誰もが気軽にサッカーを楽しめるイングランドにおける女子サッカー普及の取組み
先月、UEFA女子チャンピオンズリーグ(欧州サッカー連盟(UEFA)が主催する、クラブチームによる女子サッカーの大陸選手権大会)において、ロンドンを本拠地とするアーセナル・ウィメンFCが、3連覇を狙うスペインのFCバルセロナ・フェメニを破って優勝しました。エミレーツ・スタジアム前で行われた優勝祝賀パレードには数千人のファンが押し寄せ、ヨーロッパチャンピオンになったことを盛大に喜ぶ様子が報道されていました。
筆者は、4月末にチェルシーFCウィメン対FCバルセロナ・フェメニの準決勝を観戦しました。チェルシー・ウィメンは普段、男子とは別の小規模なホームスタジアムを使用していますが、この日の試合はバルセロナ・フェメニとのビッグマッチということで、男子のホームスタジアムであるスタンフォード・ブリッジで実施され、満席とはいかないまでも2万5千人以上の観客動員を記録(ちなみに、試合はホームであるチェルシーが1-4の完敗でした…)。
このように、男子サッカーだけでなく女子サッカーも大いに盛り上がっているイングランド。その背景には、イングランド全土を挙げての女子サッカー普及に対する取組みがあります。
今回のコラムでは、そうした取組み、特にグラスルーツレベルで実践されている取組みについてご紹介します。
イングランドサッカー協会による戦略的取組み
近年、イングランドでは、女子サッカーの普及と発展のため、イングランドサッカー協会(以下FA)を中心に、さまざまな取組みが行われてきました。FAは
2017年に「The Gameplan for Growth」
2020年に「Inspiring Positive Change」
という戦略を段階的に打ち出し、参加者数・指導者数・競技レベル向上などの目標を明確化し、「女子が当たり前にサッカーをする」文化形成を加速させてきました。
世界の頂点に立つためには、プロレベルの育成はもちろん重要ですが、競技人口全体の底上げや、誰でもどこでもサッカーに触れられる環境づくりが不可欠。グラスルーツ(草の根)レベルにおける女子サッカーの取組みは、これらの戦略の中核に位置付けられていました。
The Gameplan for Growth(2017–2020)のグラスルーツ施策
この戦略では「女子サッカーの参加人口を倍増させる」ことを大きな目標に掲げ、グラスルーツレベルでは以下のような取組みが行われました。
◇Wildcatsプログラムの創設
・5〜11歳の初めてサッカーをする女の子向けサッカーセッション。
・「楽しい・フレンドリー・初心者歓迎」がテーマ。
◇地域クラブと学校との連携強化
・地元クラブが学校と連携してセッションを開催し、学校からクラブへの導線を整備。
・FAが地域連盟と協力して、女子チームの創設支援やコーチ育成を支援。
◇女子専用リーグの設置支援
・男女混合リーグではなく、女子が自信をもって参加できる小規模地域リーグの整備。
Inspiring Positive Change(2020–2024)のグラスルーツ施策
こちらの戦略では一歩進んで、「誰もがアクセスできる、持続可能で包括的なグラスルーツ女子サッカー」の実現がテーマとなっていました。
◇Equal Accessキャンペーン
・2024年までにすべての女子が学校で「サッカーをする権利」を持つことを目指す。
・教育省との連携により、女子への体育授業・課外活動でのサッカーの機会を保証。
◇Barclays Girls’ Football School Partnerships
・全国の学校に女子サッカー教育を普及するためのネットワークの構築。
◇Wildcatsの拡充と多様化
・多様性に応じたセッション(障がい児向け、LGBTQ+に配慮した内容など)の提供。
・コーチにも多様性を求め、女性コーチの育成に特化した支援プログラムの展開。
女子サッカーの入り口「Wildcats(ワイルドキャッツ)」
両戦略において、重点的に注力していたのが「Wildcats(ワイルドキャッツ)」というプログラム。これは、女の子たちが初めてサッカーを体験し、楽しむことを目的とした非競技志向のサッカープログラムで、以下のような特徴があります。
Wildcatsの主な特徴
内容 | |
---|---|
対象年齢 | 5歳〜11歳の女子(初心者中心) |
実施場所 | 地域の学校、公園、スポーツセンターなど |
開催頻度 | 原則として週1回、放課後や週末に1時間程度 |
指導者 | FAのトレーニングを受けたコーチ(女性コーチが望ましい) |
参加費 | 無料〜低額(アクセスの障壁を下げる工夫) |
筆者の働くフットボールサムライアカデミーも、この「Wildcats」のプロバイダーとして女子向けセッションを行っています。プロバイダーになると、無償でボール、ビブス、バナーが寄贈されるなど、クラブがWildcatsを運営するためのさまざまな支援が受けられます。また、女子イングランド代表の試合観戦チケットの無償提供などもあり、それだけお金をかけているところに、FAの女子サッカー普及への本気度がうかがえますね。
Wildcatsは、あくまで「女の子たちがサッカーを始める入口」ですが、そこでサッカーに興味を持った女の子たちが、継続的かつ段階的にレベルアップできるような「Player pathway(育成ルート)」も用意されています。
多くのWildcatsは地域のグラスルーツクラブと連携しており、サッカーをもっとやりたい子はそのままU9〜U11の正式な女子チームに移籍するよう促されます。
残念ながら筆者の所属するクラブではまだ正式なカテゴリ別の女子チームがないため、本格的にサッカーをやりたい子は他チームへの移籍となりますが、幸か不幸か、現時点では移籍を希望している子はいません。
また、才能のある選手や技術的に優れた選手には、Girls’ Emerging Talent Centres(ETC)やFA Professional Game Academies(PGAs)という育成プログラムも提供され、よりレベルの高い練習ができる環境が与えられます。
女子育成ルート(2023年~)
レベル | 名称 | 年齢 | 主な目的・特徴 | 支援・資金元 |
---|---|---|---|---|
エントリ | Emerging Talent Centres(次世代才能発掘センター) | 6-8 | 地域に根ざした初期育成/トレーニング環境の提供/クラブ・学校・代表と並行プレー可 | FA/プレミアリーグ |
中間育成 | クラブ育成プログラム(独自ユース開発) | クラブ独自の構造・哲学に基づき育成/各クラブが自由に設計 | 各クラブ | |
上位育成 | Professional Game Academies(プロゲームアカデミー) | 14-20 | プロレベルに近い本格育成/シニアチーム(WSLなど)へのステップ | FA/クラブ |
加えて、本格的にサッカーをしたいわけではないけれど、サッカーを楽しく続けたいという12-14歳女子のための非競技志向プログラム「Squad」もあります。
2024年までに達成された主な成果
こうしたさまざまな取組みが功を奏し、多大なる成果を残しました。
・女子選手数が56%増加(2020年比)
・女性コーチ数が88%増加(2020年比)
・女性審判数が113%増加(2020年比)
・全体の85%の小学校、50%の中学校で、PE(体育)の授業で女子にもサッカーをする機会を提供
・Wildcats拠点を2000か所以上設置
・Squad拠点を600か所以上設置
ここに挙げたものだけでも素晴らしい内容ですが、これらの取組みの集積が、女子イングランド代表のUEFA EURO 2022での優勝、FIFA WORLD CUP2023での準優勝という輝かしい成果につながりました。
さらなる発展へ「Reaching Higher」
そしてFAは、この現状に甘んじるのではなく、過去の2つの戦略を基盤として、さらなる発展を目指すため、2024年には「Reaching Higher」という新たな戦略を発表しました。主な内容は次のようなものです。
目的
「成長し、感動を与えた今、さらなる高みを目指す」
(We have GROWN, we have INSPIRED, now we are REACHING HIGHER.)
原則
・選手を活動の中心に置く(Put our players at the centre of what we do)
・過去の戦略(Inspiring Positive Change)を土台とする(Build on our 2020–2024 Strategy)
・独自性を大切にする(Be distinctive)
・ゲーム全体にわたるつながりを促進する(Drive connectivity across the game)
・最適化と革新によって変革を実現する(Transform through optimisation & innovation)
・FA全体の戦略的優先事項と整合させる(Align to wider FA strategic priorities)
フレームワーク
戦略的優先事項(4つの柱):
1.🟦 女子サッカーならではの特性を守り、育てる
2.🟧 メジャートーナメントでの勝利を目指す
3.🟪 強固で質の高い競技構造を構築する
4.🟩 女性と女子に平等な機会を提供する
横断的テーマ(Golden Threads):
•選手の健康とウェルビーイング
•セーフガーディング(安全配慮・保護)
•審判育成
•コーチ育成
•多様性とインクルージョン(包摂)
支援要素(Enablers):
•施設
•テクノロジーとデータ
•コミュニケーションとマーケティング
•商業化
と、ここについて詳しく書くとまた長くなってしまうので、「Reaching Higher」戦略についてさらに詳しく知りたい方は、こちらから詳細をご確認ください。
おわりに
ロンドンで生活していると、本当にサッカーが生活に根付いているというか、当たり前のものとしてある、ということを感じます。公園に行けば、いつでも老若男女問わず必ず誰かがサッカーをしていますし、プレミアリーグの試合のある日に近所のパブに行けば、推しチームのユニフォームを着たファンがビールを片手に盛り上がっています。
息子の通う現地小学校でも、男女のサッカークラブが毎週金曜の朝に実施されており、女子メンバーは約15人いて、多くの子が自分のサッカーシューズで参加しています。
また、筆者は地域の女子レクリエーショナルチームの練習に参加していますが、平日夜の練習にも関わらず、毎回15~20人ほどの参加者がいることに、最初はとても驚きました。参加者のレベルも年齢もバラバラですが、誰もが純粋にサッカーを楽しんでいます。子どもだけでなく、大人の女性が気軽にサッカーを楽しめる環境が当たり前にあるところが、さすがサッカーの母国だなと思います。
Wildcatsのようなグラスルーツレベルでの施策を展開することは、日本の女子サッカーの発展において非常に有効だと思います。しかし、イングランドと全く同じやり方を取り入れるのではなく、日本独自の文化的背景や課題を踏まえた工夫は必要になってくるでしょう。なでしこジャパンの躍進で女子サッカー人気が高まっている今、日本でも女の子、女性が当たり前にサッカーを楽しめる環境ができるといいですね!