SPECIAL INTERVIEW 相馬勇紀選手の母 相馬靖子さん
日本代表のメンバーとして2022カタールW杯に出場し、現在はポルトガルのカーザ・ピアで活躍を見せる相馬勇紀選手。相馬選手を育てた母・靖子さんに、ジュニア時代の様子や中学サッカー進路、どのようにサッカーと勉強を両立していたのかをお聞きしました。
色々と口を出しながらも「応援している」と伝えていました
-小学生の頃、相馬選手はどのようなお子さんでしたか?
「何にでも興味を持つ、子どもらしい子どもでした(笑)。5年生の頃、授業参観に行ったら、勇紀が先生に質問攻めで1対1のようになっていたんです。先生に『迷惑じゃないですか?』と聞いたら、『みんなが聞けないことも平気で質問してくれるから助かってます』って(苦笑)。思ったことは何でも口にするタイプでしたね」
-以前、soccer MAMAの連載「Jリーガーたちの原点vol.38」で相馬選手にインタビューをさせていただいた際、小さい頃から負けず嫌いだったとお話されていたのが印象的でした。
「私自身、学生時代にテニスをしていて、すごく負けず嫌いだったんです。だから勇紀を見ていても負けず嫌いだとは全く感じなくて、ある時、コーチに聞くと『めちゃくちゃ負けず嫌いですよ』って(笑)。サッカーはチームスポーツなので気持ちを前面には出さないものの、内に秘めているものが確かにあるんだと思いました」
-当時の相馬選手のプレーで、印象に残っていることはありますか?
「いつも大事なところでPK を外すという印象しかなくて(苦笑)。ただ、試合の後『あのプレーはどうだった?』と聞くと、『あの子はここに蹴るのがわかっていたから、ドリブルをしてそのままシュートした』などと答えていたので、当時から頭を使ってサッカーをしていたように思います」
-相馬選手から「サッカーについて、母からはああしなさい、こうしなさいとずっと言われていた」とお聞きしたのですが・・・。
「私がスポーツに対して一番大切だと思っているのは『諦めないこと』。でも勇紀は、試合中、間に合わないと思ったら諦めてしまうんです。だから、『何が起こるかわからない、諦めずに最後までボールを追いかけなさい』と口うるさく言ってました。ただ、それが嫌だったみたいで、『試合を見に来ないで』と言われたこともありましたけど、気にせず見に行ってましたね(笑)。
試合の後、私が色々とアドバイスすると、『サッカーができないのに!』と泣きながら言い返してきて喧嘩になったりするんですけど、次の試合では私が言ったことをやっていたので、理解はしてくれていたのかなって。サッカーについて色々と言ってしまうのも、結局は勇紀を応援しているからなんですよね。だから『どんな時でも絶対に応援している』というのは伝えていました。言葉に出さないと察するのはむずかしいですからね」
中学サッカー進路は強豪にこだわらず、技術を伸ばしてくれるチーム選びを
-他にサポート面で、気をつけていたことはありますか?
「とにかく睡眠時間を大切にしていました。私の両親は背が低いのですが、私は160cm、姉は170cm 近く身長があるんですね。振り返ると、小さい頃から早く寝て睡眠時間をたくさんとっていたんです。勇紀は幼い時から小さくて、主人も身長が高くないので、睡眠を多くとれば身長が伸びるかもしれないと思って。小学生の頃は8時過ぎに、中学生になっても10時までには寝るように促してましたね。毎日の食事は、たんぱく質と炭水化物、ビタミンがとれてればいいかなと思っていたくらいです。ただ、主人が料理上手なので、チームの栄養講座を受けて栄養を考えた食事をつくったり、高校の時のお弁当は毎日つくって、写真にも撮ってました(笑)」
-相馬選手は、小学生時代は布田SCと三菱養和調布SS に、中学生時代は三菱養和SC調布ジュニアユース(以下、調布)に所属されていました。中学サッカー進路を考える時、決め手になったことはありますか?
「中学からは、関東の中でも強豪の三菱養和SC巣鴨ジュニアユースに行ったほうがいいかなと思っていたんです。それを6年生の時にコーチに相談したら『調布の練習場所は、自転車で5分で行ける環境にあるから電車に乗って巣鴨まで行く必要はないです。ここでしっかりプレーに磨きをかければ、絶対にユースに上がった時に追いつきますから』と言われて、調布を選んだんです。
調布はまだ立ち上げたばかりのチームだったこともあって、東京都でもそれほど勝ち上がれなかったですし、関東大会に行けたのも3年生の秋に1回だけでした。でも、経験談としては、チームの強い弱いではなく、一生懸命コーチが指導してくれて、技術を伸ばしてくれるチームのほうが、プレーの幅が広がるように思います」
毎日勉強をさせるのは本当に大変。横で見張っていたことも!
-今号の特集は「文武両道」です。相馬選手はどのようにしてサッカーと勉強を両立していたのでしょうか?
「小学生の頃からずっと『サッカーでプロになれるのは一握り。ケガをする可能性もあるから、勉強をしっかりしておくことが大事』と伝えてはいたんです。勉強について話し合ったのは中学に入ってすぐの頃。勇紀自身、高校からは三菱養和SCユースに進みたいという気持ちが強かったので、まずはそれをベースに考えました。
練習場所が遠くなってしまうので、高校は自宅から近いところがいいと思って探してみると、歩いて4分の場所に中堅レベルの公立高校があったので、そこを目標にすることにしたんです。そうすれば練習で夜遅く帰ってきても、朝、少しでも長く寝ていられるという思いもありましたね。
この高校に推薦で入るために必要な成績を、1年生の時からキープできるように勉強しようと話し合って決めたんです。塾に行く時間はなかったので、勉強は学校から帰って練習に行くまでに宿題を終わらせて、教科書に沿ったドリルを毎日少しずつやること。また、授業をしっかり聞いて、授業の中で勉強を全部完結させてくるようにとも話しました。
定期試験前もサッカーの練習を休まないために、毎日少しずつ勉強するようにと言うんですけど、なかなか勉強をしようとしないんですよね。だから、私が隣に張り付いて『この勉強が終わるまでは練習に行っちゃダメ』と見張っていたことも(苦笑)。本当に毎日勉強を続けさせるのが大変でした。暗記物は、食事をしている時に私が質問をして勇紀が答える、1問1答をやってましたね。三菱養和SCユースに行きたいという強い気持ちが勉強のモチベーションになって、推薦で希望の高校へ行くことができたんだと思います」
-高校時代は三菱養和SC ユースで活躍し、早稲田大学スポーツ科学部へ進学と、まさに文武両道を実現ですね。
「高校に入った時から早稲田大学への進学を目標にして、高校受験の時と同じように、推薦で必要な成績を1年生の時からとろうと話し合ったんです。1年生の2学期に成績が下がってしまったことで、勉強へのやる気に火がついたみたいです。でも、時々、スマホを夜遅くまで見ているので『早稲田に行くための成績から平均点が落ちたら、夜10時以降は取り上げるよ!』と話したら、すごい勢いで勉強を頑張ってました(笑)。中・高校を通して『自分で決めた学校の成績はしっかりとらなければいけない』というのを意識させていたことが、サッカーと勉強の両立につながったのかもしれないですね」
-最後に先輩サカママとしてのアドバイスをお願いします。
「勇紀が勉強をなかなかしなかった時、私の母に相談したことがあったんです。母から、『あなたが諦めたら、勇紀はどうなるの?諦めちゃダメ』と言われたことが今でも心に残っています。サッカーも勉強も子どもが壁にぶち当たることはあると思うんですけど、お母さんたちが見守ることを諦めてしまったら、そこで終わってしまうんです。だから、どんなことがあっても諦めないで見守り続けてほしいですし、それが子どもを育てる中で、1番大切なことかなと思います」
写真提供/相馬選手ご家族