Jリーガーたちの原点「乾 貴士(ジュビロ磐田)」
何度も「辞めたい」と思った… 練習の日々を支えた両親の存在
野洲高校2年時に全国高校サッカー選手権大会で優勝に貢献し、プロ入り後はドイツやスペイン、そしてFIFAワールドカップの舞台で世界を驚かせた乾貴士。日本を代表する名アタッカーは、38歳となった現在もジュビロ磐田で活躍を続けている。
滋賀県近江八幡市出身の乾は小学1年生のとき、地元のセゾンフットボールクラブ(以下、セゾンFC)に入団した。高校時代を含め、その後10年以上にわたって指導を受けることになる岩谷篤人監督が創設したクラブチームだ。「サッカーを始めたきっかけは7歳上の兄がやっていたから。小さい頃は野球も大好きでしたが、兄に遊んでもらううちに夢中になって、小1の10月頃、セゾンFCに入りました」
セゾンFCといえば、小学生向けのドリブルキャンプを開催するなど「センス」と「テクニック」を重視した指導で知られるクラブ。「低学年の頃はゲームや一つひとつの練習がすごく楽しくて。ドリブルやパスの技術はもちろん、いろんなことを教えてもらいました。練習がない日も『上手くなりたい』と思って、ひたすらボールを蹴っていましたね」
ところが、4年生の頃から練習の雰囲気が一変する。「高学年になると、めちゃくちゃ厳しくなったんです。『楽しむ』から『上手くなる』へとシフトして、怒られることも多くなって。何度も『辞めたい』と思いました。どうすれば練習を休めるか、そればかり考えていましたね(苦笑)。そうなるとサッカーが嫌になって、友だちと野球ばかりしていた時期もありました」
それでも、乾はサッカーから離れられなか った。「親にも何度も言ったんですけど、辞めさせてもらえませんでした。あとから知ったのですが、僕に才能を見出してくれていた岩谷さんと親の間で『絶対に辞めさせないように』という話をしていたみたいで(笑)。でも僕の性格もわかって、辛抱強く向き合わせてくれたことで今があるんですよね」
当時はわからなかった両親の思い。振り返れば、それがサッカーを続ける大きな支えになっていた。「自宅から練習場までは車で40~50分。2人とも仕事をしながら、練習も試合も全部、送り迎えしてくれました。父からはサッカーについて何か言われることはありませんでしたが、母はけっこう言ってきましたね。『もっと走れ』とか(笑)。だから反発することもありましたけど、ときに厳しく、僕のことを後押ししてくれたんだと思います」
つらい練習に嫌気が差すことがあっても、家に帰れば自分を受け止めてくれる家族がいた。「勉強は苦手でしたが、あまり『やれ』と言われた記憶はないですね。4歳上の姉が教えてくれたり、宿題を手伝ってくれたり(笑)。僕は小さい頃、めちゃくちゃ好き嫌いが多くて肉ばかり食べていたんです。なので、母は僕にだけ違うメニューをつくってくれたり。口うるさいですけど、好きなものを食べさせてくれたし、『やりたい』と言ったことはなんでもやらせてくれる母でした」

先輩の背中を必死で追いかけて、高2で膨らんだ「プロ」への夢
中学校進学後もセゾンFCでプレーを続けた乾。レベルの高い上級生が多く、思うようにいかないことも増えた。けれど、そんな先輩たちの姿が乾の中に新たな目標を芽生えさせていく。「1つ上の学年がめちゃくちゃ強くて、最初は全然通用しなかったです。試合に出ることはありましたが、なんとかついていこうと必死で。でもその頃にはクラブOBのプロ選手が誕生し始めていて、僕も『プロになりたい』となんとなくは考えていましたね」
そしてもうひとつ、この時期に抱いたのがスペインへの憧れだ。「兄がスペインリーグを好きで、よく中継を見ていたんです。そのプレーに『こんな上手いんだな』と驚いて。『スペインでやってみたい』という思いは当時から持っていましたね」
そんな中学時代に忘れられない出来事がある。2年生で出場した高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会(当時)の関西大会でのことだ。「京都サンガF.C.を相手に2点リードしていたのに、最後に追いつかれてPK戦で負けたんです。試合後、3年生たちが『高校でリベンジしよう』みたいな話をしていたんですけど、そのときには岩谷さんが翌年から野洲高校のヘッドコーチに就任することが決まっていて。それで続々と1学年上のメンバーが野洲高校を選ぶのを見て、『それなら僕も行こう』と思ったんです。先輩たちとはすごく仲が良かったし、彼らや監督についていこうと、進学を決意するきっかけになった試合でした」
ただ、野洲高校に入ったからといって、すぐにプロへの道が開けたわけではない。全国の舞台にはなかなか手が届かなかった。「1年のときの選手権では県予選で早々に敗れ、『ここで負けててどうやってプロになれるんだろう?』と思っていました。2年になっても、新人戦やインターハイは県予選で敗退。『どうしたら自分を見つけてもらえるんだろう?』って」
それでも、ひたむきに練習を重ねる中で転機が訪れる。「2年の夏、国体(国民スポーツ大会)のメンバーに選んでもらい、滋賀県代表として3位になったんです。それからJクラブの練習に参加する機会なども経験できて。そして冬には、選手権で初優勝。そこまで来て、ようやく『自分もプロになれるかもしれない』と現実的に考えられるようになりました」

「駒になれ」――恩師の言葉と自分で考えて動くことの大切さ
そんな乾の心に今も残っているのが、岩谷監督からかけられた言葉だ。「『駒になれ』と小学生の頃からずっと言われてきました。ピッチの上で“王様”になろうとしてはいけない。
自分が目立つことより、チ ームの中のひとつの駒になって役割に徹するほうが上手くいく。自分でもそう感じるようになって、その言葉がすごくしっくりきたんです。やっぱり岩谷さんは僕のことをよくわかってくれていたんだなって」
恩師の教えを胸に、その後プロ選手として輝かしいキャリアを重ね、憧れだったスペインでも6年間プレーした乾。最後に、全国のサッカージュニアとサカママに向けてメッセ ージを残してくれた。「今は昔よりもトレーニングがすごく進化しているし、勉強になる動画などもいっぱいありますが、やっぱりまずはボールに触ってほしい。そして『どうしたら上手くなるのか』を自分で考えることが大事です。指導者に答えを全部教えてもらうのではなく、自ら考えてやってみる。楽しむことを忘れず、サッカーに向き合ってみてください。
親御さんはあまりガミガミ言わずに、子どもたちを見守ってあげてほしいですね。僕自身も親として、息子のサッカーはクラブや学校の指導者に任せています。もちろん聞かれたらアドバイスはしますけど、こっちからは言わない。コーチと親で言ってることが違ったら、子どもも迷ってしまいますから。自分で考えさせて、『こうしたい』と言ったときには、思いっきり背中を押してあげるのがいいんじ ゃないかなって思います」
写真提供/ジュビロ磐田
(2026年10月発行 soccer MAMA vol.59 「Jリーガーたちの原点 vol.59」にて掲載)