子どもたちのサッカーのお陰で悲しい出来事を乗り越えられた
皆様こんにちは!いつもサカママコラムをお読みくださりありがとうございます。2021年1月から始まった私のコラムも丸3年が経とうとしています。今まで書けなかった出来事を書いていきたいと思います。
皆さんは、スポーツ問わず、お子さんが頑張る姿に勇気付けられた事は沢山あると思います。私も息子二人の頑張る姿を見て勇気を沢山もらいました。
その中で、我が家で起きたとても悲しい出来事で、悲しみに暮れている私に息子たちが頑張っている姿を見せてくれて、元気をもらい何とか乗り越えることができた時のエピソードをお伝えします。
次男の移籍後の大会の夜に起きた出来事
それは次男の移籍が決まって、初めて今のチームの大会に参加した日2022年2月に起きました。
その日は新チームの保護者の方とお会いする事になっていて、夫と私で挨拶をして、大会で着用するプラシャツを貸して頂いたりしました。次男はすぐにチームメイトと仲良くなって、ゴールもたくさん決めて楽しくサッカーをしていました。初めての大会で優勝をして「みんな上手だったね〜!」と話ながら帰ったのを覚えています。
当時、長男はコロナの隔離期間中でしたがそれも終わったものの、念のためしばらく長男のみ寝室で過ごし、私・夫・次男は別部屋で過ごしていました。夜はリビングで映画を観ていて、私はそのままソファー、夫と次男はキャンプ用の簡易ベッドを置いてそれぞれ寝ました。
寝ている夫の容態が急変
すると明け方4時頃、唸る声が聞こえてきたので、目が覚めました…。夫が夢でも見ているのかなと思いましたが、それにしても何か変な声だな?と思い、寝ぼけながらも夫の寝ている方を覗くと、簡易ベッドにうつ伏せになって唸っているのが見えました。
「パパ?」
と声をかけても
「グルルルッ」
のような音が聞こえるだけだったのと、何だか汗をかいているように見えました。
起き上がって急いでキッチンに行って、コップに水を組んで飲ませようとうつ伏せになっている夫に「ほら、お水飲んで!」と顔に近づけた瞬間、目がうつろでこれは非常に危険な状態と思いました。
「ゆうちゃん!来て!!」と寝室にいる長男を呼び出てきました。
私の声で次男も目が覚め、みんなで「パパ!起きて!!」
と叫びながら震える手でスマホを手に取り119を押しました。
すぐに消防救急無線に繋がって現状を説明していると、急に夫が動かなくなり、変なイビキのみ聞こえてきました。私はパニックになりながら何度も「助けてください!」と言いました。
救急車が到着するまで心臓マッサージをするように伝えられましたが、夫がうつ伏せの状態と伝えると「仰向けにして、頭を支えながら心臓マッサージをしてください」と指示を受けました。
必死に心臓マッサージを続ける
しかし当時の夫の体重は80kg後半。とても私1人で仰向けに出来る状態ではなかったのですが、子供たちと3人で簡易ベッドごと「せーの!」でひっくり返し、なんとか仰向けにすることが出来ました。その後すぐに心臓マッサージをしましたが、自動車教習所で習っていたものの、気が動転しているので、正しいやり方を思い出せず、昔に観た医療ドラマなどのシーンをイメージしながら、電話口で受付の人が数えてくれたペースでとにかく力一杯続けました。
ふと頭の中に、マンションの下にAEDがあるはず…と思いましたが、取り出し方も分からないのと私が探しに行ったら心臓マッサージを続けられる人がいないと思い、心臓マッサージを続けることを優先しました。
病院に搬送してもらったものの冷静になれず
当時コロナ禍ということもあり、救急車の到着まで15分近くかかったと思います。私は泣きながら心臓マッサージをして、長男は夫の頭を支え、当時1年生だった次男は救急隊の人が来ると2つのオートロックと玄関のドアを開けて救急隊の方を部屋まで誘導していました。後から気付いたのですが、長男は急いで簡易ベッドを片付けて、救急隊の人が応急処置をしやすいようにスペースを作ってくれていました。
救急隊の方がAEDを2回してくれましたが心臓は動かず…。当時4年生だった長男には次男のことをよろしくねと伝え、私は急いで着替えて一緒に救急車に乗りました。幸い近くの総合病院に搬送して頂いたのですが、別室でずっと待っていても先生は来ず。その間、私は震えと酷い嗚咽が止まらず、義実家と実家に連絡するのが精一杯でした。
医師から伝えられた診断結果
先生が到着して夫の状態を診断して頂きました。医師から伝えられたのは最悪の状況…。
「一応心臓は動きましたが、心肺停止の時間が長いので、低酸素脳症の可能性があります。」
- 病名は心室細動
- 原因は不明
- 心肺停止は45分間
- このまま意識が戻らない可能性も十分あること
- 意識が戻ったとしても手足を動かすことができるかどうか
- 植物状態について
その他、色々と説明して頂きましたが、どれも普通に日常を過ごせるような話ではありませんでした…。昨日まで健康に元気で過ごしていたはずなのに…何でこんなことになったのと涙が止まりませんでした。
本来コロナ禍という事もあって夫には会えないけど、これから集中治療室に移動する際に通る廊下で、一瞬なら会えると言ってくれました。たくさんの管に繋がれた夫を見て、また号泣し「早くおきてー!」と泣き叫ぶ私。夫が見えなくなったあとは、先生と看護師さんが号泣する私を支えてくれました。
「これから72時間が山場です」と言われ、これ以上、脳に影響を及ぼさないように体温を下げて、様子を見ながら徐々に戻して行きますので、何かあったら連絡と伝えられました。2日間は連絡が来ない方が良いと思ってくださいと言われて、病院を後にしました。
次男の強い思い
病院に行ってから6時間以上経ち、ようやく自宅に戻りました。もうお昼近くになっていました。長男が次男にご飯を用意して食べさせてくれていました。「パパ、元気になった?」と言われて、また涙する私。午前中は次男のプライベートチームの大会に出る予定でしたが、事情を説明してキャンセルしてもらいました。
私が簡易ベッドで寝ればよかった、先にAEDを取りに行った方が良かったのかな…など頭の中は後悔することばかり。夕方から次男の新チームのトレーニングマッチ(以下、TRM)に参加する予定でしたが当然、休もうと監督に事情を説明しようと考えていたら、ここでまさかの次男が「サッカー行くよ!」と伝えてきました。
私も長男もしばらくずっと泣いていたので「無理だよ、サッカーはお休みしよう」と言いました。しかし次男は「ママもお兄ちゃんも、泣いてばっかりいたらパパが悲しむよ!もう泣かないで!!僕はサッカーに行く!」と言うのです。
正直、運転する気力も無かったので悩みましたが、確かに家にいても深い悲しみに暮れるので、長男も連れて一緒に次男のサッカーの試合に行くことにしました。
次男の積極的なプレーに勇気づけられた
高速を運転しながらも涙が勝手に流れてくる状態でしたが、何とか試合会場のグランドに到着しました。監督は無理しなくていいのにと心配してくれました。次男は「頑張るから見ててね!」と言い、元気よく新しいチームメイトの輪に入って行きました。私と長男はまだまだ気持ちがどんよりしながらも、2人で次男のTRMを見ていました。
そこで見たのは次男のゴールラッシュ!積極的に攻めて、ゴールパフォーマンスをするなど気付けば16ゴール!最後の挨拶まで任せてもらい、とても楽しそうに活き活きとサッカーをしていました。何をしても涙が止まらなかった私と長男も、次男のプレーする姿に勇気づけられていつの間にか笑顔になっていました。
帰りに長男が、「なおちゃん(次男)のサッカー見に行けて良かった」と言うと、「16点も決めたんだよーってパパに報告しよー♫」と次男が嬉しそうに言っていたのをよく覚えています。そのまま夫の病院に向かい、中に入れないので外から3人で「パパ待っているよー!」や次男が「ぼく今日頑張ったよー!」と伝えました。
その後も毎日病院に行って、外から祈ったり、録音できるクマのぬいぐるみを購入してみんなでメッセージを入れたりお手紙を書いたり、出来る限りのことをして過ごしました。長男もパパのために頑張る!といつも以上に、サッカーでは気合いの入ったプレーを見せてくれました。
夫の意識が戻らない2日間をみんなで前向きに過ごすことが出来たのは、あの日次男のサッカーに元気をもらったからです。
サポートして頂いたサカママ・パパへ感謝の想い
それからしばらくは、私1人で長男や次男2人の送迎が難しかったので、長男は1人で電車やバスを使って、あちこちに行けるようになりました。自分が頑張ったらパパが元気になって帰ってくると思ったようで、朝ごはんを作ったり掃除をしたり次男の面倒を見たりと、とても頼りになる存在でした。
夫の事情を知ったサカママ・パパが励ましてくれたり、ご飯作れないでしょうとたくさん食べ物を持ってきてくれたり、送迎を手伝ってくれたりと、いろいろな方にサポートして頂き過ごしました。この時は色々と助けて頂き、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。当時手伝いに来てくれていた私の母も、皆さんの優しさが本当に有難いねと話していました。
その後、夫は奇跡的に脳に障害が残ることはなく、意識が戻りました。倒れる前後2日間の記憶が全くないようで、前日に新チームの大会に出てパパ・ママに挨拶したことなどは、写真を見ても思い出せないようでした。ICD埋め込み手術をしたので、細かい制限はあるものの現在は、日常生活は普通に過ごすことが出来ています。
夫の意識が戻った時、入院中に救急で対応した下さった先生や看護師さんがわざわざ夫の病室に来て「奥さんとお子さんたちの迅速な対応のお陰ですよ」と言ってくださったそうです。
あの日、号泣する私に寄り添ってくれた先生方に「夫の意識が戻ったら、私と子供たちのお陰だって言っておいてぐだざいいいいーーー!」と泣きながら訴えたので、約束を守ってくれたのだと思います(あまりの恐ろしさから無視できなかったのかも(笑))。
子どもたちがプレーするサッカーで支えられた日々
母親らしくしっかりしなきゃと思いながらも、泣いてばかりだった私を元気付けてくれたのは、子どもたちのサッカーでした。サッカーが出来ること、それを応援することが出来るのは当たり前じゃないのだと思いました。
慌ただしく過ぎていく毎日ですが、子ども達はあっという間に大きくなってしまうのだなと思うと、今この時間を大切に過ごして行きたいと思います。長くなりましたが、最後までお読みくださりありがとうございました。