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審判へのリスペクト

今さら聞けない!?サッカールール~番外編~「審判へのリスペクト」

3回にわたって取り上げた「オフサイド」や「ファウルの判定」を読んでいただき、今まで以上に競技規則の解釈をご理解していただけたと思います。
その結果、「今のプレーは、なぜオフサイドではないのですか?」「ファウルでは?」と思われるシーンが増えるかもしれません。ひょっとしたら、審判の「誤審」「明らかな間違い」だと声をあげたくなる場面に出くわすこともあるでしょう。一方で、瞬間に見たままを短時間で決定する審判の難しさも感じていただいているのではないでしょうか。できるだけ先入観や思い込みを排除し、確信を持ったものについて判定を下すように努めています。

「人間が人間を裁く」審判の難しさ

審判

決して、審判の誤審やミスを擁護するつもりはありません。しかし、たとえ3人のレフェリーチームで見ようとしても、選手が目の前を横切った、選手の体のかげで見えなかった、など人間の能力の限界を超える事象が起きるときがあります。そんなとき、「~だろう」「ひょっとしたら~」という憶測では正しく判定できませんので、「疑わしきは罰せず」という考えになります。反対に、安全面が危惧される選手が負傷したときや、周囲からの影響で冷静さを失ったときなど、誤った判定をしてしまうこともあるでしょう。

特に熱狂的なサポーターがいるチームのゲームでは、雰囲気や温度が上がるので、審判はより冷静なメンタルが求められます。とはいえ、サッカーというスポーツを理解している、あるいは目の肥えたサポーターは、一瞬「えー」「なんで」という声をあげたり、立ち上がったりもしますが、すぐに次のプレーに目を移し、何にもなかったようにプレーに声援を送っているように思います。そして、ゲーム後、審判が控室に戻るときには労いの拍手を送っているように見えます。

「人間が人間を裁いている」「決定を第三者である審判に委ねている」「ゲームは選手、審判、観客で作っている」という意識がきっと高いのでしょう。誰にとっても、ゲームは最大の喜び、楽しみであるはずです。無観客試合が何とむなしいものかを、選手、サポーター、そして審判も知っているからだと思います。新型コロナウィルスの感染によって、いろいろなスポーツで無観客試合が行われましたが、選手の戸惑いや盛り上がりのなさは明らかでした。

審判もサッカーを「ささえる」一人

スポーツの楽しみは「する、みる、ささえる」と言われています。この「ささえる」にはゲームを運営する人々に加えて、審判も含まれています。ゲームを企画し、グラウンドを確保し、整備し、安全な席で気持ちよく選手の素晴らしいプレーを応援することができるように、ささえる人たちがいてサッカーは成り立っています。そして、選手が公平に、安全に、最高の技術を発揮してもらえるように、審判も「ささえる」役割を担う一人なのです。

審判へのリスペクト、持てていますか?

審判

1990年代、私が初めて国際審判として海外に行った時、大会前のミーティングの座席は最前列、紹介も最初、スタジアムにはパトカー先導という待遇を受けました。その扱いに驚き、それだけに責任と自覚を強く感じたことを覚えています。
そのときの日本は、Jリーグ発足前の日本サッカーリーグ時代。審判は競技場の倉庫で着替え、駐車場でウォーミングアップをしていました。もちろん、ゲーム前の審判紹介もなく、ゲーム後は水道をシャワー替わりにしていました。

その後、時代の流れとともに審判を取り巻く環境は改善されてきました。ですが、審判の重要性、難しさを感じ、リスペクトしていただいているかは少し疑問です。

アンダー世代の試合などでは、選手のお父さん、お母さんが審判を引き受けることもあるかと思います。そういった難しい役目をあえて引き受け、「ささえる」立場の審判に対しても、平気で揶揄する言葉を発する方がおられるのは残念でなりません。
観客席から「ファウルだよ!」「カードだろ!」と大きな声が上がっていたら、選手たちはどうなるでしょうか?きっとその声に同調し、審判の判定に不信を抱くでしょう。そうなると、選手は自分のプレーに集中できず、ゲームは崩れていく傾向になりがちです。
そして、「どこ見ているんだ!」「しっかり見ろよ!」といった攻撃的な言葉を耳にした審判はどうなるでしょうか?二度と審判はしたくない…という気持ちになってしまうように思います。
ましてや、ゲーム後に審判に食ってかかることは問題外です。少し厳しい言い方になりますが、スポーツを楽しむ資格はないと言えます。何より、敗戦を審判のせいにしていては選手も自立・成長しないのではないでしょうか?

リスペクトの精神を忘れずにサッカーを楽しもう

サッカー

審判は競技規則に則り、より多くの立場の人々に納得してもらえるようなゲームをつくらなければいけません。そして、サッカーの面白さを伝えることも審判の使命の一つだと思っています。その立場は重要であり、リスペクトされるにふさわしい役割を担っていることも忘れてはいけないと思います。

最後に、競技規則に書かれている一文で締めたいと思います。

競技規則の高潔性、また、競技規則を適用する審判は、つねに守られ、リスペクトされなければならない。試合において重要な立場である人、特に監督やチームのキャプテンは、審判と審判によって下された判定をリスペクトするという、競技に対する明確な責任を持っている。

サッカーの競技規則は、他のスポーツのものと比べると比較的単純である。しかしながら、多くの状況において『主観的な』判断を必要とする。審判は人間であるため(それゆえ、間違いも犯す)、必然的に幾つかの判定が論争や議論を引き起こすことになる。ときに、議論はサッカーの楽しみや魅力の一部となる。しかし、判定が正しかろうと間違っていようと、競技の『精神』は、審判の判定が常にリスペクトされるべきものであることを求めている。

新型コロナウイルスに根気よく対応し、皆さんと一緒に心躍るサッカーを早く観たいものです。

WRITER PROFILE

小幡 真一郎
小幡 真一郎

1952年7月21日生まれ、京都府出身。元国際主審。
サッカーの競技規則の側面から、サッカーの持つ魅力、またはサッカーそのもののを伝えたいと思います。著書に7月21日発売『おぼえよう サッカーのルール』(ベースボールマガジン社)、『すぐに試合で役に立つ! サッカーのルール・審判の基本』(実業之日本社)、『失敗から学ぶサッカー審判の教科書 しくじり審判』(カンゼン)がある。