“キング”に

日本代表として、またイタリアの名門クラブチームであるインテルで不可欠な存在となっている長友佑都。2015-16シーズン開幕当初、長友のインテルでの立場は微妙な状況だった。ロベルト・マンチーニ監督の構想から外れ、プレシーズンマッチでは本職ではないトップ下のポジションで起用される屈辱も味わった。移籍が確実視されていた中、長友はインテルへの残留を決断。ベンチを温める日が続くも、気持ちを切らさず、地道にトレーニングに励むその真摯な姿勢に、マンチーニ監督も徐々に評価を変えていく。そして第9節のパレルモ戦で初先発を飾ると、そこからはレギュラーに返り咲き、以前と同じはつらつとしたプレーを見せている。インテルとの契約は2016年6月まで。けれど、契約延長も間近だと伝えられている。

逆境に立たされても決して心を折らず、前向きにチャレンジする姿勢を崩さない。そんな長友がサッカーと出会ったのは小学1年の時だった。サッカーを始める理由は人それぞれだが、長友の動機はちょっと変わっていた。
「好きな子がいたんですが、その子にモテたくてサッカーを始めました(笑)。サッカーが一番かっこいい、という印象があったんですよね」。
やや不純な動機と言えなくもないが、実際に始めるとすぐにサッカーの虜となり、無我夢中でボールを蹴るようになったという。

現在は体幹の強さと無尽蔵のスタミナを生かした献身的なプレーを持ち味とする長友だが、小学生時代はどのような選手だったのだろうか。
「昔から運動神経がよくて、小学校時代のチームでは一番うまかったです。チームの中心で、『俺にボールを出せ。そうすればゴールを決めてやる』という感じでプレーしていました。“キング”でしたね(笑)」

荒れていた中学での日々を熱血教師が変えてくれた

クラブでの練習が週に2回あり、それ以外の時間も「暇さえあればサッカーをしていました。とにかく時間があれば友人たちとボールで遊んでいました」と振り返るほど、長友少年はサッカーに夢中だった。しかしその後、大きな挫折を味わうこととなる。小学6年生の時に愛媛FCのセレクションを受験したが、結果はまさかの不合格。県立の西条市立北中学校に進学し、サッカー部に入部する。

入学当初、長友の私生活は荒れていた。せっかく入ったサッカー部はろくに練習もしないような状態。長友自身も愛媛FCのセレクションに落選したショックから髪を茶色に染め、ゲームセンターに入り浸る日々を送っていたという。しかし、そんな長友を変えたのが、同じ年に西条北中に赴任し、サッカー部の顧問に就任した井上博氏だった。ゲームセンターに押しかけては長友たちに張り手を見舞い、「お前たちと一緒にサッカーがしたい」と本音をぶつけて号泣し合う。青春ドラマに出てくるような熱血教師に導かれた長友は心を入れ替え、サッカーに真面目に取り組んでいくようになる。“ヤンキーのたまり場”だったサッカー部が、長友たちが中学3年次の大会では県大会3位に食い込むほどの快進撃を見せた。その中心には、もちろん長友の姿があった。

練習の鬼だった高校時代努力を重ね、レギュラーに

中学卒業に際し、長友は大いに悩んだ。本人が希望したのは、福岡県の強豪・東福岡高校への進学。敢えて厳しい環境に身を置き、自分がどこまでできるのかチャレンジしてみたい。しかし長友が小学3年生の頃に両親が離婚していたこともあり、私立高校への進学、しかも寮生活を送ることに、ためらいがあったという。けれど、将来のプロ入りを視野に入れていた長友は意を決する。
「母子家庭で3人兄弟だったので、経済的には厳しかったと思いますが、どうしても強豪校に行きたかったので、母親にお願いして東福岡に進学させてもらいました。それがなかったら今の自分はなかった。地元で細々とサッカーをやって、それで終わっていたと思います」

希望どおり東福岡に進学した長友は、まさに「サッカーのための日々」を送ることとなる。長友自身、高校時代を「戻れと言われても戻りたくないぐらい」と振り返り、当時の自分については「練習の鬼だった」と語る。
「朝は5時過ぎからグラウンドに行って練習し、昼休みも筋力トレーニングをするなど、時間があればトレーニングに明け暮れていました。誰よりも練習していたという自負があります」

猛練習に励んだ甲斐あって、2年次にはボランチのレギュラーポジションを獲得する。そこまでサッカーに没頭すると、学業のほうが疎かになりがちだが、長友は一切、妥協をしなかったという。
「母親に高い授業料を払ってもらっていたので、授業中の居眠りは絶対にしませんでした。もちろん眠かったですけど、頑張って起きていましたね。そのぶん、休み時間は机にタオルを敷いて思いっきり寝ていましたけど(笑)」。
長友は高校卒業後、サッカー推薦ではなく、指定校推薦で明治大学に進学する。3年間、サッカーに全力を注ぎ、勉学にも気を抜かずに取り組んだ高校時代は、今もなお糧となっている。

高校3年次、長友は第83回全国高等学校サッカー選手権大会に出場する。
「ピッチに立った瞬間の緊張は今でも覚えています。初戦の市立船橋戦でPK戦の末に負けてしまいましたが、PK戦で僕自身はキックを成功させた。それが唯一のいい思い出です(笑)」。
選手権で結果を残すことはできなかったが、夢の舞台を踏んだ経験は貴重な財産となった。
「志波芳則総監督から『試合終了のホイッスルは、次のスタートの笛でもある』という言葉をかけていただいたのが印象的でしたね。『ここからまた新しくスタートするのだと気を引きしめて、チャレンジしていくことが大切だ』と言っていただきました」

「才能ある選手が必ず成功するわけではない。諦めないで努力し、チャレンジすれば必ずチャンスはあると思う」

諦めずに努力すればチャンスはきっとある

明治大学進学後、長友はボランチからサイドバックにコンバートされ、一気にその才能を開花させていく。大学在学中にFC東京とプロ契約を結び、すぐに日本代表にも選出された。2010年の南アフリカ・ワールドカップに出場して評価を高めると、「世界一のサイドバックになる」と宣言してイタリアのチェゼーナ(当時、セリエA)へと移籍。その言葉どおり、わずか半年後には世界的名門クラブのインテルへとステップアップを果たした。明るく前向きな性格で、チームメートやクラブスタッフ、そしてサポーターからも絶大な人気を誇っている。クラブユースのセレクションを落選し、部活をサボってゲームセンターに入り浸っていた“落ちこぼれ”から、世界最高のサイドバックへ――。
最後に長友は自身のキャリアを踏まえて、サカママや子どもたちにメッセージを送ってくれた。
「才能ある選手が必ず成功するわけではないので、諦めないで努力し続け、チャレンジすれば必ずチャンスはあると思います。お母さんたちは、お子さんのチャレンジを見守ってあげてください」

文/池田敏明
写真/Kentaro Matsumoto

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