【トレーニング】「ボールサイズは本質ではない」──ディファレンシャル・ラーニングの父からサッカー界への提言
パコ・セイルーロやトーマス・トゥヘルのトレーニングに着想を与えた運動学習理論ディファレンシャル・ラーニング。その父である、マインツ大学ボルフガング・ショルホーン教授との対話から考案の背景と思想の真髄に迫ってみよう(取材日:2022年1月)。
機密の理論が欧州サッカー界に広まるまで
──先生はトーマス・トゥヘル(現イングランド代表監督)の師としてサッカー界では知られていますが、選手としてはボブスレー、指導者としては陸上競技を中心に活動されていたそうですね。そもそもサッカー界と繋がりを持ったきっかけは何ですか?
「現在私が教授を務めているマインツ大学ではバルセロナ大学と提携契約を結んでいてね。1999年頃だったかな。講義を行うためバルセロナに滞在していた時、知り合いを通じてFCバルセロナで働いているというコンディショニングコーチと出会ったんだ。柔道やダウンヒルスキーを指導しつつ、サッカーチームに加えてハンドボールチームやバスケットボールチームのコンディションコーチも務めている指導者で、話を聞いてみると彼は競技の枠を超えた幅広い知識と経験を持っていた。私もボブスレー、十種競技、空手の選手経験、短距離走と十種競技の指導経験があったから、すぐさま話が盛り上がったよ。さっそく意気投合すると、彼からカンプノウでのトレーニングに招待されたんだ。そこでさらに議論を深め、様々な意見を交換した。以来、ほぼ毎年彼と交流している。そうして世界一有名なサッカークラブ、バルセロナと繋がりを持ったんだ」
──そのコンディショニングコーチというのはもしかして……。
「そう。そのコンディショニングコーチこそバルセロナの礎を築き上げ、(ペップ・)グアルディオラも師事していたパコ・セイルーロだ。彼は私の理論『ディファレンシャル・ラーニング』を気に入ってくれて、当時からトップチームだけでなく下部組織のラ・マシアにも導入していた。少年時代の(リオネル・)メッシにも会ったことがある。彼は幼い頃からセイルーロの指導を受けていて、そこにもディファレンシャル・ラーニングが取り入れられていた。ただ、このことは口止めされていてね。ハイパフォーマンススポーツ界隈ではよくあることだが、方法論は機密中の機密なんだ。競合相手に知られるわけにはいかないからね」
──ただ、今はすでに公然の秘密となりつつありますよね。だから私も今回、先生までたどり着いて取材させていただいているわけですが……。
「きっかけは(トーマス・)トゥヘルだった。2009年にマインツの監督に就任した彼から私のもとへ、選手のスプリントを向上させるためのテストがしたいという依頼が来てね。それが終わった後、彼に声をかけてみたんだ。『いいテスト結果が出たね。でも、やり方次第ではもっと向上させられるよ』と。すると、トゥヘルは驚いた顔をして『本当ですか?』と問い返してきた。それがきっかけで彼へのコンサルティングを始めることになり、ディファレンシャル・ラーニングを紹介したんだ。技術や戦術のトレーニングに応用できる可能性も教えたよ。ところが、始まって2日後のことだった。『もう大丈夫です。お世話になりました』と告げられ、突然コンサルティングを打ち切られてしまってね(苦笑)。それ以来連絡を取っていないが、当時大学で教えていた学生の中にはマインツユースの指導者もいたんだ。彼から『トップチームの練習内容が変なんです。まさか、先生の仕業ですか?』と聞かれたりもしたが(笑)、2日間コンサルティングをしたという事実以外は口を割らないよう気をつけていたよ。そういう約束だったからね。
そして(2011年に)マインツがバルセロナでトレーニングキャンプを行っていた時に、トゥヘルのトレーニングが現地で話題になった。そこで受けた取材で彼は『いくつかのアイディアは、ディファレンシャル・ラーニングに触発されて生まれた』と認め、ある記者がその理論背景がグアルディオラと共通していることを突き止めたんだ。そうしたら私のもとへマスコミが殺到した。フランス、ポルトガル、イングランドの媒体で私のインタビューが掲載され、私たちの講習会にはフィンランドにポーランド、クロアチアのサッカー指導者も参加するようになった。そうして欧州サッカー界に知れ渡ったというわけだね」
──そうして有名になったディファレンシャル・ラーニングの代表例としてメディアの間でよく挙げられるのは、ミニボールの使用です。実際にトゥヘルもチェルシーの選手に、1号球のサッカーボールを蹴らせている様子が話題になりました。それは先生が授けたアイディアなのでしょうか?
「よく聞かれる質問だが、それは誤解を招いている(苦笑)。確かにボールが変われば、知覚や運動が変わるのは間違いないよ。ただ、実はボールサイズを変えるのは何も特別なことではない。何十年も前から行われていて、それはディファレンシャル・ラーニングの一部分、それもほんのごく一部に過ぎないんだ。そうした様々な刺激に自分の体を適応させていく方法を身につける学習と大きな結びつきがあるのが、ディファレンシャル・ラーニングであることに間違いはないがね」
──つまり、どういうことでしょう?ディファレンシャル・ラーニングの定義について、ご説明いただけますか?
「ディファレンシャル・ラーニングは、私の選手経験や指導経験に加え、物理学、スポーツ学、教育学、神経生理学、動的システム理論を学ぶ中で得た様々な知識を組み合わせた理論だ。簡単に言えば、『人間は違いからしか学ぶことができない』という知識や洞察に基づいている。例えば、赤ん坊は歩き方を教わっているわけでもないのに、自然と歩けるようになる。では、どうやって歩行を学んでいるのか? 研究してみると、歩き方を身につけるうえで蹴りや躓きが必要不可欠な経験であることがわかった。だからディファレンシャル・ラーニングではそうしたトレーニングの変動性、いわゆる“揺らぎ”の増幅を通してシステムが自らの構造や秩序を強化していく『自己組織化』を前提としている。
つまり選手の体にはそれぞれの原理原則があるわけだが、現場では型に合わせる従来の指導法が普及している。とにかく繰り返しが要求され、揺らぎが無視され続けているんだ。サッカーにおけるパスの指導でも、『こうやって足を置け!』『受け手の方を向け!』という声かけをするのが一般化してしまっているだろう?それは自然に反しているよ。脳の活動を見ても逆効果なんだ。活性化するのは前頭葉ばかりで、実戦におけるパフォーマンスは低下してしまう。つまり、最高になるためには正しくトレーニングしてはいけないんだよ」
反復では体の成長に適応できない
──お話を聞いていて思い出したのが昔、日本の放送局『NHK』が配信していた番組「ミラクルボディ」です。そこではバルセロナの元選手のシャビ・エルナンデスと日本人選手のパスにおける脳の活動の比較がされていたんですよね。シャビが活発化させていたのは知識や記憶を司り脳の深部にある大脳基底核で、蓄積された過去の経験から直感的に素早く最適な出しどころを導き出していた。ところが、日本人選手は思考や意思決定に使う前頭葉の前頭前野を働かせていて、都度考えながら取捨選択をしているのではないかという仮説が出ていました。そうした戦術的な判断能力の違いには、セイルーロを通じてバルセロナに取り入れられていたディファレンシャル・ラーニングも影響していたのかもしれませんね。
「ディファレンシャル・ラーニングは、技術だけを向上させる理論だと誤解されているが、実際はそうではない。そこにある揺らぎを見つけて増幅させれば、戦術にも応用できる。ところがサッカー指導者たちはそれをエラーと呼び、間違いとして避けさせるように仕向けている。戦術を言い訳にして選手をまるで服従させるように教育しているのが、サッカーの指導における問題点だ。だから指導者に言われたことしかできない選手が生まれてしまう。ところが実際の試合では、指導者がプレーするわけではない。
ピッチの上に立っている選手が自分自身で、しかも無数にある選択肢の中から一瞬で判断しなければならないんだ。選手がボールを受けるたびに、監督に『どうすればいいですか?』なんて聞いている様子を見たことがあるかい? そこでエラーを揺らぎと捉え、選手に適応させていく操作可能な制約として、小さくしたり大きくしたりしていくのがディファレンシャル・ラーニングだ。結局のところ、自分で気づいたことは一生覚えているが、人から言われたことは2週間も経たないうちに忘れてしまうからね。……

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文/足立真俊(footballista編集部) 写真/Getty Images (2023年3月19日掲載)