Jリーガーたちの原点 vol.07「細貝 萌(ヘルタ・ベルリン)」
取材・文/原田大輔(SCエディトリアル) 写真/藤井隆弘
身近なライバルは双子の兄
身近なコーチは父親だった
ドイツに渡り、4シーズン目を迎えた細貝萌は、今シーズンよりヘルタ・ベルリンでプレーしている。新天地にそこを選んだのは、ドイツで初めてプレーしたアウクスブルクで指導を受けたヨス・ルフカイ監督が、指揮を執っているということもあるだろう。ただ、それ以上に彼の心には“挑戦”という思いがある。1年を切ったブラジル・ワールドカップのピッチに立つため、さらに成長しようと、彼は新天地への移籍を決断した。サッカーボールを蹴り始めた少年時代と変わらぬ「もっとうまくなりたい」「サッカーが好き」という純粋な気持ちが、今も彼を突き動かしている。
群馬県前橋市に生まれた細貝がサッカーボールを蹴り始めたのは兄の影響だった。
「上に双子の兄がいるのですが、2人ともサッカーをやっていて、最初は兄がやっているところを見学に行ってたんです。正式にサッカークラブに入団したのは小学1年生のとき。兄もプレーしていたし、自然な流れですよね」
細貝は小学生時代を前橋広瀬FCで過ごす。経歴には、その後、前橋南FC(現FC前橋南)でプレーしたと記されているが、それは前橋広瀬FCが他のチームと合併してチーム名が変わったという経緯がある。
「小学生のときは、とにかく時間があればボールを蹴っていました。学校に行ってもサッカーをやっていたし、練習も好きだった。暇があれば、双子の兄と公園に行って、一緒になってボールを蹴っていました。具体的にはコーンやマーカーを使ってドリブルをしてボールに慣れる練習をよくしていました。親にマーカーを買ってもらい、家の近くのサッカーができるところでそれを並べてドリブルする。メニューは、父親が自分よりも年上の人たちがやっている練習を見て情報を仕入れてきて、考えてくれていましたね」
身近なライバルは3歳年上となる双子の兄だった。幼いときから細貝には、自分より年齢が高く、うまい選手と練習する環境が整っていた。そして身近なコーチは父親だった。幼いときから細貝には、昨日よりも今日、今日よりも明日と、日々、サッカーがうまくなる環境が整っていた。
「父親は、最初は厳しかったのですが、小学生になり、正式にサッカーをするようになってからは何も言わなくなりました。プレーについてはチームの監督から言われるじゃないですか。それで注意されたり、アドバイスを受けたりするので余計なことは言いませんでしたね。いつも自分が出る試合は見に来てくれました。とにかく両親は、自分がサッカーをすることに全く反対しなかった。子どものときは送り迎えもしてくれたし、僕が、サッカーが好きなことを理解してくれていました」
身体を作る食事の重要性
海外の選手たちもよく食べる
細貝がサッカーに対して真剣に向き合っていたからか、両親は他のことをやるように促したことは一度もなかったという。
「実は両親から勉強しなさいって言われたことがないんですよね。むしろ、『そんなに勉強しなくていいんじゃない?』って言われていました。テストがあるときなどは覚えるのに時間がかかるので前もって勉強するタイプなのですが、そのときも『テストがもっと近くなってからやればいいじゃない』って。できないのは嫌だったので、自分から勉強しましたけど(笑)」
細貝の両親は、もっとサッカーの練習をしなさいとも、もっと勉強をしなさいとも言わなかったという。それは好きなことや、やらなければならないと感じたことであれば自主的にやると考えていたからだろう。
「口うるさく言われたことは一度もないですね。ただ、サッカーで躓きそうになると、いつも自分の背中を押してくれたというか、手助けしてくれました」
日本代表に選ばれ、ドイツでプレーするようになった今、小学生時代を改めて振り返り、取り組んでおけばよかったと思うことがある。それを考えたときにも、いかに両親が自分をサポートしてくれていたかを思い知らされる。
「食事はすごく大事だなって実感しています。サッカー選手としてはもちろんですが、それだけでなく食事は身体を作る大事な要素。ドイツでプレーする選手たちを見ても、よく食べるし、よく寝るし、よくトレーニングする。幼いころから気にかけておいて損はないですよね。そこには保護者のサポートが絶対に必要。僕の両親も気を遣ってくれていた。練習後には100%のフルーツジュースを用意してくれたり、いろいろしてくれましたからね」
細貝は、前橋広瀬FCの監督から、密かに課題を与えられていたという。
「監督から、他のチームメートはフリータッチ(自由にボールを触っていいこと)でいいのに、自分だけスリータッチ(3回だけしかボールに触れない)でプレーしろと言われ、制限されていたんです。後になって、自分をさらに成長させようとしてくれていたこと、期待してくれていたことが分かったんですが、当時は、なんで自分だけプレーを制限されなきゃいけないんだろう、なんで自分だけみんなと違うんだろうって思っていましたね」
細貝の才能を見抜いていたからこそ、当時、指導した監督は、彼に負荷をかけたのであろう。それが今のプレースタイルを確立するきっかけにもなっているのかもしれない。
「今にどれくらいつながっているかは分からないですが、自分のイメージとしてはできるだけボールを持たずに試合を動かしたい。ボールを動かしてゲームを作ることは、小さい頃から考えてやってきたことでもあります」
辞めたいと思ったことは一度もない
大切なのはサッカーが好きであること
15歳で年代別の日本代表に選ばれた彼は、高校を卒業すると浦和レッズでプロとしての一歩を踏み出した。その後、北京五輪に出場し、現在は欧州でプレー。日本代表にも名を連ねている。順風満帆に見えるキャリアにも、苦しいときや辛いときはあった。その壁を乗り越えられたのは、やはり「サッカーが好き」という子どものときからの変わらぬ気持ちがあるからだ。今なお、サッカー少年の心を持つ彼が伝えたいメッセージとは……。
「僕はサッカーを辞めたいと思ったことが一度もない。試合に負けて泣いたことも、怒られて試合途中に帰らされたこともある。それでもサッカーを辞めたいと思ったことは一度もない。そこには誰よりも自分はサッカーが好きだという思いがあった。それは今までもこれからも変わらない。だから大切なのは、まず自分自身がサッカーを好きかどうか。自分がサッカーを好きだったから両親もサポートしてくれたと思うし、それに感謝もしている。自分の意思でサッカーをやっている子どもがいるとすれば、もっともっとサッカーを好きになってほしい。決してうまいとか下手とかではなく、サッカーを好きかどうかが、大事だと思います」
まず、大切なのは、プレーしている、やっている本人が好きかどうかだ。
「本人が好きじゃないと何をするにもきっと続かない。その上ですごく保護者の存在は大きい。子どもが壁に当たったり、苦しんでいるときにこそ、サポートしてあげてほしい。僕が両親にしてもらったように、好きなことに、より夢中になれるように、いつも見守って背中を押してあげてほしいですね」