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【サッカーの続け方】花田康弘(元アルビレックス新潟シンガポール)

サッカーに関わる仕事を紹介するこのコーナー。今回は選手してプロとなる夢を叶えるために奮闘する花田康弘選手を紹介します。アルビレックス新潟シンガポールのインターンシップを経て、海外も視野に含め前進する花田さんの活動に迫ります!

 

花田康弘(はなだ やすひろ)

2000年5月22日生まれ、愛知県出身。愛知高校でボランチとしてプレーし、1年次は国体に出場。JAPANサッカーカレッジ(JSC)入学、2年次にアルビレックス新潟シンガポールにインターンシップで参加し、2年間プレー。サイドハーフ、ボランチ、サイドバックとしてチームの勝利に貢献した。

「シンガポールでの2年間で『海外をもっと知りたい』と思えた」

-サッカー歴から教えてください。

「6つ年上の兄の影響で幼稚園から地元のクラブチームで始めました。ポジションはボランチでプレーし、愛知高校では1年次に国体に出場しました。目標だった高校サッカー選手権は県ベスト8が最高成績で、全国大会には届きませんでしたね」

-進路については?

「兄が教員免許を持っていたので、自分も大学に進学し教員免許を取得するものだと考えていました。でも、本当に体育の教員になりたいのかといえば、決してそうではありませんでした。やっぱり僕がなりたいのは『プロのサッカー選手』。そこでJAPANサッカーカレッジ(JSC)では全国で唯一のアルビレックス新潟シンガポールへのインターンがあると知り、練習会に参加することになりました。JSCのトップチームはレベルが高く、『ここならプロを目指せる』と思い進学を決めました」

-JSCで学んだことは?

「サッカー専攻科でJSCのトップチーム(北信越リーグ1部)で1年間プレーしました。将来アナリストを目指す学生がチームに帯同し、毎試合分析してグループLINEに共有するなど、組織として確立されたチームでプレーできたことは大きな経験でした。2年目は希望していたアルビレックス新潟シンガポールへ、僕を含めて4人がインターンシップで行くことになりました」

-シンガポールでのプレーはいかがでしたか?

「コロナ禍と重なり、2020シーズンは10月まで中断され、数試合しかプレーする機会がなく12 月に帰国することになって…。それでも14試合中11試合に出場し、外国ならではのフィジカルの強さを体感し、自分のプレーが通用する自信も得られました。クラブから『来季も残ってほしい』と打診を受けて、2シーズン続けてシンガポールでプレーしました。2年目は思い描いたプレー機会こそなかったですが、同じポジションの橋岡和樹君から見習うことも多く、海外で長期間過ごしたことは貴重な経験でした」

 
コロナ禍に見舞われながらも2シーズンを通してシンガポールでプレーした花田選手。海外での経験は大きな自信になったという。

-生活面で苦労したことは?

「愛知高校では大学進学を目指して英語を勉強していたので、語学にも力を入れて勉強してました。クラブから日本米をいただいていたので、自炊も問題なく生活できました。ただ日本で普通に購入できるものが海外にはなかったので、慣れるまでは苦労しましたね。生まれて初めての海外でしたが、シンガポールでの2年間で海外への抵抗感がなくなり、『もっと世界を知りたい』という考えになりました」

-JSCに入学してよかったと思うことは?

「大学に行っていたら経験できないことができました。プロリーグで研鑽を積めたことは代えがたい財産だと思っています。JSC進学を選択してよかったと思います」

-今後の目標は?

「Jリーグクラブに入団希望だったので練習参加をしてきましたが、今は海外に目が向いていて、ヨーロッパのクラブを模索中です。自分の通用する部分、通用しない部分をシンガポールでの経験で明確に把握できたと思っています。改善すべき点を日々修正していきながら、自分の可能性を信じて頑張ります。プロ契約を果たして、夢はチャンピオンズリーグに出場してみたいですね」

 

高校生へのアドバイス

着実に前に進むため目標をつくろう!
目標をつくること。それを達成するために、自分が何をすべきなのかを考える。選択肢は沢山あると思うので、少しでも目標に近づくために努力すべきだと思います。思い描いた通りにならないかもしれないけど、着実に前に進むために、目標は大事だと思います。

ある1週間のスケジュール(シンガポール滞在時)

オフ
AM:トレーニング/PM:自主練習
AM:トレーニング/PM:自主練習
AM:トレーニング/PM:自主練習
AM:トレーニング/PM:自主練習
試合
トレーニング
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写真/©ALBIREX NIIGATA