【サッカーの続け方】谷本和哉(レノファ山口FC U-18 トレーナー)
サッカーに関わる仕事を紹介するこのコーナー。今回は地元クラブの一員となることを目指し、念願かなって今季からアカデミーのトレーナーとして活躍する谷本和哉さんをご紹介します。知識ゼロからスタートし、専門学校での濃密な3年間を経て夢を実現した過程には何があったのでしょうか?
谷本和哉(たにもと かずや)
2002年3月1日生まれ、山口県宇部市出身。ケガが原因でサッカー部を退部するも、その経験を活かすべく、トレーナーを目指してJAPANサッカーカレッジに進学。サッカートレーナー専攻科(3年制)にて開志学園JSCの帯同、横浜FCなどJリーグクラブでのインターンシップを経て、レノファ山口FC U-18のトレーナーに内定。今季から活動を続けている。
「ケガで諦めたサッカー。その経験を糧に選手の未来を明るくしたい」
── サッカー歴を教えてください。
「小学校3年でサッカーを始めましたが、腰のケガにより高校1年で辞めました。それでもサッカーは大好きで、選手でなくとも仕事として関わっていきたいと思っていました。そこで高2の夏に新潟にあるJAPANサッカーカレッジ(JSC)の学校説明会に参加し、進学を決めました。ケガで諦めたサッカーですけど、トレーナーとして、今度は選手をサポートする立場になりたいと思ったんです」
── JSCで学んだことは?
「1年次はトレーナーの基礎知識をつけることが中心で、テーピング、栄養学、解剖学など必要な知識はたくさんあるので大変でした(笑)。ただ、ここをしっかり頑張ったからこそ、2年次からの現場実習の時間を有意義なものにできたと思っています」
── 実習ではどんなことを?
「JSC高等部男子チームの開志学園JSCに帯同し、専属トレーナーの稲辺先生の下で活動させていただきました。最初は選手と打ち解けられず、信頼関係を築くのに苦労しましたね。高校生相手に冗談の一つも言えず、こちらの指示もなかなか聞いてもらえなかったです。また、自分勝手な判断でリハビリ中の選手を練習参加させてしまい、厳しくご指導を受けたこともありました。色々と失敗をしましたね」
── どのように乗り越えたのですか?
「自分の欠点を自覚し、少しでも変えられるところから実践していきました。選手への声掛けから、細かなカラダのケアまで、小さなことから自分の役割を全うしていくことで、少しずつ認められていったと思います。何より、変化を身近で見られることや、リハビリから選手が回復してピッチに戻った時にやりがいを感じました」
── 就職の経緯は?
「3年次から横浜FC、ブラウブリッツ秋田、そしてレノファ山口でインターンシップを経験し、現役で活躍されているトレーナーの方々から直接指導をいただけたことは、貴重な機会でした。JSCの先生方、コーチの繋がりを頼りに、普通ではいただけないようなチャンスを複数チームからいただき、結果的に地元のレノファ山口に就職することになりました。JSCで築けた人との繋がりは、僕の一生の財産だと思っています」
── 現職の業務内容は?
「レノファ山口FC U-18のトレーナーを担当し、午前は事務作業、午後のトレーニングで選手のケア、リハビリ、フィジカルトレーニングのメニュー作成等を行っています。僕が以前、ケガをした年代なので、自分のようにケガでサッカーを諦めることがないように、一人でも多くの選手の未来を明るいものにしていきたいです」
── 今後の目標は?
「これからも育成年代に関わっていきたいです。今後はトレーナーの経験を元に選手のカラダを強化するフィジカルコーチとしての知識・技術の向上を目指していきたいと思っています。いずれは年代別の日本代表チームに携われたら最高ですね」
読者へのアドバイス
小さなことでもOK!毎日一つ学びを見つけよう
「毎日一つ学びを見つけることを意識してください。今日は歩き方を変えてみたら楽になったとか、本当に些細なことでいいんです。僕は専門学校からそれを続けていてノートに書き記しています。今では選手の小さな癖など観察する癖がついていて、仕事にも役立っています」
ある1日のスケジュール
7:00 | 起床・食事( 選手寮にて) |
8:00 | 事務作業(リハビリのメニュー作成等) |
12:00 | 昼食 |
14:00 | ミーティング |
16:00 | トレーニング |
19:00 | 夕食 |
20:00 | ミーティング |
21:00 | 選手の筋トレサポート |
22:20 | 消灯( 選手の点呼、スマホ収集) |
24:00 | 自由時間 → 就寝 |