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Jリーガーたちの原点Special「武藤嘉紀(ヴィッセル神戸)」|サカママVol.57

Jリーガーたちの原点Special「武藤嘉紀(ヴィッセル神戸)」

人気連載「Jリーガーたちの原点」。今号は、ヴィッセル神戸の絶対的主軸である武藤嘉紀選手に、少年時代の思い出や両親のサポート、そして日本代表の一員として2018 年大会に出場したワールドカップ(以下、W杯)について語ってもらいました。

常に自分を支えてくれた両親の愛情。成長の原動力は負けず嫌いと向上心

―初めに、サッカーを始めたきっかけから教えてください。

「4歳のとき、通っていたバディスポーツ幼児園のサッカークラブに入りました。スポーツが大好きだったし、最初に上手くできたのが自信になって、すぐにのめり込みましたね」

―小学6年生までプレーしたバディSCはどんなチームでしたか?

「とにかく厳しかったです。当時は小学1年生でも5~10キロ走り込んでからトレーニングするというのが普通で。脚力はもちろん、根性や負けん気もそこで養われたと思います」

―とくに印象的な思い出は?

「小5の都大会で優勝したことです。勝てないと言われていた強豪の東京ヴェルディを倒して、すごく嬉しかった記憶があります」

―武藤選手の基礎がつくられたのですね。

「サッカーに夢中でしたし、何より両親が本当によくサポートしてくれました。長男だったこともあり(姉2人と弟2人の5人姉弟)、父がつきっきりでトレーニングを見てくれたり、送り迎えをしてくれましたね。朝練も日課で、登校前に父か母がつき合ってくれて、リフティングなどの特訓を毎日していました」

―2024年にJリーグMVPに輝いた表彰式でも、感謝の言葉を伝えられていましたね。

「とても愛情深い両親で、父はかなり楽観的で面白いし、怒られたこともほとんどありません。母は勉強やしつけの面で非常に厳しか ったですけど、常に僕のことを考えてくれて、本当に愛のある教育をしてもらいました。2人ともサポートに徹してくれて『自分の好きなようにやりなさい』、『でもやるからには1位を目指しなさい』というスタンスでした」

―食事面でのサポートはどうでした?

「小さいとき、野菜がまったく食べられなか ったので、食事のことはあきらめていましたね。だから、姉弟の中でも僕だけ好きなものを食べさせてくれて…わがままな子でした(笑)」

―小3からはバディSCに加えて、FC東京のスクールにも通っていたそうですね。

「もっとサッカーが上手くなりたいという思いがあって、父が探してきてくれました。僕の上の代から『選抜コース』というのができて、高学年になるとそこでレベルの高い選手たちとプレーするようになりました。負けず嫌いだったし、必死に食らいついていましたね」

―壁にぶつかるようなことはありました?

「小5のとき、東京都選抜のメンバーに落ちたことがありました。100%受かる自信があ ったから悔しくて、帰りの車の中で言い訳しながら泣いてたんです。そしたら普段は怒らない父から『言い訳するな』、『練習が足りなかったし、実力不足だ』と初めて本気で叱られて…。もっと上を目指してやらなくてはと意識が変わった、ひとつの大きな出来事でした」

―中学生からはFC東京U-15深川に加入。プロクラブのアカデミーで感じたことは?

「同年代には絶対に負けたくない気持ちがありましたけど、いろんなチームや選手と対戦して、まだまだ自分は大したことないんだと思い知らされました。中でも衝撃的だったのは、ある大会で見たガンバ大阪の宇佐美貴史選手。同い年ですが、上の代の試合に出ても一番上手くて、自分じゃ太刀打ちできないとショックを受けたのを鮮明に覚えています」

―その後U-18に進み、慶應義塾大学を経てプロ入りされましたが、そこに至るまでに何かターニングポイントはありましたか?

「U-18ではサイドバックをやることが多く、高3になるとトップチームの練習に参加する機会もあって、『右サイドバックとしてプロに上がるのはどうだ?』とオファーをもらったんです。でも、自分では技術的にも精神的にも足りていないと感じていたし、何より前(攻撃的ポジション)で勝負したいという思いが強くありました。それで監督に『僕は前でやりたい。何が何でもお願いします』と伝えて。 “絶対に大学で結果を残して戻ってきてやる”と心に誓い、プロではなく進学を選んだんです」

Jリーガーたちの原点Special「武藤嘉紀(ヴィッセル神戸)」|サカママVol.57

あれ以上のプレッシャーはない… 。W杯で実感した特別な重みと悔い

―その言葉どおり、大学3年時にストライカーとしてJリーグにデビューし、翌2014年にFC東京で大活躍。9月には日本代表入りを果たしましたが、そのときの心境は?

“ここで活躍できなかったら終わりだ”と、自分にプレッシャーをかけた覚えがあります。最初のウルグアイ戦でいいパフォーマンスができて、続くベネズエラ戦でゴールを決めることができました。右にフリーの本田圭佑選手がいたけど、ドリブルで切り込んでシュートまで行ったあのプレーは、一種の“エゴ”で良くも悪くも自分のことしか考えていませんでしたが、“絶対に爪痕を残さなきゃいけない”、 “ここに残りたい”という一心でした」

―そして2018年、W杯ロシア大会のメンバーに選ばれ、グループステージ第3節のポ ーランド戦に先発して初出場。W杯という大会は子どもの頃から意識していましたか?

「テレビにかじりついて家族全員で見ていましたね。2002年の日韓大会のときは、父たちが夜中に運転して仙台まで観戦に連れて行ってくれました。当時はいずれW杯のピッチに立てるなんて思っていませんでしたが、目の前の熱戦にすごく興奮したのを覚えています」

―W杯デビュー戦を振り返ると?

「得点するチャンスがあったのに決められず、先制されて、最後は議論を呼ぶような戦い方になってしまって…(注:0-1のまま負けてもベスト16進出が決まる状況で日本は終盤、ボール回しを選択して試合を終えた)。W杯で絶対に活躍してやるという気持ちで挑んでいたので、出られてよかったという思いは一切なく、とにかく活躍できなかったことが悔しくて、ロシアから帰ってきた記憶があります」

―W杯の重みというのは、ほかの代表戦などと比べてまったく違うのでしょうか?

「本当に特別でした。1カ月くらい前からチーム全員でトレーニング生活をして大会に臨む緊張感。あれ以上のプレッシャー、あれ以上にハラハラ、ドキドキすることはもうないと思います。だからこそ重圧をプラスの力に変えて結果を残せれば最高でしたけど…。チ ームはベスト16に進出しましたが、僕自身はかなり悔いが残ったというのが正直な感想です」

―プロ選手、そしてW杯を夢見る子どもたちへ、アドバイスをいただけますか。

「練習あるのみ、努力あるのみ。プロで生き残っている選手、W杯の舞台に立つような選手は、それが当たり前にできる選手たちです。ジュニアユース時代の監督に言われて今でも心に残っているのが『妥協は癖になる』という言葉。ただ上手いだけでは生き残れないので、努力する癖をつけて頑張ってほしいと思います」

―最後に、子どもたちを応援するサカママに向けてメッセージをお願いします。

「親が一緒になってサッカーを楽しむこと。子どもはひとりじゃ乗りきれないこともあるので、常にポジティブにサポートしてあげること。いっぱい褒めたり、喜びを分かち合ったりして、自信をつけてあげられたらいいと思います。僕はそうやって育って、ひとつずつ課題をクリアしていくことができたので、子どもを信じて見守ってあげてほしいですね」

Jリーガーたちの原点Special「武藤嘉紀(ヴィッセル神戸)」|サカママVol.57

写真提供/ヴィッセル神戸

(2026年4月発行 soccer MAMA vol.57 「Jリーガーたちの原点 vol.57」にて掲載)

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