サッカーをやめたときに自分に残るもの〜 若者の未来に光を与えるためには 〜
こんにちは。サカママライターのHIROです。今回はだいぶ重めの内容をタイトルに掲げてしまいました。というのも、私は大学で教員をしているのですが、多くの大学生はもちろんのこと、高校生ともお話しする機会が多いです。
以前の記事で、サッカー部の高校生が進路を考えるときに、「サッカーはもういいかな(やりきった)」と言っていた内容をコラムにしたことがあります。今回は、大学生バージョンの話でして…要は高校まで一生懸命サッカーをしてきたものの、大学進学と共にサッカーを辞めた1人の学生の葛藤について書きたいと思います。この内容は、サカママに限らず高校の先生方にもぜひお届けしたい内容です。
「やりきった」と思える高校生活
私に話してくれた学生のプライバシーの問題もありますので、大分オブラートに包みながら失礼します。
まず、その学生(以下:A君)は大学低学年で、私の授業を履修してくれていた関係でよく話すようになりました。体型はめぐまれており、何かスポーツをしていたことはすぐにわかりました。偶然にある学生から「彼は高校で大分活躍したサッカー選手だった」と聞きました。A君に直接話しをきいてみると、その通りだと。自分の過去の栄光を誇らしく思っている様子でした。
高校時代は、朝練をして授業後も練習。恋愛になんて目もくれずにとにかくサッカー一筋の生活の日々だったそうです。A君の出身校は名の知れた強豪校とは言い難かったものの、全国大会出場をめざした整った環境で青春時代を過ごしたようです。そのおかげもあり、サッカーでも強豪校を相手にだいぶ良い結果を残せたと、自分はエースだからだいぶ注目してもらったと、そう嬉しそうに語ってくれました。
高校3年生の進路を決めるときになり、「自分はもうやりきった」と思ったそうです。当時、大学からのオファーもあったそうですが、彼は“やりきった”という感情から、今度はサッカー選手を支えるための職を得る道を選んだのです。ところが、ここからが彼への試練のはじまりでした。
「何のために生きているかわからなくなった」
タイトルに引き続き、かなり過激なサブタイトルになってしまいました。
彼は、スポーツ推薦ではなく一般枠で大学を受験して入学を勝ち取りました。しかし、高校でサッカーに打ち込んだのはよかったものの、やるべき勉学がおろそかになっていたのです。その結果、彼を大学で待ち受けていたものは、留年の危機です。
じつはこの危機に私が直面したのは、A君がはじめてではありません。高校時代にスポーツに打ち込み、進学とともに辞めた学生は、テスト勉強を含む勉強の仕方がわからず路頭に迷ってしまう傾向があります。A君は大学で自由を手にしました(笑)。しかし、サッカー以外の世界に解き放たれたものの、何をどうしたら良いのかわからないのです。
A君自身も自覚はあったようです。それと同時に、かなり混乱して落ち込んでいました。本当にわからなかったようです。終いには、サブタイトルの発言です。進路のアドバイスやフォローをしてくれた大人は誰もいなかったそうです。いや…いなかった訳はないと私は勝手ながら思っているのですが、彼にとっては頼れる大人がいなかったということです。
未来ある若者が、自分の未来に対してネガティブな感情を抱いて良いわけがないのです。
大人があらゆる世界の存在を伝える必要がある
いわゆる彼は挫折中なのです。W杯の記念記事の息子のちょっぴり挫折とは、重みが変わってきます(すまんよ息子)。
過去の自分の栄光に自信をもちたいけど、でもそれって今の自分に何か役に立っているのかと…悲しくなっているのです。私としては、スポーツを介してやり抜く力(レジリエンスと言います)が養われた人の爆発的な根性は未来を明るくすると考えています。しかし、勉学との両立が大切な時期を犠牲にしてスポーツすることに関しては、黄色信号の考え方かと思ってしまいます。
スポーツと勉学とのバランスを取りながら、高校生を含む子どもたちのやりたいことを応援して支えていくのが、周りにいる大人の支え方ではないでしょうか。学業がおろそかになっていたら部活に参加させない、というスタイルをとっている高校もあるようですが、それが高校という若者の未来の土台となる場所の本質かと私は思っています。
現在、A君は自問自答しながら、留年を回避するために必死に勉強中です。サッカーを辞めた後の自分には「誰にも負けないやり抜く力」があり、そこに勉学の基礎があるからこそ、将来の選択肢が広がることを気づかせてあげたいと思っています。
