4つの国を生きる。マイケル・オリーセという生き方
サカママ視点

4つの国を生きる。マイケル・オリーセという生き方

どの国も、自分を形づくる大切な一部。4つのルーツを誇りに、静かに自分の道を歩んできたオリーセ選手。世界最高峰へとたどり着くまでの物語を紹介します。

世界が認める次世代の主役

多くは語らず、プレーで語る。ゴールを決めても表情を大きく崩さない。マイケル・オリーセ選手は、派手なパフォーマンスとは無縁の、物静かな24歳です。それでも、フランス代表の司令塔として攻撃を動かしているのは間違いなく彼でした。ワールドカップ初戦のセネガル戦、得点こそありませんでしたが、誰よりも走り、何度もチャンスを生み出し、自身のワールドカップデビュー戦でマン・オブ・ザ・マッチ(試合最優秀選手)に選ばれています。

4つの国がアイデンティティー

オリーセ選手の魅力を語るうえで欠かせないのが、そのルーツにあります。父はナイジェリア人、母はアルジェリア系フランス人、出身のイギリスを含めれば4つの国が彼ひとりの中に息づいています。

代表チームも、その4カ国から選ぶ資格がありました。どれかひとつを選べば、ほかの誇りを手放すように感じる人もいるかもしれません。けれどオリーセ選手は、こんなふうに語っています。

「僕はフランス、アルジェリア、ナイジェリア、イギリス、4つの国の出身です。それはとても幸運なことだと思っています。それぞれの国の文化や歴史が僕を豊かにしてくれて、アイデンティティーとして自分のなかに存在しています」(FCバイエルン・ミュンヘン公式サイト 会員誌『51』インタビューより)

このインタビューで彼が明かしているように、ロンドンで育つあいだも、家族でアルジェリア、ナイジェリア、フランスを定期的に訪れていました。家では父が英語、母はフランス語で語りかけ、暮らしのなかで4つの国のアイデンティティーが、自然に彼の一部になっていきました。

居場所を探した子ども時代

西ロンドンの地元チームでボールを蹴り始めたオリーセ少年。その才能は早くから知られ、チェルシーFCやマンチェスター・シティFCといった名門の育成組織で育ちました。とはいえ、エリート街道をまっすぐ進んだわけではありません。

長く在籍したチェルシーを14歳で離れることになると、自分の居場所を模索し、たどり着いた先はトップリーグではなく2部のクラブ。そこでプロとしての一歩を踏み出しました。

そばで見守った両親の存在

2部からプレミアリーグ、そして2024年にはドイツの絶対王者・FCバイエルン・ミュンヘンへ。世界最高峰の舞台で、その才能は一気に花開きます。2年連続でリーグのアシスト王に輝き、リーグ最優秀選手にも選ばれました。さらにフランス代表の同僚・キリアン・エムバペ選手らをおさえて、フランスの選手会から「海外でプレーする最優秀フランス人選手」に選出。その晴れ舞台のレッドカーペットに、彼は自身のキャリアに深く寄り添ってくれた両親と並んで立ちました。華やかな表彰式での、誇らしい家族の一場面でした。

自分の道を自分で選ぶ

代表の選択でも、彼は迷いながら自分の意志を貫きます。ナイジェリアからの熱心な誘いもあるなか、選んだのはフランス。そしてW杯で、ナイジェリア・アルジェリア、イギリスにルーツを持つフランス代表選手として、ピッチに立ったのです。

大会では“サッカーの王様”ペレが1970年大会で記録した一大会の最多アシスト記録を56年ぶりに更新する快挙(7アシスト)を達成する大活躍を見せ、世界中から大きな注目を集めました。

それぞれの色を誇りに

4つの国の文化を抱え、いくつもの環境を渡りながら、オリーセ選手は誰かの意見ではなく、自分の意志で進む道を選んできました。どれかひとつに絞るのではなく、4つすべてを「自分を豊かにしてくれるもの」として誇りにする。その生き方は、世界最高峰の舞台で堂々と輝いています。

出典

FCバイエルン・ミュンヘン公式サイト 会員誌『51』Michael Olise interview – ‘I want to make history with this team’

写真/Getty Images