Jリーガーたちの原点 番外編 vol.05「大津 祐樹(VVVフェンロ)」
取材・文/小澤一郎 写真/相馬ミナ
小柄で良かったと当時を振り返る
考えながらプレーした日々
2012年のロンドン五輪、初戦のスペイン戦では歴史的勝利につながる決勝ゴールを決めるなど、日本代表44年ぶりのベスト4入りに大きく貢献した大津祐樹。その活躍が認められる形で、オランダのVVVフェンロに移籍した大津は、2013年にザック・ジャパンでもデビューを飾るなど、さらなる飛躍が期待されるタレントだ。
茨城県水戸市生まれの大津は、野球とサッカーのどちらを選ぶかで悩んでいた中、兄の影響で小学3年生からサッカーを始める。
「サッカーを始めてからは、ボールを蹴るのも好きだったので、そのままのめり込んでいきました」と言うように、小学生時代はクラブチームと並行してスクールにも通い、今のベースとなるテクニックを養った。大津本人も「スクールではミニゲームが多く、フットサルにも取り組んでいました。足元の技術はそこで身に付いたと思います」と語る。当時から攻撃的なポジションでプレーしていた大津だが、小柄で中学生になっても身長は140cmほどしかなかった。ただ、身体的なハンディキャップを大津自身は「逆にそれが良かった」とポジティブに振り返る。
「自分よりも大きい選手と対峙することが多かった。真っ当に戦っても勝てない中で有利な状況を作るために何をするのか、すごく考えながらプレーしました。それで体が大きくなって周りに追いついたときには、以前から取り組んでいたことがより生きるようになりました」
大津にとって憧れの選手は、元イングランド代表のMFデイビッド・ベッカム。
「彼の試合はよく見ていましたし、蹴り方を真似していましたね。ただ、僕とプレースタイルは全く違うので、プレー自体は真似できませんでしたけど(笑)」
憧れの選手の試合をただ見るのではなく、「自分が真似できるところはどこか?」という視点で見ることは成長に大きく影響する。大津自身も、「小さい頃に素晴らしい選手のプレーを見て学ぶことは大きいですし、プロの試合を見るのは非常に大事だと思います」と語る。さらにサッカー少年・大津にとって良かったのは、両親が毎試合ビデオを撮っていてくれたこと。試合後に父親と一緒に映像を見て、自らのプレーを客観的に振り返る習慣が、彼にはあった。
「低学年のときは親から色々と言われましたが、学年が上がっていくと自分から確認するようになりました。さすがにプロになってからは一緒に見ることはなくなりましたが、周りの意見はすごく重要だと思います」と言うように、幼少期に“自分のプレーを見る”習慣を身に付けた大津は、トッププレーヤーとなった今でも自らの試合、プレーを映像で確認するという。
「ビデオを見てこの場面で何が足りないというのは参考になるので、小さい頃から習慣になっていたのは、今でもプラスになっていると思います」
中学時代は鹿島アントラーズノルテジュニアユースに所属していたが、ユースへの昇格は叶わず、悩んだ挙句に成立学園高校への進学を決意する。
「施設が充実していましたし、学校のサッカーに対する取り組みも魅力的でした。全体的に環境がよく、チームもこれから強くなっていくところだったので、前向きに決断できました」と、成立学園を選んだポイントを説明する。「ユースに上がれなかった」という結果を後ろ向きではなく、前向きに捉えて次のステージに進んでいく姿勢も、彼を語る上では欠かせない。
「もちろん、ユースに上がりたい気持ちはありましたし、上がれなかったことで『見返してやる』という気持ちは持っていました」と明かすが、プロ顔負けの天然芝のサッカー部専用コートやトレーニングジム、選手寮を完備する成立学園でのプレーに、入学直後から気持ちを切り替える。それと同時に、寮生活だからこそ生じる「身の回りのことはすべて自分でやる」義務も、素直に受け入れた。寮がグラウンドと隣接している環境を活かして、高校時代の大津は自主練に明け暮れた。周りの選手の意識も高く、「練習後の自主練は当たり前」という環境だったにせよ、シュート練習を基本として、キック、ドリブル、一対一などをひたすら磨き続けた。「長いときにはずっとグラウンドにいました。特に制限もなく、照明も自由に使えたので、好きなだけサッカーをしていました」と当時を思い出す。
プロになり、より意識しはじめた武器を持つことの重要性
成立学園では1 年時に憧れの舞台である全国高校サッカー選手権大会に出場。「すぐに負けてしまったのであまり覚えていないんです」と苦笑いするが、「大会本番よりも、そこに向けて練習を積んだこと、それまでの過程の方が大きく記憶に残っているかもしれません」と、プロセスの大切さを高校サッカーで学んだ。
また、大津は世間的に「Jユースか部活か」と比較されることの多い両方を経験して、高校卒業後にプロ入りした選手。だからこそ、「プロの世界に入れたということは、結果的に成立学園を選んだことが正しかったということだと思います」とした上で、「もしユースに上がっていても、うまくいっていたかはわかりませんから。今では高校サッカーを経験してよかったと感じています。クラブにも良いところがありますし、高校サッカーも同様です。この2つを経験できたのは、自分の成長にプラスになっています」と話す。
その言葉から分かることは、結局はどこのチームでプレーするかではなく、選手本人の取り組み次第で将来の可能性はいくらでも変えられるということだ。
その大津がプロになってから強く意識するようになったことが「武器を持つこと」。体格面で劣っていた幼少期から「自分はテクニックで勝負する」ことを誓ってきた大津ではあるが、その彼ですらプロとなり、海外でプレーするようになると、自らの武器を含めた“個性”について「より意識する、高める必要がある」と感じたという。その大津がサッカー少年に薦めるのが、対人での1対1の練習。コーンドリブルや壁当てなどで基礎技術を高めることも必要だが、大津自身は「サッカーの試合中はプレーヤーとの対戦になるので、普段の練習から対人で行うことで、実戦で使える技術や感覚を養うことができる」と考えている。高校時代も同学年の選手や、時に先輩をつかまえて、対人のドリブル練習を行なってきたという。また、「自主練でいろいろとチャレンジしたことを、試合に出すには勇気が必要ですが、失敗して学ぶこともある。恐れずにどんどんチャレンジしてほしい」と、自主練で取り組んだテクニックを練習や試合で披露することの大切さについても触れた。
最後に、サカママに対して「子どもが集中してサッカーに取り組める環境を作ってあげてほしい」というアドバイスも残してくれた。自らの親について「本当に感謝している」と語る大津だからこそ、スクールに行かせてもらったこと、車での送迎、試合になればビデオを回してくれたことで、「当時は当たり前だと思っていましたが、今考えるとすごく尽くしてくれていたと思います」と振り返っていた。