【サッカーを仕事にするということ】毎年100人以上の夢を育む スクールコーチの誇り
この国にはサッカーを生業にしている人たちが大勢いる。そこだけを目指し人生を捧げてきた人たち、別の道から辿り着いた人たち、それぞれ道程は異なるが、彼らに共通するのは、サッカーに対する純粋な愛だ。
業界最前線で働く6人の方々を取材。“選手”としてではない、各々のサッカー人生をここに紹介する。
CASE 監督・コーチ
前波 裕一 YUICHI MAENAMI
横浜F・マリノス スクールコーチ
Q1 サッカー歴は?
ケガをして高校で選手を断念
「地元の茨城でサッカーを始め、小学生の頃は全日本少年サッカー大会にも出場した古河SSでプロサッカー選手を目指していました。中、高とサッカーを続けることで『上には上がいる』と、現実を知ることになるのですが、進学した埼玉の昌平高校での3年次に膝蓋骨脱臼のケガを負い、選手としてプレーすることが厳しい状況となりました。そこで、親身になって接していただいたトレーナーの方や、専門学校に通いトレーナーを目指していた兄の影響もあって、TSR(東京スポーツ・レクリエーション専門学校)への進学を決めました」
Q2 専門学校で一番の思い出は?
横浜F・マリノスでの実習経験
「TSRではスポーツトレーナー科で学び、栄養学、運動生理学、テーピングなど1年生から学ぶことがとにかく多かったです。でも、好きなことだったから面白かったし、同じ夢を持つ仲間と一緒に学ぶことが楽しかったですね。2年生の時に横浜F・マリノスに実習に行けるチャンスがあり、猛アピールの末に参加させていただくことになりました。『ふれあいサッカープロジェクト』の責任者をされていた木村浩吉さんに付き添う形でさまざまな現場に行ったのですが、その指導がめちゃくちゃ面白かった。もし、自分がこんな指導を受けていたら、もっとサッカーを好きになれたんじゃないかと思ったんです。トレーナーを目指して専門学校に入りましたが、僕のなかで何かが変わっていきました」
Q3 どうやってスクールコーチに?
卒業前の2月8日に誘いを受ける
「卒業を目前に控えた2月8日、横浜F・マリノスから『サッカーで飯を食わないか』とお声がけをいただいたんです。すでにフィットネスクラブでの内定が決まっていたのですが『でも、無理ならいいよ』と言われ、ここで断ったら二度とサッカーを仕事にする機会はないと思ったんです。それまでサッカー指導の経験もなかったし、正直不安だらけでしたが、即決で『行きます!やらせてください』と言いました。そして週明けにオフィスに行ったら、その日から僕のウェアが用意させれていて、『次の日から指導に出て』と(笑)。急いでに横浜に引っ越してきて、そこから今に至ります(笑)。2004年のことですが、お誘いを受けたその日のことは今でも鮮明に覚えています」
Q4 働き始めて苦労したことは?
すべてが学びだった
「横浜F・マリノスに入って、最初の2年間はがむしゃらに働きました。それまでアカデミーのコーチがスクールも担当していたので、僕らがスクール専任コーチの一期生になりますね。月曜から金曜はスクールコーチをし、週末はアカデミーの手伝いとして、審判やコーチ活動をしていたので、とにかく忙しかった。でも、指導経験のなかった僕にとって、すべてが学びでした。若く未熟だった自分は、情熱を持って伝えるしかなかったです。だから当時は子どもたちが一週間で『スクールの日がこないか』と待ちわびるくらい楽しい時間になれば、サッカーが上手くなるんじゃないかと、その一心で一緒になってボール蹴っていました」
Q5 現在の業務内容は?
3歳から成人まで幅広く指導
「サッカースクールでは3歳から中学生を中心に指導し、その他、成人の方、地域普及活動として幼稚園や保育園、小学校にサッカーキャラバンに出向いたり、商店街のお祭りに参加したりと、幅をもってやらせてもらっています。指導者としてのベースができたのは始めて5年が経過してからです。横浜F・マリノスでは、指導実践といってレクチャーを受けるのですが、基本的には指導方法のだめ出しが多いです。最初は悔しかったけど、他者から意見を聞くことがいかに重要か、今ではよくわかります。オープンマインドじゃないと、指導はひとりよがりになります。子どもたちを惹き付けること、魅せることに自信を持って、楽しませることを優先して指導しています」
Q7 高校生に伝えたいことは?
組織に依存して努力を怠らないように!
「色んな道を選べる時期だからこそ、色んな分野があることを知ってほしい。自分もトレーナーを目指して専門学校に入り、スクールコーチとしてこうして横浜F・マリノスでやらせてもらっています。自分がそうであったように道は一つじゃありません。今は色んな情報を得られるからこそ、どんどん取り入れてほしいですね。あと将来について、学校や、所属している組織が何かをしてくれる、ではないことを知ってほしいです。組織に依存しすぎて、努力することを怠った時点で成長はありません。未来を掴むのは、最終的に自分ですから、限られた高校生活を大事に、そして楽しんでください」
思い出の1ページ
子どもたちの成長の過程を見られる喜び
「僕は1年で100人以上を指導していることになります。彼らの成長を見てあげられることが喜びです。3歳で入った子がプライマリー、ユース、プロへと成長していく過程を見るのもそうだし、卒業生には弁護士もいれば、消防士、さらには会社を立ち上げて社長になった生徒もいます(笑)。最近では銀座を歩いていたら『コーチご無沙汰しています!』って突然言われたことが嬉しかったかな(笑)」
サッカを仕事にするということ
- 関口和義さん(横浜ゴム株式会社)
「チェルシー」とのタッグで世界のマーケットに挑む! - 石田 敬さん(アイリスオーヤマ株式会社)
施設面から日本サッカーの基盤を支える - 菊地優斗さん(株式会社アカツキ)
クラブの鍵を握るIT界のホープ - 梶山由珠さん(いわてグルージャ盛岡)
好きなことを仕事に!単身東北の地で奮闘中 - 前波裕一さん(横浜F・マリノス)
毎年100人以上の夢を育む スクールコーチの誇り - 樋口智一さん(ヤマダイ食品株式会社)
日本のW杯優勝を信じ若きサムライを全力支援