Jリーガーたちの原点「大野 忍(INAC神戸レオネッサ)」
ゴール前で待つサッカーはとにかく楽しくて気持ちよかった
INAC神戸レオネッサやなでしこジャパンの前線でエネルギッシュな動きを見せ続け、明るい性格からムードメーカーとしても存在感を示している大野忍。ベテランの域に達した今なおサッカーへの情熱は衰えず、常に前向きにトレーニングや試合に取り組んでいる。その姿勢は、両親から全力のサポートを受けながらサッカーに取り組んだ幼少の頃から少しも変わっていないという。
大野とサッカーの出会いは小学1年生の時。2番目の兄が友人たちとサッカーをするところに付いていき、彼らと一緒にボールを蹴ったのが最初だという。「いつも『行くぞ。ついて来い』と言われて『わーい! 行く行く!』みたいな感じで(笑)。兄は4歳上で、まわりはみんな兄の友人たちだったんですが、『ゴール前にいなさい。ボールが来るから、それを蹴ればいいんだよ』と言われ、そのとおりにずっとやっていました」
年上の子に混じり、ゴール前で待っているだけのサッカー。つまらなくなったり、嫌いになったりしなかったのだろうか。「全くならなかったですね。だって、気持ちいいじゃないですか! ゴールを決められる、一番いいポジションにいるんですよ。それに、兄の友人たちからもすごくかわいがってもらっていて、『最後はしーちゃんに決めさせろ』っていう指示が出ながらやっていたんで、ゴールをバンバン決めてたし、楽しくないわけがなかったです」。ストライカーとしてのプレーやサッカーを楽しむ姿勢は、この頃、すでに彼女の中に芽生えていたようだ。
両親が試合を見に来てくれると今でもやっぱり嬉しい
小学4年の時、大野は神奈川県横須賀市にある女子サッカーチーム「横須賀シーガルズFC」に加入する。当時はまだ女子サッカーが今ほど盛んではなく、女子だけで活動しているチーム自体が少なかった。「女子チームでサッカーがしたい」という彼女の希望を叶えるために、両親が全力のサポートをしたという。「両親が『いいチームはないか』と必死になって探してくれました。チームが見つかるまでは、普通の少年団でやる選択肢もあったのですが、『お兄ちゃんと一緒じゃなきゃ嫌だ』という気持ちがあったんです。当時、兄は中学生だったので、一緒のチームでプレーすることができず、ひたすら待ち続けて、それでようやくシーガルズを見つけてくれました」
大野の実家があるのは神奈川県座間市。同じ神奈川県内だが、横須賀市までは公共交通を使っても1時間半近くはかかる。練習に行くだけでも大変な状況だったが、両親は大野の熱意を消さぬよう、全力でサポートした。
「実家のある座間から、両親が車で送り迎えしてくれました。朝が早い時などは、私自身は車の中で寝ていればいいんですが、母は早起きしてお弁当を作ってくれて、父はずっと運転してくれて。今でもめっちゃ感謝しています」
当時の思い出を尋ねると、「母親が作ってくれたおにぎり」という言葉が返ってきた。
「お母さんのおにぎりって、やっぱりおいしいですよね。ツナマヨのおにぎりがめちゃくちゃ好きで、それがないとテンションが下がりました。今でもたまに作ってくれるのですが、大人になったからと梅干しを入れてくれます。ハチミツ漬けのやつですけど(笑)」
サッカーに打ち込む自分と、それを見守り、全力でサポートする両親。そんな関係の中で育ったからこそ、今、思うことがあるという。
「ユニフォームを着た子どもが母親と一緒に出かけている姿をたまに見かけるんですが、めっちゃ羨ましいですね。母親が近くにいて、お弁当を作ってくれて、グラウンドでもずっと一緒に見てくれているというのは、今はできなくなってしまったから。子どもたちには『それってすっごくありがたいことなんだからね』と言いたいです(笑)。見に来てくれるお父さん、お母さんはすごいと思いますし、来てくれるのであれば、絶対に頑張ったほうがいい。私自身、今でも両親が試合を見に来てくれると、やっぱり嬉しいですからね」
自分のやりたいことをやっていい意味でわがままになって
中学に上がる時、大野は読売西友メニーナのセレクションを受ける。受験のきっかけとなったのは、選抜チームに参加したことだった。「他の選抜チームにうまい子がいて、『うまい子がこんなにいるの? なんでこの子たちと一緒にやっていないんだろう』って。相手にも味方にもうまい子たちがいたら、こんなに楽しいんだっていうのを知って、もっとレベルの高いところでやりたいと思い、セレクションを受けました」。大野は見事に合格してメニーナの一員となり、この頃から「真剣にサッカーに取り組むようになっていった」という。
前向きに、真剣に取り組めば、それだけ壁にぶち当たり、思い悩む機会も増えてくる。そうなると周囲との関係もぎくしゃくしがちなものだが、大野は母親からこんなことを言われたという。「嫌なことがあっても、友達を傷つけるんじゃなくて、お父さんとお母さんにヤツ当たりしなさいって。両親にはどれだけ嫌なことを言ってもいいし、悪い態度を取ってもいいけれど、友達には絶対にしちゃダメだと言われました。今でも同じようなことを言ってくれます。フラストレーションが溜まったらいつでも相談してくれていいけど、絶対に公の前で顔に出しちゃダメだって」
実際にサッカーを辞めたくなったことはあったのだろうか。「サッカーが一時期、楽しくなくなった時があったんですが、その時は『無理しなくていいよ、楽しくなかったら辞めてもいいんだよ』と言われました。でも、サッカーを辞めて新しいことをしなさい、というのではなく、もう一度やりたくなったら戻ればいいから、というスタンスでしたね。両親としてもサッカーを続けさせたかったと思いますし、サッカー以外のスポーツはできないし、やらせちゃいけないと思ってくれていたのかもしれませんね。結局、一回も辞めることはありませんでした」
両親が注いだ深い愛情と、全力のサポート。それを理解しているからこそ、大野は「両親のことは今でも大好きです」と堂々と宣言する。「小、中、高と常にたくさんのサポートをしてもらってきたので、今、恩返ししているつもりです。自分一人の力でここまで来たわけじゃないという思いが強いですね」
両親のサポートを受けつつ、サッカー選手として少しずつ成長していった大野。最後に、子どもたちとサカママに対し、両親との強い絆が感じられるこんなメッセージを残してくれた。「小学生だからできることってたくさんあると思いますし、自分のやりたいようにできるのも小学生時代だけだと思います。こういうドリブルがしたいとか、こんなプレーが好きだとか、みんなそれぞれあると思う。だから周囲のことを気にしたり、誰かの真似をするのではなく、とにかく自分のやりたいことをやればいいと思います。そうする中で、自分にしかできないことを見つければいい。いい意味でわがままになってください。それを理解し、信じて応援するのは両親の役目です。子どもたちをしっかり見守ってあげればきっと立派なお子さんに育っていくと思います」
文/池田敏明 写真/安田健示
2015年12月発行の16号掲載