
アユブ・ブアディ(モロッコ):鮮烈W杯デビュー!フランス育ち、ヒーローはモドリッチ、頭脳明晰で多芸多才な18歳の人生設計
初出場のW杯で主役の座へと駆け上がり、次のサッカー界を背負っていくU-23の新星は誰か? その世界を驚かせる才能は、一体どのような「環境」と「育成」で磨かれてきたのか?『北中米W杯で輝く次世代スターの軌跡』特集から、ここではモロッコ代表の18歳、アユブ・ブアディを紹介する。今大会最初の90分間で一躍その名を世界に轟かせたMFは、いかにして誕生し、なぜフランスU-21代表から“2カ月間”でモロッコA代表入りを決断したのか。
ブラジル相手の“デビュー戦”でセンセーション
北中米W杯3日目、6月13日のグループC初戦ブラジル対モロッコで、ちょっとしたセンセーションを巻き起こした選手がいた。
モロッコ代表の背番号6、アユブ・ブアディ。
[4-2-3-1]の2ボランチの一角を占めたブアディは、アタッキングサード内に敵が侵入するのを防ぐ最初の防波堤役となり、ラフィーニャも、カゼミロも、この危険なエリアへの侵入を試みるたびにブアディに阻まれた。
相手の足下からスルッとボールをかすめ取るスキル、真正面からぶつかっていくフィジカルなデュエル、絶妙なプレスで相手を危険地帯の外に押し出す誘導テクニック、そして瞬時に数的有利の状況を作るポジショニング……。
知的さと優れたビジョン、それを活かす確実なテクニック。それらすべてを兼ね備えた彼は、なんとまだ18歳であり、W杯はおろか、A代表の公式戦としてもこれがデビュー戦だったことに、世界は驚愕したのだった。
そしてモロッコは、大会最多優勝回数を誇るブラジルを相手に、1-1という価値あるドローを手に入れた。
「あのヘアバンドの子」は15歳で名門リールとプロ契約
がしかしフランスのリーグ1サポーターの間では、彼はすでに知られた存在だ。
名門リールの育成アカデミーに14歳になる少し手前で入団すると、15歳で早くもプロ契約を結び、16歳の誕生日を迎えた3日後、2023-24シーズンのカンファレンスリーグ、対クラクスビーク(フェロー諸島)戦でプロデビュー。18歳にして強豪リールのスタメンであり、ここまでリーグ1で63試合、チャンピオンズリーグを含むUEFAのコンペティションに25試合出場という、恐るべきティーンエイジャーなのだ。
ブアディは2007年10月2日、パリから直線距離にして40kmほど北上したところにあるサンリスという町で生まれた。
両親はモロッコ出身。サンリスの近郊にあるクレイユという町で父親が仕事をしていたため、ブアディもそこで育ち、クレイユのクラブで5歳からサッカーを始めた。
少年時代から髪は長めで、プレーする時はいつもヘアバンドをしていたから、このあたりでは「あのヘアバンドの子」としてその存在が轟いていたという逸話もある。
本人がサッカー番組のインタビューで語っていたところによれば、サッカーを始めた頃から漠然と、プロになりたい、という思いは描いていたが、育成過程で実力を認められていくにつれて、それがだんだんと具体化していったという。
彼の憧れは、卓越したビジョンとテクニックで中盤をコントロールするクロアチアの至宝、ルカ・モドリッチだった。ブアディのプレーを見てそれを聞くと、なるほどとうなずける。
彼自身は、自分のプレーをこんなふうに分析している。
「自分はチームのためになる献身的なプレーができる選手だと思っている。プレッシャーがかかる場面でも落ち着きを保てて、ボールをスムーズにつないで、味方を生かすプレーをするのも好きだ。常に正しい場所に正しいタイミングでいられるわけではないけれど、試合中は良いスペースにポジションを取って、次に何が起こるかを少し先読みして、相手より一歩先に動けるようにしようとしている」
まさにピッチ上で見る彼の姿そのものだ。
誕生日にヒーローと共演も「ユニフォーム交換なんてすっかり忘れていた」
その憧れのヒーローと、ブアディは実際に対戦する機会を得ている。しかもその日はなんと、彼の17歳の誕生日だった。
2024年10月2日、CLリーグフェーズ第2節でリールは当時モドリッチ(現ミラン)がいたレアル・マドリーと対戦。ブアディは先発メンバーに選ばれた。初戦のスポルティング戦はベンチスタートだったから、この試合でもスタメン起用される確信はなかったと本人は振り返っているが、前節でアンジェル・ゴメス(現マルセイユ)が退場処分になっていたため、ブルーノ・ジェネジオ監督(当時)はこの若き才能に白羽の矢を立てたのだった。
その結果、リーグ1の大先輩であるエデュアルド・カマビンガやオレリアン・チュアメニから再三ボールを奪い取っては、的確に展開する素晴らしい舵取りを披露。細身ながら相手を背負ってボールキープするような骨太さも見せ、味方のシュート後のセカンドボールの回収でも類稀なポジショニングセンスを発揮した。
リールは前半終了間際にジョナサン・デイビッド(現ユベントス)が決めたPKが決勝点となり、1-0で勝利を収めたが、ブアディのパフォーマンスで中盤の勝負を制したことが大きく貢献していたのは明らかだった。
試合後、スタンドのファンはハッピーバースデーソングを歌って若きヒーローを祝福。ホームスタジアムでのレアル・マドリー撃破で誕生日を祝うという、素晴らしい経験をしたのだった。
ちなみに憧れのモドリッチは後半の57分から出場して一緒にピッチに立ったのだが、
「勝ったことに興奮しすぎてユニフォーム交換を頼むなんてこともすっかり忘れていた」
というところはなんとも素朴でかわいらしい。
小学校から飛び級で卒業、バドミントンでも状況判断で優位性を察知
そんなブアディは学業のほうも優秀で、最終学年を飛ばして小学校を卒業。フランスで大学入試にあたる大学入学資格試験「バカロレア」を16歳、しかも優秀な成績で取得した秀才でもある。
数学を専攻している学業は今でも続けているのだが、学業とスポーツを両立させる、というのは子供の頃からの親の教えだったそうで、彼にとっては自然な取り組みなのだった。小学校時代の先生は『レキップ』紙の取材の中で、
「彼は誰もが理想とする生徒。すべての面でトップクラスでした。保護者面談の時には、今でも私はアユブの成績表をサンプルに使ったPowerPointを資料として使っています。保護者の方々は毎回驚きます。それほど彼はあらゆる教科で突出していました」
と証言している。学校では彼を自分のクラスに入れようと、先生たちの間でバトルが勃発していたそうだ。
サッカー以外のスポーツも万能で、父親もかつてプレーしていたというハンドボールやバドミントン、テニス、水泳などいろいろな競技をやっていて、いずれにおいても秀でていたという。特にバドミントンでは、他の子供たちが思いっきりシャトルを叩きたがるのとは対照的に、状況判断で優位性を得られることを察知して、小学生にしてポジショニングやショットのバリエーションを使い分けていたというから驚く。
ゆえに少年時代のサッカーコーチは、ブアディのことを“Le Cerveau(頭脳)”と呼んでいたそうだ。
15歳の時には、育成過程にある選手たちを集めた大統領府での弁論コンクールで優勝している。彼が選んだテーマは、「結果は内容よりも重要か?」。そこでの主張は、「結果が大事」というものだった。
彼いわく、弁論大会と、例えばロッカールームで演説するのとでは少し違うが、物怖じせずに言いたいことを伝える、という点では役立つと考えているとのこと。実際、子供の頃からリーダー気質で、世代別代表でもキャプテンを務めている。
そう、世代別代表では、彼はU-16からあらゆる年代でプレーしてきた。“フランス代表”として。
3月までフランスU-21のキャプテンだった…モロッコ代表入りの舞台裏
今年の3月まで、ブアディはフランスのU-21代表でプレーしていた。昨秋からU-21欧州選手権(2027年)の予選に1試合を除き出場していて、3月のルクセンブルク戦ではキャプテンも務めた。
しかしそこからちょうど2カ月後、彼はモロッコA代表の一員として、W杯前のテストマッチ、対ブルンジ戦に出場していた。
この2カ月の間に何があったのか?
3月上旬、モロッコ代表ではワリド・レグラギ監督に代わってモハメド・ワハビが指揮官に就任した。そして、この若き才能ブアディの“リクルート”は、新監督に託された最初にして最重要クラスの任務だった。
3月中旬、ワハビ監督はモロッコサッカー連盟のフージ・レクジャ会長とともにリールを訪れ、ブアディと懇談した。タイミングとしては、3月下旬の代表ウィークに向けたメンバー発表の直前だ。そこで話し合われたのは、当然ながらW杯出場を視野に入れてのモロッコ代表入り勧誘である。
一方フランス代表では、戦力が充実していた現段階においては、A代表入りの気配はなかった。それでもブアディの代表国選びは注目案件だったから、3月の代表メンバーを発表した際の会見で、ディディエ・デシャン監督は彼について質問を受け、こう答えている。
「彼には自分で選ぶ自由があり、その自由を私が奪うつもりはない。彼とは話をしていない。それが私のやり方だから。もちろん彼のパフォーマンスは注視しているが、中盤には非常に激しい競争がある。今回は6人のMFを招集したが、すでに代表経験があって今回選ばれていてもおかしくない選手がまだあと3、4人いた。最終的には彼自身が決めることだ。私が5月にどうするかについて、今から予測するつもりはない。それ以降のことについては別の人に聞いてほしい」
この答えから、フランス代表としてブアディが今回のW杯に出場する可能性がないことは明らかだった。それ以降、というのは、今大会を最後に勇退するデシャン監督の後任、つまりはジネディーヌ・ジダンを指している。実際ジダンとブアディが以前、会談の機会を持ったという情報もあった。
結果的にブアディはモロッコ代表を選択し、こうしてW杯の舞台に立っている。それだけでなく、世界をあっと言わせる活躍をしている。「フランスは大きな損失をしたのではないか!?」という声が、SNSやネット上のあちこちで見られる。
しかしブアディは、フランス代表に選ばれなかったからモロッコを選んだのではなく、自らの意思でモロッコを選んだ。
W杯に向けた合宿が始まった後、モロッコサッカー連盟の公式サイトで、彼は自分の言葉でこの選択について語っている。
「監督と会長は、最初から『モロッコを選ぶべきだ。それが正しい選択だ』と言ってくれました。そして、『素晴らしい歓迎を受けられるはずだ』と。その言葉に嘘はありませんでした。本当に素晴らしい歓迎を受けましたし、施設は最高で、チームも素晴らしいです。すべてが完璧です。僕はこの選択をしたことを本当に誇りに思っています。この決断が、これから先の素晴らしい未来につながることを願っています」
ブアディは「この選択ができたことに、心から安堵している。自分の祖国であるモロッコに戻ってくることができて、本当に誇らしく幸せ」とも述べているのだが、モロッコ人家庭に育った彼には、この国のアイデンティティが強く育まれている。周りにいる北アフリカ系の人たちを見ても、とりわけモロッコ人は、そうしたアイデンティティが強いように感じるから、生まれ育ったのはフランスでも、自分の祖国はモロッコだ、という思いはずっと彼の中にあったのだろう。
それに、昔と違って今のモロッコ代表は相当強くエキサイティングだ。若い選手が「プレーしたい!」と思える魅力的な代表チームに育っている。
元モナコで南野拓実のチームメイトだったエリース・ベン・セギル(現レバークーゼン)も、各世代別のフランス代表でプレーしたのち、モロッコA代表入りを選んだ。
「こちらに来てまず驚いたのは、施設の素晴らしさです。本当にトップレベルで、世界を見渡しても、これ以上の施設はそう多くないと思います。チームについても、その実力は誰もが知っています。世界トップクラスの選手がたくさんいます。このチームとともに、これから素晴らしい未来を築いていけることを願っています!」
世代別ではフランス代表だった彼は、フランスの国立トレーニング施設クレールフォンテーヌでいつも合宿をしていたわけだが、このコメントを聞くと、モロッコサッカー連盟が誇る王立トレーニングセンターの設備がいかに素晴らしいか想像できる。
ブアディは「僕を温かく受け入れてくれたモロッコのみなさん、本当にありがとうございます」と感謝を口にしていて、フランス語でのこの応答の合間には、“アルハムドゥリッラー”という、「神様に感謝します」といった気持ちを表現する時にアラビア語圏の人たちが日常的に使うフレーズをさらりと織り交ぜていた。
人生設計シートにはビシッと2つ「チャンピオンズリーグ」「バロンドール」
ブアディのリールとの契約は2027年6月までだったが、昨年12月に2029年まで延長した。
これがイコール、彼が来る2026-27シーズンもリールでプレーすることを約束するものではないが、リールも簡単に手放すつもりはなく、よほど高額なオファーでなければ応じないという姿勢を明らかにしている。
とはいえ、噂されているのはリバプール、アーセナル、レアル・マドリー、バイエルン、そしてパリ・サンジェルマンと、かなり高額なオファーも厭わなそうなクラブばかりなのだが、知的で地に足のついたブアディのこと。自分自身にとって一番良い選択をすることは間違いない。
まだ地元クラブにいた少年時代、クラブは子供たちのモチベーションを高めるため、ノートを書かせていた。
大谷翔平選手も高校生時代に「人生設計シート」を書き、一つひとつ実現している、というのがよく話題にのぼるが、他の子供たちが「県選抜」「ナショナルトレセン入り」「プロ昇格」といったことを綴っている中、ブアディは2つ、ビシッと「チャンピオンズリーグ」「バロンドール」とだけ書いていたそうだ。
CL出場は叶った。その次は優勝か? そしてその先にあるのは彼のヒーロー、モドリッチと同じバロンドール受賞だ。
決して派手な動きではないのに、彼が出ていると、つい彼の動きをずっと追ってしまいたくなる。そんな魅力を持つ18歳、アユブ・ブアディ。
次のオランダ戦では、どんなパフォーマンスを見せてくれるだろうか。
写真/Getty Images