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スペシャルインタビュー三笘 薫 (第32・33回全日本少年サッカー大会 決勝大会出場)

名門筑波大学の主軸として活躍し、2020年川崎フロンターレ内定が決まっている三笘薫選手。大学3年次にU-21日本代表に選出されるなど、大学サッカー界を代表する選手です。
そんな三笘選手は、ジュニア時代「川崎フロンターレU-12」で第32、33回と連続で全日本少年サッカー大会・決勝大会に出場。そこで三笘選手に2 度の決勝大会で得たこと、さらに当時の両親のサポートについてお聞きしました。

フロンターレU-12では常に上のレベルを求められていた

川崎フロンターレU-12 FIFA公認の大会「ダノンネーションズカップ」では優勝し、日本代表に。
©2009KAWASAKI FRONTALE

まずは、サッカーを始めたきっかけから教えてください。

「3歳上の兄の影響で、幼稚園の年少の頃からボールを蹴っていました。正式に始めたのは小2の頃。地元の鷺沼FCに入りました。そしたら、川崎フロンターレのジュニアチームができるということで、セレクションを受けたんです。意外にも合格できたので、3年生からは川崎フロンターレU-12(以下・フロンターレU-12)に入りました。もしセレクションに落ちていたら今の自分はなかったかもしれないし、一つの分岐点でしたね。当時から高いレベルでやりたいという思いは強かったです」

フロンターレU-12のコーチや監督の指導はどうでしたか?

「プロチームの育成組織ということで、監督、コーチ陣もプロを育てるつもりで指導にあたっている分、厳しい指導をしていただきました。サッカー以外の部分でも、人の目を見て話す、自分から意見を言うなど、ピッチ外のことも多く学んだと思います。髙﨑康嗣監督(当時・現専修大学サッカー部監督)からは、常に『上』を意識するように言われていて、『そのトラップで世界とやっていけるのか?』と、求められる基準も高かったので、細部にこだわってプレーするようになっていったと思います。僕の一つ上の代には三好康児君(現ロイヤル・アントワープFC)、板倉滉君(現FCフローニンゲン)などタレントが揃っていたのに対し、僕らの代はたった3人。ついていくのに毎日必死でした」

全日本少年サッカー大会・決勝大会(以下・全少)を意識したのはいつ頃から?

「4年生くらいです。レベルの高い大会が多かった中でも、目標にしていましたね。全少には5年生の時に先輩の康児君たちと一緒に出場した大会(第32回)と、僕たちの代が6年生の時に出場した大会(第33回)で、2回出場することができました」

5年生で最初に全少を経験した時はどうでした?

「ベスト8で名古屋グランパスU-12(以下グランパスU-12)にPKで負けてしまったんです。先輩は康児君を筆頭に上手い選手が揃っていたし、もうちょっとで勝てた試合でした。僕自身、決めきれなかったこともあって、すごく悔しかったですね」

6年生になるとチームのことを一番に考えるように

川崎フロンターレU-12 18番が三笘選手。小学生の頃はボランチとしてプレー。
©2009KAWASAKI FRONTALE

その悔しさを経験し、1年後にまた全少の舞台に戻ってきたわけですね。

「6年生の代ではベスト4まで進出できたのですが、結果的に優勝したグランパスU-12にまたPKで負けてしまったんです。ただ、フロンターレU-12として初めての全国ベスト4進出ということと、全力を出し切っての結果だったので、今となってはすごく良い経験ができたと思っています」

前回との気持ちの違いは?

「5年生の時は他の選手がサポートしてくれていたし、ポジションもトップ下で自由にやらせてもらっていました。でも6年生の時は、キャプテンを任されることになり、前回大会を唯一経験しているのが僕だったこともあって、ピッチ内外で僕が引っ張っていくという思いがありました。ポジションもボランチになり、周囲を見て、自ら声を出してチーム全体を見る立場になりましたし、チームのことをまず考えるようになりましたね」

三笘選手にとって全少ってどんな大会でしたか?

「予選から複数試合を経験する過程で、少しずつ成長していったのを覚えています。徐々に一体感ができてきて、チームが家族のように一つになって戦ったと思っています。6年生の代では、前回よりも結果を残せたものの、最後は悔しい思いもしました。この大会のために多くの時間を練習で費やしてきましたし、終わった直後は『優勝できなければ3位でも意味がない』と思ったほど。でも、結果的にそれが糧となって、中学年代以降も、もっと頑張ろうと努力できました。全少は自分を大きく成長させてくれた大会だと思います」

試合以外で印象に残っている思い出はありますか?

「実は準決勝で敗れたグランパスU-12とは一緒の宿だったんです。試合前日もお風呂で偶然一緒になって、『明日は絶対に勝つからな!』って、お互いバチバチしてたんですよ(笑)。でも、その時の相手のキャプテンの池庭諒耶(現青山学院大学4年)とはその時からの付き合いで、今でも仲が良いんです。そんな思い出も小学生ならではだと思うし、グランパスU-12のメンバーとはそれから交流も生まれて、その後も切磋琢磨していくことになるんです」

プレーについて何も言わなかった両親。
試合もこっそり観にきていた

ジュニア時代、ご両親はどういったサポートをしてくれましたか?

「母はお弁当を作ってくれて、父は試合まで車で送ってくれましたね。両親ともにプレーについて何かを言ってくることは特になかったと思います。そっと距離を置いて接してくれたのがよかったですね。試合もこっそり観ているタイプでしたから(笑)。でも、観に来てくれたときは嬉しかったですね。フロンターレU-12では夜の9時、10時まで練習することもあったのですが、毎晩母が晩御飯を用意して待ってくれていました。それは中学、高校になってもっと帰宅時間が遅くなっても変わることはなかったです。僕より先に母親が寝ていることなんて記憶にないですし、身体のことを気にしてくれていたんだなって思います。両親がフロンターレU-12のセレクションを見つけてきて、僕に受けさせてくれたので、二人には感謝しかないですね」

最後にサカママへメッセージをお願いします。

「とくに食事は重要なので、なぜ食事をする必要があるのかを子どもに理解させて、食事のサポートに気を使ってもらえればと思います。フロンターレU-12では保護者を交えた栄養サポートが定期的に開催されていたので、母も意識的に献立を考えてくれていたと思いますね。また、小学生年代は、いかに自主的にやるかが重要です。僕自身、両親がそっとしておいてくれたことでそうできたので、親御さんはあまり口出しせずに見守っていただければと。『よくやったね』の親の一言で、選手は『もっと頑張ろう』という気持ちになるものです。難しい距離感だとは思いますが、やる気を引き出すことを第一に考えてあげてほしいと思います」

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