PUMAが誇るニッポン代表【サッカーを仕事にするということ】
プーマ ジャパン株式会社 マーケティング本部 チームスポーツマーケティング シニア エグゼクティブ
田中拓志
―サッカー歴は?
小3から大学まで
「小学3年の時、母親から『太ってきたから何かスポーツをやりなさい』と言われて(笑)、仲のいい友達がやっていたサッカーを始めました。大学まで続けたんですが、先輩や同期でプロになる人がいるような環境で、あまりの実力差に愕然として、自分がプロになるという思いは断ち切りました」
―現職に就いたきっかけは?
大好きなサッカーなら売り込めると思った
「大学の学部が文系(経済学部)だったので、就職したらまずは営業職に配属されるだろうと考えた時に、興味がないものより自分が好きなものならしっかり売り込んだり提案できたりするんじゃないかと思い、サッカーに携われそうなメーカーやスポーツ代理店、小売店などの採用試験を一通り受け、縁あってヒットユニオンに就職することになりました」
―現職に就くまでの経緯は?
営業4年の後マーケティング16年
「入社後2カ月半、出荷作業などの研修を行い、東京支店に配属になって4年間、営業を担当しました。都内のスポーツ店を担当し、学校体育用のジャージも販売していたので、その営業で中学や高校にも行きましたね。その後、2000年7月に当時の本社の上司から、サッカーカテゴリーの商品企画からマーケティングなど、すべてを担当する部門に誘っていただいて、現在に至っています」
―今の業務内容は?
サッカーに関することは何でもやっています
「チームスポーツのマーケティング担当です。他国ではラグビーやクリケット、ハンドボールなどの競技も含まれますが、日本では主にサッカーとフットサル。広報・PR からコミュニケーションプランの予算管理、企画立案および実行、イベントの運営、フットサル選手やチームのスポーツマーケテ ィングなどを担当しています。メディア対応も、私が直接、コミュニケーションを取っています」
―冬の選手権との関わりは?
協賛初年度からサポート
「プーマが協賛するようになってから今年度が12回目になるんですが、私は最初から関わらせていただいています。印象的なのは国立競技場開催の最後の年(第92回大会)の決勝戦、富山第一対星稜の試合ですね。後半終了間際からのドラマティックな展開をピッチレベルで観ていたのですが、両校応援団の渦巻くような大声援は初めて経験しましたし、国立での最後の試合という意味合いもあって、とても印象に残っています」
富山第一が劇的な展開で星稜を下した第92回大会決勝。国立ラストマッチを締めくくった
―今後、高校生プレーヤーをどうサポートしたい?
全プレーヤーをサポートしたい
「プーマは全国大会だけでなく、地区予選もスポンサードしています。予選の1回戦で敗れてしまったチームでも、選手権に参加したチーム、選手であることに変わりはありません。大会を経由して選手たちの将来があると思いますので、全国の舞台に立つチームだけでなく、出場する全プレーヤーをサポートしていきたいですね」
―高校時代に熱中したことは?
観られる試合はあらゆる手段を使って観た
「当時は試合を観る機会が限られていましたが、86年メキシコW杯の中継を早起きして観たり、同W杯予選の日本戦を神戸までバスツアーで観に行ったりと、試合を観る努力をしていました」
―学生時代の経験で、今に生かされていることは?
鼻をへし折られた…
「高校まではサッカーにおいて特に大きな挫折もなく、いわば“天狗”になっていましたが、大学で周囲との実力差を痛感し、鼻をへし折られました(笑)。でも、試合に出られない立場を経験したことで、いろいろな人間の関わりによ って一つの組織が機能するんだと気づくことができました。それぞれの立場や関わる人の気持ちを理解できるようになったことは、今の仕事に役立っているように思います」
―今の高校生たちは何を意識すればいい?
何事も全力で!
「サッカーは全力でプレーすべきだと思いますし、勉強する時、遊ぶ時も全力で取り組んでほしい。将来、何になりたいか分からない不安があるでしょうけど、今、すべきことに全力で取り組めば、将来きっと何かの役に立ちます。『あの頃、やっておいてよかったな』と思う日が来るはずです」
ある日のスケジュール
10:00 | 出社、グローバルチームからのメールチェック |
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11:00 | ミーティング |
12:00 | 昼休み |
13:00~18:30 | 外部とのミーティング、選手への商品手配、広報資料作成、PR活動、メールチェックなど |
「プーマは本社がドイツのヘルツォゲンアウラッハ、クリエイティブチームはボストンにあり、日本時間の深夜にそちらからのメールが来るので、まずそのチェックをします。海外とのやり取りはすべて英語。学生時代は大嫌いだったんですが、仕事で必要になったので30代後半から猛勉強( 笑)。英語はやっておいたほうがいいですね」
喜びの1ページ
時を経て選手権の舞台に立った!
「高校時代は選手権を目指していましたが、結局、出場はできませんでした。その舞台に、立場を変えて違う形で立つことができた。プーマは12年前から大会をスポンサードしていますが、初年度の国立競技場での開会式でピッチレベルに立った時は、出場する選手たちと一緒に仕事ができる喜びに特別な感情が湧きました」