大学サッカー受験秘話 ~サッカー・勉強両立の極意~(早稲田大学/川野秀悟選手)
「大学でサッカーを続ける」にはどんな手段と方法があるのだろうか? 見事合格を勝ち取り、大学サッカーの第一線で活躍する先輩たちに話を聞いた。
サッカーの超名門であり、国内屈指の難関私大
今季のJ1を独走する川崎フロンターレの三笘薫(筑波大学卒)、旗手怜央(順天堂大学卒)の大卒ルーキーコンビの獅子奮迅の活躍により、注目が集まっている「大学サッカー」。高校卒業時にはプロには届かなった選手が、大学での4年間でピッチ内外で人間性を育み、プロで即戦力で活躍できるレベルに成長する。そんな選手の増加により、全国の大学リーグ戦はスカウトの熱視線を浴びている。
今回紹介する川野秀悟選手と鈴木怜選手が所属する早稲田大学ア式蹴球部は、インカレ4連覇を2度、関東大学サッカーリーグ1部で最多優勝27回を誇る超名門だ。在籍する早稲田大学スポーツ科学部も、大学入試の偏差値が65~69と私大保健系の学部では国内トップの難関校。文武どちらかに突出していなければ入学することはできない、-そうお考えではないだろうか?
川野選手と鈴木選手は、それぞれ高校3年間で全国レベルの試合を経験しながらも、プロはもちろん、大学のスポーツ推薦には至らなかった選手だ。もとより、2人は「スポーツ推薦ありき」でサッカー1本に勤しんでいたわけではなく、高校生活で与えられた時間の中で、文武の時間を設定し、一般受験で大学に合格することを前提としてきた。
結果、彼らは偏差値日本トップの大学に合格し、プロクラブが熱視線を注ぐ名門サッカー部で日々汗を流している。決して「サッカーありき」では辿り着けなかった環境でプレーする2人が、合格を勝ち得た要因は何だったのか?
各々のアプローチで未来を掴み取った「受験秘話」をここに紹介する。
1999年7月11日生まれ、栃木県出身
早稲田大学スポーツ科学部3年
栃木SCユース出身
入試形態:センター試験+競技歴方式
高校1年はサッカーだけの生活。「このままじゃいけない」
僕は小学4年生のときに両親の仕事の都合で、広島から栃木に転勤してきました。中学で栃木SCのアカデミーにセレクションで合格し、ユース年代までプレー。通っていた栃木県立宇都宮北高等学校の偏差値は58くらいで、1年生の時の成績は学校の中で中の上くらいでした。入学からサッカー中心の生活をしていて、練習で疲れて家に帰ったらあとは寝るだけ。そんな生活を続けていて、高校2年生に上がるタイミングで「このままじゃいけない!」と思うようになったんです。
強烈な危機感から24時間をスケジューリング
なぜそう思ったかというと、もし高校を卒業してからサッカー選手になるとしても、引退した後を考えると絶対に大学に進学した方がいいと思ったからなんです。そう考えるとこのままじゃ大学には入れない、という危機感を覚えました。そこで自分のなかで24時間のスケジューリングを決めたんです。まずは睡眠をしっかり確保する。12時には必ず寝て朝7時に起きることを徹底しました。それができたら次は早めに登校して、授業が始まるまでの時間も勉強をする。これも続けることで次第に慣れていきました。あとはサッカーの練習から帰宅し、就寝する12時まで勉強をする。段階を上げていくことで、これが当たり前の生活になっていったんです。
半年で成績が学年80位から5位にジャンプアップ!
高校2年からスケジューリングを改めて、夏には成果が出るようになりました。春は学年320人中80位くらいでしたが、夏以降は5位以内に入るようになりました。5段階評価では学年トップにもなりました。よく「時間がない」と言いますが、僕はサッカーの時間と勉強の時間は完全に分けていたので、「サッカーがあるから勉強できない」、「勉強があってサッカーできない」ではなく、両方あるからこそ、気持ちが充実してどちらも上手くいく関係性だったと思います。
塾に行ったこともなく、教材はすべて教科書だった
参考書などを購入することはなく、学校で配られた教材・教科書だけをしっかりやっていました。それは信頼している先生が「センター試験に出る問題は基礎問題が多い。それであれば学校の教材をやることこそが基礎固めになる」と言っていたからです。購入した教材といえば英単語帳くらい。高校3年間で一度も塾に行っていないです。いきなり新しい環境に変えても集中できないと思ったし、学費としてお金かけて環境を変えるくらいなら、いまの集中できる環境を維持した方がいいと思ったからです。
目指すは国立!筑波大学が第一志望
第一希望として国立大を目指していました。金銭面で親に負担をかけたくなかったことと、栃木SCのジュニアユースのコーチの方が筑波大学出身の方で、憧れがありました。先輩が筑波大だったので高3の夏に練習会に行かせてもらったのですが、スポーツ推薦の候補の選手はスピード、質のレベルの差がありすぎて、勉強だけではなくサッカーも頑張らないと、と気合が入ったのを覚えています。
高3の12月から受験モード。サッカー時間を勉強へ
栃木SCではセンターバックでキャプテンとして第40回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会に出場し、冬の第25回Jリーグユース選手権大会ではベスト32に進出しました。高3の12月には栃木県リーグもひと段落ついたことで、サッカーでの活動を止めて勉強に集中するようになりました。2年生から続けていた1日のスケジューリングで変わったのは、サッカーの時間を勉強にスライドしたことです。授業が終わる午後4時から学校が閉まる午後6時まで勉強して、図書館に移動して午後9時まで勉強。そこから帰宅して夕食のあとは12時まで勉強していました。
受験した大学はすべて合格!ア式蹴球部のある早大へ
得意科目は数学と物理ですが、国語の古文がどうにも苦手で…。単語がアタマに入ってこなくて苦労しました。結果的にセンター試験でも国語の点数が伸びず、全体で8割程度の回答率で筑波大学進学は断念することになりました。そこで国立は鹿屋体育大学、私立はア式蹴球部所属のある早稲田大学を目標として、その他私大も数校受験しました。早稲田大学スポーツ科学部スポーツ科は、センター利用(得点率ボーダー80%)・競技歴の入試を受けて合格。鹿島島まで行って受験した鹿屋体育大学も合格することができました。金銭面で親に迷惑をかけることになりますが、伝統あるア式蹴球部のある早稲田大学に行かせてもらうことになりました。
大学生活で物事を多角的に捉えられるように
大学生活を通して、物事を多角的に捉えられるようになったと思っています。高校までサッカーというものはすべてピッチ内だけで考えていました。大学に入ってから外池大亮監督をはじめ、先輩方の取り組みを見ていると、ピッチ外の行いがすべてサッカーに通じていることを知り、サッカーの捉え方が大きく広がりました。
大学進学を諦めないでください
ア式蹴球部は高校で色々なバックグラウンドをもった部員の集まりですが、大学生活で「変わる」選手がすごく多いです。大学に入って変われる部分はすごくあります。だから高校で諦めないで「変われる」って信じて、進路を真剣に考えてほしいと思います。
- 平日の24時間、勉強とサッカーの時間を決めて実行した。
- 塾にも通わず教科書で基礎力を徹底的に勉強した。
- 「今」やるべきことを明確にしていた。
- 高校2年で抱いた危機感がすべての始まりだった。
7:00 | 起床 |
8:00 | 登校・勉強 |
8:45 | 授業開始 |
12:00 | 昼食 |
16:00 | 授業終了 |
18:30 | サッカー |
21:30 | 帰宅・夕食 |
22:00 | 勉強 |
24:00 | 就寝 |
(2年次の春から)
写真提供/早稲田大学ア式蹴球部