メインコンテンツに移動

宇佐美貴史ママ 3人のサッカー少年を育てたサカママ経験談

宇佐美美紀さんの三男は宇佐美貴史選手。お兄さんを含め3人のサッカー少年を育てた美紀さんのサカママ経験談から、子どもとの接し方やサカママとしての心構えを聞いた。

試合前も特別なことはしなかった

宇佐美貴史くんがサッカーを始めたのは何歳の頃ですか?

「正式には幼稚園の頃ですけれど、ボールは8カ月くらいから蹴っていましたね。長男と次男が地元の少年団の長岡京SSでプレーしていて、貴史も2人に続いて自然と同じチームに入りました」

幼少期の宇佐美貴史選手
幼稚園入園前からボールを蹴っていたという宇佐美選手。

3人ともサッカーをやっていると、お母さんの負担も大きかったのでは?

「大変でしたね。長男が高3の年に次男が高1で、貴史が小6。主人も含めて帰宅する時間や食事の時間はバラバラで、みんなよく食べたし、サッカーにかかる費用も少なくない。金銭的にも大変でしたし、あの頃はめまぐるしい日々を送っていました」

当時、お母さんはどのような生活リズムだったのでしょうか?

「貴史が高学年になると練習が週4回になりました。お兄ちゃんたちは高校で朝が早くなって6時台に出発するので、私は5時に起きてお弁当を作って送り出していました。次に主人と貴史を送り出して、そこからパートに出る日もあって…。いま考えると恐ろしいですね。最初に長男がサッカーをやりたいと言い出したときは、まさか後々こんなことになるとは思ってもいませんでした(笑)。ただ、家にいたりするよりかは、何かをやらせた方が良いのかなと主人とも話していて、それがたまたまサッカーだったんです」

試合の応援には、よく行きましたか?

「試合を観に行くのは楽しかったですね。主人と一緒に、北海道と九州以外は車で応援に行きました。周りから『好きやな~』とか言われましたが、息子の試合を観たい気持ちが強かったので。チームのお茶当番などもありましたが、私たちも含めて、当番ではなくても行く方が多かったです」

試合当日はどのように息子さんと接していたのでしょうか?

「学校に送り出すような感じで、なるべく普通にしていました。 主人はすごく緊張するので『(緊張が)移ったらあかん』と貴史の顔を見ないように新聞を読んでいましたね(笑)。長男のときは、試合前なのに言い過ぎたという反省があるようで…。だから“頑張れ” という言葉もかけないようにしましたし、特別なことはせず送り出していました」

子どもの頃から貴史くんとは、サッカーの話などはしたのですか?

「よく話す子でしたし、兄弟3人の中で一番いろんな話をしました。私を避ける時期というのもほとんどなかったんじゃないかな…。よくテレビで一緒に試合を観ていて、『おかん、この選手の顔は好きやろ』と言ってきたり(笑)、色々と教えてもらいましたね。試合から帰ってきたら、映像で必ず自分のプレーをチェックしていました。昔は主人が撮影したビデオ、プロになってからは録画した中継を。私もそれを一緒に見ながら“ここは決めないと”と思ったりするんですが、そこはグッと我慢して口には出しませんでした。貴史はプレーについて色々と言ってましたが、そこもあまり触れずにいましたね」

幼少期の宇佐美貴史選手
地元の京都では、ズバ抜けた実力を持つ有名選手で、その後はガンバ大阪ユースに入団した。

プロの試合や練習は見せた方が良い

小学校卒業後にガンバ大阪(以下、G大阪)ジュニアユースへ入団しましたが、チームを決めた経緯は?

「幾つかのチームから誘いが来ていましたが、主人は貴史と進路を決めるときに勘違いさせたくないから『○○から誘われている』とは伝えなかったそうです。『自宅から通えるなどの条件で、お前が行ける可能性があるチームは○○と△△と……』とチーム名を並べたら、貴史は『俺はガンバしか考えてへん。俺は京都では一番うまいから、大阪へ行きたい』と。真相を本人に伝えたのは最近になってからですね。それと私たちがG大阪のサポ ーターで、よく練習場にも連れて行っていたから、憧れのチームだったというのもあったかもしれません。貴史が1歳の頃からG大阪の練習場へ連れて行っていましたから」

子どもの頃からプロの試合や練習を見せていたんですか?

「そうです。それは絶対に見せた方がいいと思います。上の2人は見るのに飽きて、自分たちでボールを蹴り出すんですが、貴史は金網にかじり付いてずっと見ていましたね。(G大阪のホーム)万博競技場の試合でもゴール裏の端ですけど、一番前の柵が観戦場所でした。ただ、万博は陸上のトラックがあるので客席から距離があるんですよ。でも練習場に行くとすぐ近くでプレーが見られるし、選手の足音や息づかいも感じられる。あの頃から頭の中に色々なことを叩き込んでいたのかもしれません。私がミーハーで好きだったのもあるんですが、いま考えるとそうして身近にサッカーがあったことが良かったのかなと感じています。一方で、サッカーばかりの環境にしてしまったんじゃないかな、という思いもありました。ただ、本人は2歳の頃から『プロになる!』と言っていたし、それに対して私がとやかく言うこともなかったので」


当時、ガンバ大阪のFW だった松波正信選手とのショットも思い出の写真だ。

息子さんとは、普段どの様に接していましたか?

「母親として…という自覚はあまりなかったのかもしれません。貴史とは同じような価値観を持っていて、友だちのようでしたね。小さい頃からずっと一緒にいたし、上の2人とは違う接し方でした。母として何かをするという感じではなかったですが、いい関係ではあったと思いますし、自然体で接していましたね。小学校の頃、コーチに『体幹を鍛えるために水泳をやれ』と言われたときも2人で市民プールに通いました。仕方ないので私も水着に着替えて、それを貴史に冷やかされたりして(笑)。そんな風にいつも一緒でしたし、私もそれが苦ではなかったです」

貴史くんがサッカーを辞めたい、という時期はなかったのですか?

「なかったと思います。G大阪に入ったときは『上手いやつばっかりや』と言っていましたが、それを乗り越えてやるという様子でした。とにかくサッカーにだけは真っすぐでしたね。深夜の欧州サッカーを生放送で観るので、私たちの方が先に寝ることもありました。その代わり、朝は寝坊することもありましたけど…。プレゼントも上の2人は流行り物のオモチャやゲームを欲しがったんですが、貴史はサッカー関係の物だけ。その代わりスパイクはいつも最新モデルでしたね。新しいのを買いに行って、特売コーナーのものを進めても、『そんなんあかん、買うのはこれ!』と棚の一番上を指差すような子でした」

食事や栄養面で注意していたことは?

「プロテインは飲ませていました。それと納豆やキムチなどの発酵食品や黒酢。野菜は嫌いで、よく最後まで残していましたね。それでも最後は嫌々ながら食べてましたし、食事に関してはしっかり食べていましたよ」

最後に現役のサカママへアドバイスをお願いします。

「あまり口出しせずにサポートしてあげれば良いと思います。リフティングを見てほしいと言われたら、外に出て見てあげる。具体的なアドバイスはできませんでしたが、できたら褒めてあげたり…そういう関わりを持ってあげればいいのかなと。私も特別なことをしてあげようとは思っていませんでしたが、自然とやっていたことがお互いにとっていい距離感だったんだと思います。そうは言っても、それが難しいというのはあるかもしれませんし、私たち夫婦も 3人育てた経験から、こうなったのかもしれません。ただ、そうやって息子と向き合える期間は長いようで短いですから。無理なく接してあげて、ぜひ一緒に楽しんでください

長岡京市立神足小学校のグラウンド
宇佐美選手が小学生の頃にボールを蹴っていたという、長岡京市立神足小学校のグラウンド。

長岡京市立神足小学校のグラウンド
地元の長岡京SSに所属していた当時からドリブラーとして注目を集めたが、このグラウンドでの練習が現在の宇佐美選手を支えているのかもしれない。

思い出のアイテム

「必ず晴れる」という効果絶大の自作“てるてる坊主”。
宇佐美選手はドリブラー。雨が降ってピッチが濡れるとプレーに影響するので、大事な試合には必ず持って行ったという。

てるてる坊主

宇佐美選手の奥さんも最初は信じていなかったが、あまりの効果に最近は信じるようになったとか。写真は2代目の“てるてる坊主”。

※この記事は過去に読者のみなさまから反響の多かった記事を厳選し再録したものです。(2012年10月1日掲載)