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SPECIAL TALK サッカー 名波 浩さん × 柔道 野村忠宏さん × 野球 飯田哲也さん「スポーツの力は偉大です」

SPECIAL TALK サッカー 名波 浩さん × 柔道 野村忠宏さん × 野球 飯田哲也さん「スポーツの力は偉大です」

元サッカー日本代表の名波浩さん、柔道金メダリストの野村忠宏さん、元プロ野球選手の飯田哲也さんは、各競技でトップに上り詰めた人たち。スポーツの力がどのように影響し、人間力が育まれたのか、またスポーツの力をどう捉えているのかを語っていただきました。  文/編集部

名波 浩

名波 浩(ななみ ひろし)

1972年11月28生まれ、静岡県出身。清水商業高校、順天堂大学を経て、1995年にジュビロ磐田に入団し黄金期を築いた。フランスW杯で10番を背負うなど、長らく日本代表も支えた。現役引退後は、テレビ出演やジュビロ磐田の監督を務めるなど幅広く活躍。サッカースクールSKYのアドバイザーも務めている。

野村忠宏

野村 忠宏(のむら ただひろ)

1974年12月10日生まれ、奈良県出身。柔道男子60kg級でアトランタオリンピック、シドニーオリンピック、アテネオリンピックで柔道史上初。全競技を通じてアジア人初のオリンピック3連覇を達成。2013年に弘前大学大学院で医学博士号を取得。現役引退後は柔道の普及活動を行い、スポーツキャスターやコメンテーターとしても活動。

飯田哲也

飯田 哲也(いいだ てつや)

1968年5月18日、東京生まれ。1986年ヤクルトスワローズにドラフト4位で入団。1992年からは7年連続でゴールデングラブ賞を受賞。1番打者として活躍し、チームのリーグ優勝に貢献。その後、楽天イーグルスに移籍。現役引退後はヤクルトの一軍コーチとして若い選手の育成に務めた。現在は、メディア出演や講演など多方面で活躍中。

小学生時代、共通しているのはその競技を楽しむこと

名波さん(以下、名波) 僕は静岡の藤枝市、サッカーの街で生まれました。男4人兄弟の末っ子で自然とサッカーをやっていましたね。清水というライバルエリアがあったので、目標設定も高く置くことができました。飯田さんは?

飯田さん(以下、飯田) 僕は東京の調布出身です。リトルリーグが盛んで、小さい頃から野球しかやっていなかったですね。中学の野球部からセレクションで認めてもらって、千葉の拓大紅陵高校(甲子園常連校)に進学したという感じです。

野村さん(以下、野村) 僕は祖父が今から85年も前に町道場を設立し、親父は天理高校の柔道部の監督、親父の弟はミュンヘン五輪の金メダリストという柔道一家でした。3歳から柔道はしてましたけど、学校のクラブ活動はサッカーで、地元の野球少年団にも入っていました。あと、2歳から水泳も。中学からは柔道一本に絞りましたが、まあ弱かったです(笑)。いろんなことを知ったうえで、結果的に一番好きな競技を選べて良かったと思っています。

名波 小中学生の頃、指導者に言われて印象に残っている言葉はありますか?

飯田 「野球を楽しみなさい」と言われましたね。仲間を大事にして、落ち込むんじゃなく、楽しむんだと。

名波 小学生の時、試合中に「1人でサッカーをやっているんじゃない」と怒られて、ハーフタイムに1人だけ泣きながら外周を走らされた記憶がありますね(笑)

飯田 チームプレーですからね。

名波 野村君は、幼少時代は強い柔道家ではなかったと。なぜ?

野村 身体がひと際小さくて、中学1年で30㎏しかなかったんです。それと祖父の教えは、子どものうちは礼儀作法を学びながら、柔道を楽しみなさいと。楽しんで好きになったら、主体性を持って自分から頑張れる。だから、厳しい指導はなくて、強くはなれなかったですね。でも、その時の楽しかった気持ちが大きかったから、柔道を選んだんです。

名波 僕は幼少期から強いチームにいたんですけど、ミスが続くようだと前向きにワッショイしてくれる仲間が多かくて。だから、心が落ちることなく、いい緊張感も保つことができたんですよね。

飯田 チームスポーツで大事なのは、同じ目標に向かってどれだけ行けるか。高校生であれば甲子園、プロだったらリーグ優勝、全員の気持ちがそこに向かっているか。ヒット3本打てれば負けてもいいと思っているような、一つの目標に向かってない選手がいるようでは、上手くいかないですからね。

磨き続けている1つのことがやがて大きな武器になる

野村 大学4年でオリンピックチャンピオンになったら急に周りが「天才・野村」って褒めてくれるようになったんです(笑)。でも、周囲から期待されるような選手ではなかったから、なかなか自分に自信を持てなかったですね。ただ、背負い投げが大好きで子どもの時から真剣にやってきて、それだけは弱くても武器にするんだと磨き続けていたんです。高校、大学で身体も出来上がってきて、技術を生かせるようになった時に、磨き続けてきた背負い投げが自分の中にあると思った時に、自分はやって行けると思いました。

飯田 僕が自分の武器に気づいたのは、常勝ヤクルトを作り上げた野村克也さんのおかげです。監督から「飯田、主役もいれば脇役もいるだろう。お前は脇役の1番を目指しなさい」と言われました。いろいろ監督から教わる中で、チームを勝たせるのは4番で、お前みたいに足で相手をかき回すのも一流の仕事なんだと。やっぱり誰だってホームラン打ちたいじゃないですか。でも僕の立場上それを追い求めていたら使ってもらえなくなる。足を生かすゴロの向上を目指しました。野村さんにはありがたい思いでいっぱいですね。

名波 僕は左利きなので幼少期から、希少価値を理解していました。チームに30人くらいいて左利きは1人か2人。それはどのカテゴリーでも感じていました。高校時代、ブラジル人のコーチが「お前は左足だけ使っていればいい」と(笑)。それで左利きの名波が生まれたんじゃないかなと思ってます。

努力はいつ実を結ぶかわからないだからこそ続けることが大事

飯田 みんな自分のポリシーはあると思うんですけど、監督がどこのポジションをやれということは、監督が期待していることの表れなんですよね。「僕はピッチャーしかやりません」ではチャンスが減ってしまう。それよりは、監督が期待することに答えるために努力した方が未来は広がるんです。

野村 40歳まで柔道をやってきて、若い時は周りとのコミュニケーションなんか関係なく、自分が強くなることしか考えてなかったです。頑張り方にはある種、意味のある努力と無駄な努力があると思うんです。ただ、若い時には意味のある努力って分からないんですよね。だから無駄な努力をする必要があって、その中から意味のある物を見出していく。それを継続できる選手が上にいくんだと思います。私の場合、それに気づかせてくれた指導者との出会いが大きいですね。厳しい練習を頑張ったと満足をしていたけれど、周囲にライバルがいる中で頑張るのは当たり前の世界。そこで意味のある努力をどう意識づけしていくのかを気づかせてもらって大きく変わったんですよね。そうなればチャンピオンとしてのプレッシャーがきても、自分のための戦いだし、苦しみの先に何があるのか。停滞したとしても、自分との向き合い方によってまた新しい自分に出会えると思ったから頑張れたんですよ。

名波 深いねー。

野村 努力は、すぐに結果を出す子もいれば、そうじゃない子もいますよね、努力がいつ、どのタイミングで結果に結びつくか、自分自身も、正直、指導者も分からない。だから続けることが大事だし、真剣にやっていればどこかに成長があるんです。それが結果に出るかどうかだけなんです。

名波 例え違うレールにのったとしても、その努力は無駄にはならないし、必ずいかさると思います。去年、息子のサッカーの試合を見に行って、2−2の同点から終了間際に息子のチームが点を取り3-2になった時、感動で体が震えたんです。息子の努力もわかっていましたからね。でも、それは、自分がプレーしていた時の感動的な試合と変わらないものでもあったんです。スポーツはステージの違いなく感動を生み出せる。本当に偉大だと思います。

飯田さん 「監督が期待していることを努力すれば未来は広がる」

名波さん 「スポーツはステージの違いなく感動を生み出せる」

野村さん 「弱くても大好きな背負い投げを磨きづづけ武器にすることができた」

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