10歳だった私と、10歳の息子が見たアメリカワールドカップ
サカママ視点

10歳だった私と、10歳の息子が見たアメリカワールドカップ

サカママ読者の皆さん、こんにちは!
アメリカ・テキサス州ダラス在住のサカパパ、japa-ricanです!

私が19歳で日本を離れ、ここテキサスにやってきてから20年近くが経ちました。
6年前、州内の別の街からダラス郊外へ引っ越してきたとき、新しい街を知ろうと車を走らせていると、我が家から車で15分ほどのところにあるひとつの巨大な建物が目に飛び込んできました。

「何だ、このスタジアムは」
思わず車を停めて見上げたその建物は、ただ圧倒されるほど大きく、美しいという印象でした。

まさか数年後、この場所が2026年ワールドカップの舞台となり、日本代表がそこで2試合も戦うことになるとは、このときは想像もしていませんでした。

こんな偶然があるだろうか。
アメリカに、そして私たちが今暮らす街に、日本代表がワールドカップを戦いにやってくる。

いや、偶然ではなく、人生というものは、後になって振り返ると静かで確かな一本の線でつながっているのかもしれない。
今回のワールドカップは、そのことを私に教えてくれました。

1994年、アメリカワールドカップ

私が初めてワールドカップを観戦した大会でした。
当時10歳だった私は、テレビ越しに映る世界最高峰のサッカーの舞台に心を奪われました。ドーハの悲劇(アジア最終予選の日本対イラク戦において、試合終了間際の同点ゴールにより日本代表のワールドカップ初出場が目前で消滅した出来事)をライブで目撃し、日本のワールドカップ初出場の夢は叶いませんでしたが、テレビ画面の向こうには、それまで見たことのない世界が広がっていました。

スタジアムを埋め尽くす観客。
国旗を掲げて歌うサポーター。
国の誇りを背負って戦う選手たち。

世界最大のスポーツの祭典を目の当たりにし、
「いつか、自分もあのピッチに立ちたい」
10歳の少年の夢は、その瞬間に定まりました。

そこからサッカー漬けの日々が始まりました。

高校時代には全国大会に2回出場し、個人としても県選抜や国体候補にも選ばれました。夢へ近づいていると、本気で信じていた矢先のことでした。

15歳の春、左膝前十字靭帯を断裂。

私のサッカー人生は、夢半ばで大きく方向を変えることになりました。
絶望感と虚無感の中にあっても不思議と、サッカーを嫌いになることはありませんでした。むしろサッカーは、高校卒業後に新しい目標を探して渡ったアメリカでも、多くの出会いと経験を与えてくれました。

そして気がつけば、私はアメリカ・テキサス州に腰を据え、日本人の妻と家庭を築き、3人の子どもの父親になっていました。

第2子として生まれた息子がボールを蹴り始めたのは、3歳を過ぎた頃でした。
最初はただボールを追いかけているだけだった小さな背中が、気がつけば「もっと強い相手と戦いたい」「勝ちたい」と、勝負に貪欲になっていきました。

ダラスに引っ越してからは近所のチームに所属し、大好きな仲間と切磋琢磨しながら、練習の日は誰よりも早く準備をし、暗くなっても帰りたがらないほどでした。
その姿を見るたびに、私はただ嬉しく、静かに見守っていました。

2026年、アメリカワールドカップ

そして2026年。
再びアメリカでワールドカップが開催されることになりました。

私が初めて見たあのアメリカワールドカップ。当時、私は10歳。
そして今、息子も10歳。

親子二代で「アメリカワールドカップ」を10歳で迎えることになったのです。

さらに、私たちが暮らすダラスが開催都市となり、家から車で15分足らずの場所にあるスタジアムで試合が行われることになりました。

そしてその舞台で、日本代表が2試合を戦う。
こんなことってあるだろうかと、今でも信じられません。

周知の通りチケットは決して安くはありませんでした。
何度も購入画面を開いては閉じを繰り返しました。

妻に相談すると、静かにこう言ってくれました。
「二人で行ってきなよ」

その一言で決心できました。私のサッカー愛をよく知る妻に、心から感謝しています。
……ただ、このときの妻は、私が“2試合とも行くかどうか”で迷っていたことは知らなかったと思います(笑)。

試合当日

テキサスの強い日差しの中、スタジアムへ向かう道には、日本代表の青いユニフォームを着た人々があふれていました。

「ダディー、日本人がたくさん来てるね!」
息子は周りを見渡しながら、少し興奮したように言いました。この街がこれほどの数の日本人で埋め尽くされる光景は、後にも先にもおそらくこの日だけでしょう。

スタジアムの中へ入ると、外の熱気とは対照的に、ひんやりとした空気に包まれます。
長い通路を抜け、客席へ向かう階段を下りきった瞬間でした。
それまで楽しそうに話していた息子が、突然言葉を失いました。

目の前に広がるのは、約7万人で埋め尽くされることとなる圧倒的な空間。
天井いっぱいに広がる巨大なビジョン。
今まで見てきたどの芝生よりも美しい緑のピッチ。
そして、ウォーミングアップをする、テレビで見ていた日本代表の選手たち。

息子は言葉を失ったまま、立ち尽くしていました。
「……すげー」
その一言だけでした。

巨大な国旗がピッチを覆い、静寂の中で「君が代」が流れます。

そして演奏が終わると同時に、
「ニッポン! ニッポン! ニッポン!」
スタジアム全体が揺れるような歓声に包まれました。

その迫力に圧倒されながらも、息子の目はずっとピッチから離れませんでした。

キックオフ直前、選手たちが円陣を組んでいるのを見ると、小さな声で聞いてきました。

「ダディー、みんな何話してるのかな?」
「緊張してるから集まったの?」
「キャプテンがみんなを励ましてるんだと思う」
その言葉に、私は思わず微笑まずにはいられませんでした。

大人は戦術やフォーメーション、試合展開を想像します。
でも子どもは、選手たちのその瞬間のを見ているのだと思いました。
その純粋な視点が、とても印象に残っています。

私が息子に見せたかったのは、勝ち負けの結果だけではありません。

世界最高峰のサッカーの舞台。
国を背負う選手たちの緊張と誇り。
そして、サッカーというスポーツが持つ力です。

言葉が違っても、文化が違っても、ひとつのプレーで熱狂し、ひとつのゴールで喜び合える。

7万人を超える観客で埋まったスタジアムにあったその空気を、10歳の今、息子に感じてほしかったのです。

キックオフの笛が鳴ってから、しばらく息子は立ったまま座ることを忘れてしまったかのようでした。

日本がゴールを決めれば飛び上がって喜び、相手にゴールを決められれば今にも泣きそうな顔をしながら「次、次!」と大声で鼓舞していました。

まるで自分自身があのピッチでプレーしているかのようでした。

そんな息子を横にしていると、私はふと1994年の自分を思い出していました。
テレビの前でワールドカップに夢中になっていた、あの10歳の少年です。

私の夢は、サッカー選手になることでした。
そして、その夢は叶いませんでした。
しかし、その夢は今も形を変えて私の中に残っています。

私は、息子に自分の夢の続きを見ようとしているわけではありません。
息子の人生は、息子のものです。
サッカー選手を夢見るかもしれないし、別の道を選ぶかもしれない。
それは彼自身が決めることです。

ただひとつ願うのは、自分の夢を見つけ、その夢に向かって挑戦してほしいということ。
そして、その一番近くで応援できる父親でありたい。
それが今の私の夢です。

試合が終わり、帰り道。
興奮の余韻の中で、息子は何度もスタジアムを振り返っていました。

その背中を見ながら思いました。

1994年、テレビの前で夢を描き始めていた10歳の少年は、
2026年、同じアメリカワールドカップの舞台で、
夢を見つけたかもしれない10歳の息子と出会うことができたのだと。

私はワールドカップに夢を追いかける人生を与えられました。
そして息子もまた、今回のワールドカップから夢を与えられたのかもしれません。

親になって初めてわかりました。
夢の主人公は、いつまでも自分である必要はないということを。
子どもが夢を見つけ、その挑戦をそばで応援できること
それもまた、人生の大きな喜びなのだと思います。

10歳のテレビの前にいる自分に言ってあげたい。「サッカーすげぇぞ」と。
15歳の怪我をした自分に言ってあげたい。「サッカー、やめるなよ」と。
19歳で渡米し、人生をやり直そうとした自分に言ってあげたい。「想像もしない未来が待ってるぞ」と。

そして息子には、これからも伝え続けたい。
何かに夢中になって愚直に努力することは、絶対に無駄じゃないと。

これだから人生は面白い。
ワールドカップ、ありがとう。
そして日本代表の選手たち、ありがとう。

私たち親子は最高の思い出ができました。
この先も親子で、サッカーが見せてくれる景色を、一つひとつ楽しみながら歩いていきたいと思います。

#現地レポート #サカパパ