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横浜Fマリノス戦

夢の実現〜 サッカーのある生活

サカママ 読者の皆様はじめまして。

中学1年、幼稚園年長のサッカー少年を見守る サカママ であり

サカママイベントなどで司会などを務めさせて頂いております フリーアナウンサー 細田阿也です。

1年間 サカママ コラムを担当させて頂くことになり、息子たちの奮闘記を通じて葛藤、悩み、成長、サカママ の寄り添う気持ち、サッカーへの夢など、正解不正解のない子育ての中 母としての思いを綴っていきたいと思います。

「サッカーが好き!サッカーの仕事がしたい!」という皆さんも抱くであろう想いを応援したい!エールを込めて、 2回目はサッカーリポーターになるまでを記させて頂きます。

 

サッカーのお仕事をしたい!という幼少期からの夢を抱き

T B SのJリーグ、日本代表戦のサッカー中継リポーター(ピッチリポーター)になることができました。

2002年日韓W杯が終わってまもない、19歳の大学生の頃。夢あるお仕事の話が舞い込んできました。サッカーの仕事をしたい!と口に出し続けてよかったと実感した時でもありました。

赤坂にあるT B Sオーディション会場には、沢山の数えきれないくらいの女性が集まり、見渡す限り リポーター、アナウンサーのような凛とした綺麗なお姉さまばかり。

リポート力、生放送の経験も少なく、人見知りの私は、場に圧倒されていました。

カメラテストではリフティングもあり、数回 奇跡的に続いたような気がします。

質疑応答では、J開幕からのサポーターであり日韓W杯決勝を観戦した感動も含め、時間内で余すことなくサッカー愛を伝えたつもりですが、緊張のあまり準備していた伝えたいことの10分の1も言葉に表せなかった気がします。

 

手応えなく終わったものの、、、

マネージャーさんより合格の吉報を頂いた時は、うれしい以上に

頂いたチャンスに恩返しするためにもサッカーをもっと愛さねばと決意しました。

 

T B Sサッカー中継 「JL E A G U E W I D E」リポーターとしての船出は、各チームへの挨拶まわり。関東圏はもちろん、全国伺える範囲で、広報さん始め、選手、スタッフの皆様、番記者さんへ挨拶し、宮崎、鹿児島などキャンプ地にも足を運び、練習風景やトレーニングマッチを観戦し、選手名鑑片手に選手の顔と背番号、ポジション、特徴などサッカーノートにひたすら記していました。

 

C大阪に伺って森島寛晃氏に初めてJリーガーに取材もさせて頂きましたが、森島さんの選手時代からの腰の低さ、優しさ、見送るまでの挨拶などに感動しましたが

今まで見ていた華やかさと実際の選手の影での努力、ひたむきさ、真摯な対応に触れた瞬間でもありました。

 

続いて、Jリーグのプレスカンファレンス。

全チームの監督、代表選手、スタッフが集合して顔合わせ。

サッカー番組や、ラジオ、新聞、サッカー雑誌などライターさんやスタッフさんが一挙に集まるので

かき分けて選手に声をかけに行けるまでには数年かかった気がします。

 

Jリーグ開幕前は、A3チャンピョンズカップ、ゼロックススーパーカップ2003 ジュビロ磐田対京都パープルサンガの中継やジーコジャパンの日本代表戦V Sウルグアイ、韓国戦で 

初めて国立霞ヶ丘競技場のピッチ横、平面から観戦した世界、芝の匂い、プレーの音、360度から聞こえる大歓声に鳥肌が立ち身震いしました。

 

Jリーグは勿論 F I F Aコンフェデレーションズカップの中継ではニュージーランド対日本代表など、

U E F Aチャンピオンズリーグなどスタジオに出演させて頂くために

サッカー雑誌、サッカーのビデオをひたすら自己流で研究するサッカー三昧の日々でした。

 

サッカーのリポーターとして、全体の動き、監督の指示、控え選手のアップなどの動向、

中継に映らない選手の変化、訴え、表情、うちに秘めた想いなど汲み取るため

どちらかのチームに偏ることなく中立に注視しながら見守りました。

 

選手を引き立たせるためには、直近の試合ビデオを何試合も見て、

大学の授業前や放課後に1時間や2時間以上かけて電車やバスを乗り継ぎ、練習見学。

フォーメーションを予想し、監督や選手、スタッフに事前取材し、次節に向けた想いや対戦相手への分析、個人的なエピソードなど、実況アナウンサーさんや番記者さんと一緒に、もしくは個々に一人でも多くリサーチし、選手の表現や特徴、キャラクターなども踏まえ、ニュアンスを間違えない様に再考し、コメントを一覧に夜通し書き上げる作業をしていました。

 

それでも準備したコメントは消化しきれず折角の思いを伝えたいと

T B Sサッカー中継観戦記や、サッカーマガジン様のコラム、二宮清純氏H Pにて取材後期として残巣ことができました。

 

勝利者インタビューなどもロスタイム(アディショナルタイム)ギリギリまで試合展開がわからずハラハラしていたことも。

監督が推すキーマンとなる選手が活躍すると中継の流れがスムーズに展開したり、

誰もが注目する試合で、若手が鮮烈デビューをしたり、

守備の選手や、リザーブの選手が劇的なゴールを決め注目を集めることもありました。

初出場、初ゴール、何試合ぶり、、、

個々の動向も細かくチェックし、資料を確認してまとめておくことも欠かせません。

 

ヒーローインタビューとして、私のデビュー戦は、播戸竜二氏でした。

質問事項も準備しておいたものの、想定していた以上の 播戸竜二さん流の熱い思いも込めたキレの良いコメントも飛び出し、私が慌てていたのをサッと察して、機転よく面白く盛りあげ播戸劇場にまとめて下さいました。

私にとっては反省と失敗のデビュー戦から、大きな財産、経験を得ることができました。

播戸さんにお会いするたびに関西弁でネタにしてくださるという恥ずかしさの中に、優しさを感じ

元々のストライカー好きから、播戸選手のプレー姿も魅了されていましたが、お人柄に救われインタビューの心得を体感し、温かく背中を押してもらった様に捉え一気に惚れました。

ある意味、今もなお師匠と思っています。

 

選手によっては、素晴らしい!ナイスゴールでした!と伝えることで思いの丈を伝えてくださる方、

○○選手から絶妙なパスによるゴール!とアシストしたチームメイトを立てながらの質問を投げかけることで、

謙遜しながら仲間に感謝するコメントをする方もいるので、選手の個性も見極めながら質問をしなければならないことも。

 

人見知りだった私が名刺を渡すという社会勉強をしながら、

まだまだ至らなかったと思いますが、一歩進んで取材すること、選手に寄り添って話を伺うこと、観察力を養う大切さを学びながらも、常に緊張感、気が張っていたと思います。

 

大学時代の授業時間以外の時間は、就職活動も考えていた頃。

アナウンススクールや事務所のレッスンにも通っていましたが、全身全霊サッカーに注ぎ、青春は二の次にて、サッカー漬けの大学生でした。

とはいえ、その当時 現役大学生であり、事務所がオスカープロモーションというモデル事務所に所属していた為「サッカーを利用してタレントになりたいのでは?選手と結婚したいから?」という目もあったかと思います。

この誤解をとき、印象を払拭したいと

取材でも、試合会場でも 選手とサポーターの仲介役でありたいと思い

女性的印象を持たれない様に露出の少ないパンツスタイル、スポーツカジュアルに徹底し、チームカラー、プーマ、ナイキ、アディダスなどスポンサーにも注意し、サッカーに専念すべくサッカー以外の芸能活動も控えました。

 

チームによっては、スタジアムのピッチは神聖な場所。

女性がピッチエリアに入っては言語道断と思われていたところもあったはず。

チーム毎に異なるカラーや、スタンスを知るべく、サポーターの皆さんにも取材し、今までに至るドラマ、積み重ねてきた歴史などサッカーの奥深さを知り、のめり込んで行きました。

 

アディダスのイベントにて誕生日会を行ったベッカムさんの取材にスペインへ伺い、直々にFKの蹴り方も伝授頂いたり

レアルマドリード、バルセロナ、A Cミランのジャパンツアーの中継も担当させて頂き練習風景や試合前後の紳士な姿に感動するなど、Jリーグは勿論、そして世界のサッカーを体感させて頂き貴重な経験をさせて頂きました。

 

アラブ首長国連邦で開催された2003F I F Aワールドユース選手権では予選を勝ち抜き

決勝トーナメントでは、ライバルともいえる韓国に勝利し、

大会優勝したブラジル相手には、観客1万人が集まった準々決勝にて1−5にて敗退しベスト8となり、得点王に輝きシルバーシューを獲得した坂田大輔氏などの活躍がありました。

 

同世代の活躍を取材すべく、事前に開催された韓国遠征、国内合宿、チャレンジマッチ、そして帯同したU A Eに2週間体動させて頂き、アブダビ、アルアイン、ドバイなど都市を巡る事ができました。

 

男性は全身 「カンドウーラ」という白の服装をし、試合中だったか一斉に礼拝が始まり文化の違いに驚きました。

日本とは違う地鳴りの様な声援でしたが、その中で聞こえる日本代表の声援や、選手の奮闘に

大和魂、日本人という絆を感じることができたかけがえのない経験をさせて頂きました。

 

そんな2週間は、私にとっての分岐点でした。

まさに就活がスタートした頃、一次面接、2時面接に重なっていました。

帰国後に快く変更してくださった会社もあれば、

「サッカーだけで一生は過ごせない。就職とどっちが大切だと思いますか?」と

大人になった私も、もしかしたら息子に思わず言う時期が来るかも知れない有難い言葉をぶつけて頂きました。

目の前の仕事への責任感と、サッカーへの思いと、比較できない就職という現実。

親とも離れていたので自分自身に投げかけ、悩み、葛藤し、悶々としながらも

勝ち進む同世代のU20日本代表の選手たちの結束力、打開して突き進む推進力、結果を勝ち取る姿に、、、自分がやりたいことはこれだ!と心揺さぶられ、採用担当の方に、面接辞退の連絡を入れました。勿論、日本にいたらば悩むことなく就職活動をして、もしかしたら違う道に進んでいたかも知れません。

 

人生を自分自身に問いかけ、決断することができ、サッカーに挑戦しようと決めた懐かしい思い出であり、尚更サッカーのために、サッカーでとことん勝負しようと決意した場所でもありました。

 

吹っ切れた様にリポートする面白さ、責任感も増し、選手を、サポーターを、言葉でつなげる様にフォローしたいと思えるように。

知れば知るほどサッカー感、戦術など知りたい欲求は深くなり、うまく表現できず伝えきれなかったり、リアルタイム感を逃してしまい、もっとスムーズにスマートに伝えたいと葛藤もあり涙したことも、悔しさをバネにしていましたが 自分自身サッカーをとことんやるべきだったと後悔もありました。

全国津々浦々スタジアムも、クラブハウスも回らせて頂き、沢山の出会い、思い出も、チームの個性も、サポーターの力を改めて体感することで感じました。

 

夢を語り続ける。

夢を語るからには、上部じゃなく、本質を知るべくとことん向き合うこと。

好きこそ物の上手なれ。

 

サッカーだから、サッカーが好きだったから

ここまでのめりこめたのだと思います。

 

チャンスを与えてくださったT B Sサッカー班の皆様は、家族の様にフォローして下さいました。

時間を共有し、ダメ出しというアドバイスを何枚も手書きでビッシリ書いて下さり、取材しやすい様に試合に向けた資料やビデオを手配し、至れり尽くせりサポートしてくださいました。

 

注目点を聞き入れてくださったディレクターさんや、ピックアップした選手を映し出すカメラさんや、声を拾ってくださる音響さんも含めて1試合に向けて、たくさんの方々の力があってこそ感謝してもしたりません。

 

自分の夢を叶えるためには一人ではできない。

支えてくださる方がいるから、頑張れたのだと思います。

 

次回は、サカママになって感じたこと。

結婚を経て、サッカー王国 静岡に移り住んで、サッカーに浸りながら子育てし、サッカー少年として育っていく過程と、ピッチリポーターではなく、次はイベントM Cとしてサッカーの仕事についてお伝えしたいと思います。

WRITER PROFILE

細田 阿也
細田 阿也
フリーアナウンサー。サッカー王国・静岡で生まれ育った兄弟(13歳、6歳)のサカママ。 小学生の時に体験したJ開幕からサッカーに魅了され、大学時代には夢だったTBSサッカーJリーグ中継ピッチリポーターとして日本代表、Jクラブを取材。 現在はフリーアナウンサーとしてイベントMCなど幅広く活躍。「サカママフェスタ」でもMCを務めており、選手とサカママ、サポーターとの仲介役として寄り添う姿が魅力。 中学年代、サッカーキッズの葛藤や挑戦、見守るサカママの想いなどを記していきます。
http://whatis.tokyo