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【ガンバ大阪 SPECIAL対談】昌子源×井手口陽介 -壁にぶつかったとき、どう乗り越えるか-

今シーズンから、ガンバ大阪で一緒にプレーしている昌子源選手と井手口陽介選手。現役Jリーガーとして活躍する2人が小学生時代の話やご両親のサポート、さらに壁にぶち当たったときの乗り越え方について語り合ってくれました。

 
対談はサカママオンラインフェスタのトークショーで行われました!

暇さえあればボールを蹴っていた小学生時代

-ガンバ大阪の中盤と守備をそれぞれ担うお2人ですが、まずはお互いの印象を教えてください。

昌子選手 (井手口)陽介と最初にプレーしたのは日本代表のとき。鹿島アントラーズ時代は敵同士で、当時は「何人おんねん!」っていうくらい、よく走る印象でしたね(笑)。こうして同じチームになると、こんなにも頼りになるんだなと。中盤で献身的な動きをしてくれるので、後方にいる僕らDFはすごく助かっています。

井手口選手 (昌子)源くんが鹿島に所属していたときは、いくら崩しても「俺はやられないぞ」と自信に満ち溢れていた印象があります。チームメイトになった今も、声だけじゃなくてプレーで後ろから引っ張ってくれています。頼りがいのあるセンターバックだと思います。

 
19年にガンバ大阪へ復帰した井手口選手。

-お2人がサッカーをはじめたきっかけは?

昌子選手 父親がサッカーの指導者で、母がママさんサッカーをやっていて、姉もバレーボールをするスポーツ一家でした。だから自然と家にサッカーボールがある環境でしたね。両親からサッカーをやれと言われた記憶もないですし、好きなスポーツを選んだ結果がサッカーだったんです。小学校で少年団に入って、試合をして勝つ喜び、負けた悔しさを経験して、サッカーの楽しさをすごく感じるようになりました。

井手口選手 僕は8歳上と5歳上の兄2人がずっとサッカーをやっていたので、その影響で始めました。兄の友だちに交ざってボールを蹴っているだけで楽しかったです。暇さえあればボールを蹴っていましたね。

-当時のポジションは?

昌子選手 小学生の頃はFWでした。

井手口選手 僕もFWです。

昌子選手 サッカーは点を取るスポーツだから、まずはみんな点を取ってサッカーの楽しさを覚えていくのかなと。今でも、FWになって点を取りたいって思いますから(笑)。でも、FWだったら、絶対プロにはなれてないとも思いますね。

井手口選手 中学1年のとき、ガンバのジュニアユースの合宿で初めてボランチをやってから、中盤を任されるようになったんです。FWとは違う視点のサッカーにはまっていきました。

父はサッカーの指導者。でも、関与はしなかった

-ご両親はサッカーに熱心でしたか?

井手口選手 いえ、両親は好きなことを頑張ればいいと言うスタンスでしたね。

昌子選手 僕も一緒です。父は指導者でしたけど、サッカーに関与してくることはなかったですね。「楽しかったか?」といった会話はあっても、サッカーの内容について言われることはなかったし、僕から父に聞いたこともなかったです。

-小学生の頃からプロになろうと思っていました?

井手口選手 ガンバのジュニアユースに入ってからですね。クラブハウスでプロの選手を間近で見たり、練習後には試合を観せてもらえたので、プロに憧れるようになりました。

昌子選手 小学生のときは、ただサッカーが楽しくて、ずっと仲間と一緒に続けていきたいとしか思ってなかったです。「プロはカッコいい!」とは思ってましたけど、自分がプロになれるとは全く考えてなくて。それこそ、鹿島のスカウトから声をかけてもらって、初めてプロを意識したくらいです。

母の言葉がサッカーを続ける原動力に

-プロになるまで、挫折した経験は?

井手口選手 僕はあんまり…、学生時代に挫折した記憶はないですね。

昌子選手 僕は真逆で、何度も壁にぶつかったと思っています。ガンバのジュニアユースのときは、宇佐美貴史(ガンバ大阪)や当時のメンバーの技術力の高さに衝撃を受けて、一時期サッカーを諦めていたこともありました。

-壁にぶつかったとき、どのように乗り越えていったのですか?

昌子選手 プロなった今でも変わらないですけど、「失敗して成長する」―その階段を一歩ずつ確実に上がって行くことが、僕のなかで壁を乗り越える方法なんです。ときには階段を下がることもあるし、周りから落とされることだってあります。それでも一段ずつ上がることを積み重ねてきたことで、今の僕があるんだと。あとは反骨精神。やられたら絶対に次の試合でやり返そうと思っています。鹿島でプロになったばかりの頃、紅白戦で当時のスタメン組にコテンパンにやられたのですが、次の日にはまた全力でぶつかっていきました。その気持ちはずっと持ち続けていきたいと思っています。

井手口選手 僕は上手くいってないときこそ、サッカー選手として試されていると思うんです。だから納得がいかないときは、練習が終わってからも人一倍自主練をするようにしています。悪いときはずっとは続かない。このときを乗り越えれば自分の成長につながると思っています。

-苦難のとき、誰かの言葉や存在が支えになったことは?

井手口選手 母から言われてきたのが「辛いときこそ踏ん張れ。それを乗り越えれば人としても選手としても成長できる」。その言葉は継続する力にもなっていますね。あとはシンプルに「サッカーが上手くなりたい」という気持ちが僕の原動力です。

昌子選手 僕は知人から「いいときはみんなのおかげ。悪いときは自分のせい」という教えをいただいたことですね。プロ3年目、鹿島での自分の状況がその言葉と当てはまり、ぐっときたのを覚えています。僕はチームは生き物だと思っていて、いいときがあれば悪いときもあって、すべてが伝染していくんです。失点したのは誰のせいでもなく、自分が守れなかったから。大量得点で勝ったときは、周りがいいプレーをしたから自分にも伝染した。そう思えるようになってから、精神的にも楽になれたし、タフになったと思います。

試合のプレッシャーは集中することで消え去る

-お2人はこれまでも大きな舞台で活躍されてきましたが、プレッシャーとはどう向き合ってきましたか?

昌子選手 僕はどんな試合でも緊張します。でも、試合に入れば、一瞬でスイッチが切り替わり、プレッシャーが消え去るんです。これまでのサッカー人生で一番プレッシャーを感じたのは2018年のロシアW杯。日本代表唯一のJリーガーと言われ、僕のパフォーマンスが低ければJリーガー全員がダメだと思われる。自分でそういう捉え方をしてしまったことで、よりプレッシャーを感じていました。でも、試合が始まればいつもと同様に緊張は消え去り、やるべきことに集中できました。

 
昌子選手は、ロシアW杯に選出され、ベスト16出場に貢献した。
Photo:Getty Images

-昔から試合になると自然とリズムができあがっていたのですか?

昌子選手 小学校の頃から緊張していても、試合が始まると一番堂々としていました。意識していたわけではないのですが、試合に入れば勝つことだけに集中するからかなと。個人的には、適度な緊張感は常に持っておいた方がいいと思いますね。そんな僕からみたら、陽介はまったく緊張してないイメージがあります(笑)。

井手口選手 僕は緊張しないですね。どんな試合でも、練習試合もすべて一緒の気持ちで入っています。

-その平常心は井手口選手の無尽蔵のスタミナに影響があるのでしょうか?

井手口選手 どうなんでしょう(笑)。僕は小さい頃から夢中でサッカーをして、体力の限界まで練習をしてしまうんです。そして体力がゼロになると発熱して倒れます(笑)。もしかしたら、その繰り返しが今の僕を作っているのかもしれないです。

昌子選手 なるほど。今は試合の後に発熱してないってことは、まだまだいけるってこと?(笑)

井手口選手 いや、大人になって毎試合熱を出していたらヤバいですって(笑)。

コロナ禍でも常に試合で戦える身体づくりを

-コロナ禍でサッカーができない環境が続きましたが、モチベーションを保つためにどんなことを意識されていました?

井手口選手 誰も経験していないことでしたから、どこにコンディションを合わせればいいのか苦労しました。でも、いつリーグが再開されてもいいように常に試合で戦える身体を作っていました。変化する状況に応じて、小さな目的を常に修正していた感じですね。

昌子選手 僕も陽介と一緒でコンディションの維持が難しかったです。個人的には足首に問題を抱えていて、チームでの練習もできずに焦りもありました。いろんな感情が混ざり合って苦しかったですね。でも、ボールが蹴りたくなって仕方なかった。「やっぱりサッカーが好きだ」って気持ちは、そういうときにこそわかるんですよね。だから再開したときはすごく嬉しかったし、そうやってまた階段を一段ずつ上がっていければいいと思っています。

-最後に、サッカーを頑張っている子どもたちにメッセージを。

昌子選手 今、小学生の子どもたちがプロになるまで、僕も頑張って現役を続けるので、プロの世界で会いましょう。

井手口選手 子どもたちに伝えたいのは、今はサッカーを楽しんでほしいということ。僕もプロとして続けるので、一緒にサッカーを頑張っていきましょう。

写真提供/GAMBA OSAKA