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Jリーガーたちの原点 vol.49「中島翔哉(浦和レッズ)」

Jリーガーたちの原点「中島翔哉(浦和レッズ)」

母との二人三脚で始まったサッカー人生

昨年、元日本代表MF 中島翔哉がJ1・浦和レッズに加入し、約6年ぶりのJリーグ復帰を果たした。2016年のリオデジャネイロ五輪代表や、2018年に発足した森保ジャパンで10番を背負ったドリブラーが、浦和でも10番を背負い、2006年以来のリーグ制覇の原動力になれるのか期待がかかる。

そんな中島が生まれ育ったのは、東京都八王子市。サッカーを始めたのは、保育園の頃。「近所に住んでいた従兄弟や、保育園の先生、友達とのサッカーが楽しかったのをぼんやりと覚えています」と振り返る。

小学生になると、平日にサッカーやフットサルのスクール、土日は地元のチームの練習とサッカー漬けの日々を送った。シングルマザーである母親と二人で歩んできた中島にとって、母親の存在は特に大きかったという。「チームやスクールに通うだけでもお金がかかるし大変だった中、車で毎日送り迎えしてくれていました。サッカーができる環境を整えてくれた母には感謝しています」

二人三脚でのサッカー生活を送っていた中島がプロサッカー選手への道を歩み始めたのが、東京ヴェルディの育成組織。もともとヴェルディのファンだった母親が先導してくれたセレクションに合格し、5年生から本格的にアカデミーでの選手生活が始まった。

目標・ゴール設定の意味

ヴェルディジュニアにてプロサッカー選手への道を歩み始めた中島少年の目標は、“海外でプレーする”こと。ジュニア時代から、南米やヨーロッパなど海外のサッカーに魅了され、自身も海外を志向する気持ちが大きかったのだという。

スクールからジュニア、ジュニアユース、ユースと順調にカテゴリーを上げていくなかで、“海外に行きたい”という目標はあったものの明確なゴールは設定していなかった。「小学生の頃は全少(全日本U-12サッカー選手権大会の旧称: 全日本少年サッカー大会の略称)に出場することがみんなの目標でした。実際に出場できたこと(第30回大会・2006年)は素晴らしいことですが、たとえ出場できなかったとしても、今の自分にそこまで影響はなかったと思っています。そこ(全国大会出場)が僕のゴールではなかったですから」と語るように、中島にとって目標というものは成長するための通過点。日々、少しずつ変化を感じながら成長してきたことが今につながっているのだという。

「サッカー自体がというより、上達することが楽しい」

中島がプレーするなかでもっとも大切にしてきた信念が、“楽しむ”ということだった。「自分が“今よりももっと上手くなる”ということだけを考えてやってきました。個人の成長を何より優先していて、他人の評価より自分がどう感じるかが大事だと思っています。 今でも毎日の練習の中で、『下手くそだな』と感じながら取り組んでいます。とにかく自分が上達することが楽しいんですよね」と微笑む。少年時代から練習時間は誰よりも長かったが、それは純粋に「好きなこと」に打ち込んできた結果であり、「頑張った、努力したという認識はない」という。

「小さな頃からとにかくたくさん、朝から晩まで練習していましたね。ヴェルディに入ってからは遅くても練習が始まる1時間半前にはグラウンドに着いていました。当時は、グラウンドにいればコーチや先輩が誰かしら見てくれていたので、練習後も時間が許す限りボールを蹴っていました。昨日できなかったことができるようになると、嬉しくてまた新しいことがやりたくなる。そういう小さい頃の習慣が今の基礎になっているのは確かだと思います」と、上達することに楽しみを見出す中島の姿勢は、幼い頃から育まれたものだったことがわかる。

高校生になり順調にユースに昇格すると、早くも中心選手に。2011年にはユース年代の最高峰・クラブユース選手権で連覇を果たし、ベストヤングプレーヤーに選出。2種登録選手に登録され、高校生にしてトップチーム(プロ)の練習に参加することになった。

「午前から昼にかけてトップチームの練習に行って、その後夕方からユースの練習に行っていました。『気づいたら夜になっていた』という感じでした(笑)。時間を忘れて何かに熱中する“職人気質な人”って、今は少ないかもしれませんね。効率重視の練習も大事かもしれませんが、僕の場合は時間を忘れるくらい練習に没頭してきたことが今につながっているのだと思います」

学校の授業中も机の下にボールを忍ばせ、まさに「“ボールが友だち”だった」と笑う中島の成長、上達の背景には、いつも「時間を忘れるほどサッカーを楽しむ」という心の在り方があった。

子どもが自分で選択肢を持つということ

6年ぶりのJリーグ復帰を果たした中島が、先日小学生のサッカーを見た際に感じたことがあるという。

「みんなが同じプレーをしていて、あまり主張せずに大人しい印象を受けました。もし“自分を出す”ことを恐れて、コーチに言われたままにサッカーをしているのであれば、いつかサッカーの“楽しさ”を感じなくなってしまうのではないかと心配になりました。 人それぞれの個性や特長を育むのがスポーツであって、僕のように“自分の成長を楽しむ”ということを、子どもたちも指導者の方も忘れないようにしてほしいですね」

Jリーグ復帰2年目となる今シーズン。中島には、国内でプレーすることにこんな想いがある。
「僕が子どもの頃に見た海外のサッカーに憧れて日々上達を目指したように、今度は自分のプレーで日本の子どもたちを楽しませられるようになりたい」

冬のシーズンオフで大型補強を敢行した浦和レッズを優勝候補に挙げる声も多いなか、10番を背負いチームを18年ぶりの栄冠へ導くことが期待される。そんな中島が最後に、全国のサッカージュニアとサカママにメッセージを残してくれた。

「サッカーに限った話ではないのですが、何事も楽しみながらやるのが大事だと思っています。もしかしたら、今は大人がそれを無意識に制限してしまっている可能性があります。『子どもに決めさせています』って言っていても、実際は子どもが失敗しないように先回りして予防策を講じてしまっているのかもしれません。もちろん、それぞれの親御さんの育て方があると思いますが、いかに子どもの意思を尊重してあげられるかが大事だと思います。僕は子どもの頃から、自由に好きなサッカーをやらせてもらっていたから、なおさらそう思います。今、父親になり、子どもにはできる限り好きなことをして、いろんな経験をしてもらいたいと思っています。もちろん、怪我など危ないことがあったら止めますけどね(笑)。

日本では“一つのことをやり続ける”ことが美徳とされてきましたが、今は選択肢がたくさんあります。もし、お子さんが“本気で楽しめていない”と感じるのであれば、親は静かに見守って、子どもにやりたいことをさせてあげてほしいと思います。そして子どもたちは心から夢中になれる環境で、いずれは自分で選択して決断できるようになるために、伸び伸びとサッカーをしてほしいですね」

写真提供/©URAWA REDS