怪我が教えてくれたこと ― 体だけじゃない、サッカー少年の心にも残る傷と向き合った日々
「プレーできない辛さ」だけじゃなかった。
大好きなことが、突然できなくなること。
それは、想像以上に大きなストレスでした。
仲間と同じ時間を過ごせない淋しさ。
復帰の見通しが見えない不安と焦り。
自分だけできない悔しさ。
学校で疲れた日も、嫌なことがあった日も、ボールを蹴れば気持ちが切り替わる。
仲間と思いきり走って、笑って、叫んで、夢中になればすぐ元気になる。
息子は、無意識のうちにサッカーで心を整え毎日のバランスを保っていたのに、ストレスの逃げ場も、気持ちを発散する場所も、“自分らしくいられる時間”も、一気に失ってしまいました。
息子は小学4年生のとき、全治半年間の大怪我をしました。

復帰できたときは、
「サッカーさえできれば、それだけで幸せ」と、本当にそう思っていたけれど、現実はずっと厳しかったです。
以前のようには動いてくれない体。仲間たちとは距離ができて、周りに置いていかれる感覚。
そして“また怪我したら”という恐怖が常に付きまとう。
苛立ちと不安と焦りが大きくなり、どんどん言葉も荒くなっていきました。

怪我をしていたときは、
“蹴れない辛さ”がすべてだったのに、
いざ戻ったら今度は“できない自分自身”と戦う日々。
「イライラしたら負け」と、わかっていても抑えきれないからプレーは雑になる。
以前なら笑って流せた周りからの一言にも強く反応してしまう。
息子はどんどん自信を失い、抱えきれなくなった感情が溢れ出てしまう。
大好きなサッカーをあんなに苦しそうにやるなんて、見ていても本当に辛かったです。
そして、子どもは正直で思ったことをそのまま口にします。
「やっぱりダメらしいよ」
「あいつ調子悪いから、俺たち勝てるよ」
そんな言葉が、容赦なく息子の耳にも届きました。

ついには夢の中にまで、、、
「くっそー」「ちくしょー」
普段は静かに眠る息子が寝言で叫んでいました。眠っている間まで追いかけてくるほどの悔しさ。
そして、学校でも同じでした。
得意な体育は半年間見学、プールの時間は毎回ひとり図書室へ。
宿泊学習や遠足では、保健の先生と過ごしていました。
元々は、友達との関わりを褒めてもらえる子でしたが、優しくできない場面も増えてしまいました。

「俺、性格が悪くなったよね」
と、自分でも言うほど息子の心は良くない方向へ。
わかっているのにどうしても焦りと不安に負けてしまいます。
その苦しさは、私が想像する以上だったのかもしれません。
だけど乱れた言葉は、そのままにはしておけない。
人を傷つけることはダメだと伝える。
でも、苦しさまでは否定しないように、
苦しいよね、辛いよね、わかってるよって。
文句が増えたのも言い訳が増えたのも、それで必死に自分を守っていた息子。
できない自分を受け入れられない、自分のことを信じたい息子。
これは人生のほんの一部だよ、今だけじゃないから。
なんて言葉は響きません。
目の前の『今日うまくいかなかった自分』がすべてになってしまう。
“その先”を信じるには、まだ幼すぎました。

必要なのは、たくさんの時間と練習。
その中で少しずつ増えていく『できた』の感覚。
そして、それがやっと試合の中でも出せたとき、
はじめて『あ、大丈夫かもしれない』って思えるから、
そうやってひとつずつ重ねていくうちに、必ず自信は戻ってくることを、時間をかけて伝えていました。

怪我は体だけではなく、心の余裕も奪ってしまった。
だけど、この子は大丈夫。
誰よりも悔しい思いをした分、
誰よりも痛みを知っている分、
強くなる力を持っていると信じるしかない。

そして、復帰から5カ月。
やっと、体力が戻りました。
コンディションもプレー感覚もようやく戻ってきました。
だから、やっぱり心も自信を取り戻してきました。
“また怪我したら”の恐怖からも少しずつ解放されてきました。
まだまだ、ここから。
何だって、息子を強くするための時間。
昨日できなかったことが今日はできてしまうのが子ども。
ものすごい速さで成長する子どもたちに置いていかれないように、子どもたちの『切り替え、切り替え』の声を母の胸にも響かせて、
すべての経験はやっぱり財産になるから、今日も追いかけるぞー!
